言語に依らない愛


 手離した、指先が冷たい。
 纏わりつく雨粒が煩わしくて、ぎゅっと傘の柄を掴む。
 寂しくなんか、──…ない。
 ずっと独りだったのだ。こんなの慣れているはずなのに。
 傍らに高杉がいないだけで、心細くて泣きたくなる。

「……子供になっちゃったから、かな」

 子供になっちゃったから、言葉が理解できないし我慢もできないんだ。
 泣き喚かないだけマシだろう? 静かに待とうとはしたんだ。銀時だって言いつけを守ろうとはしたんだよ、一応。──…無理だったけど。

「俺、悪くないじゃん?」

 高杉が遅いのが悪いんだ。銀時をひとり残して、いなくなってしまったのが悪いんだから。
 そうだ、だから仕方ない。
 自分に言い聞かせるように、大きすぎる傘を握りしめて。小さい体だと扱いづらいけど、もう一本の傘を器用に片手で閉じる。少し悩んだが、羽織わされた上着は丁寧に畳んで濡れないよう閉じた傘の中へと押し込んでみた。ぎちぎちだけど、まあアリだろう。壊れたとしても、高杉の傘なので問題ない。
 銀時の傘は武具にもなる特別製で、機関銃が仕込んである。あの滅びた惑星から持ってきた数少ない私物の一つだ。

「……まだ、手放すわけにはいかないから」

 もうちょっと、一緒に頑張ってほしい。
 たぶん、残された時間はそんなにないから。自分が終わるその時まで持てばいい。
 ──いや、本音を言うなら、ほんとは自分が終わってからも持ってほしいけど。高杉と共に戦う武器として、身を護る防具として。この銀時愛用の傘をずっと傍に置いて、使い続けてほしい。そんな銀時の目論見は、なんとなく高杉に見透かされているようで。使いこなせないからと渡そうとするも、やんわり断られてしまう。
 高杉は何物も望まない。……そう、銀時以外のなにも欲せず、銀時が隣にいれば満足で、幸せそうにくつりと嗤う、不器用で偏屈な男なのだ。
(……そんなとこが、可愛いとか、さ)
 高杉にだいぶ絆されている自覚はあるし、これがいわゆる愛だと思っている。銀時は瞼をぐっと閉じて、堪えようと傘の柄をきつく握ってみたが、どうしても堪えられそうになかった。
 小さく縮んでいく自分にとっては大きくなってしまった傘の柄を再度握り直して、銀時は高杉の後を追うように走る。
 ──パシャン、パシャッ。雨の中を駆ける足音は軽く、雨が撥ねているようだ。雨音にまぎれて聞こえにくく、銀時の足音には聞こえないだろう。きっと高杉だって気付くのが遅れるはずだ。

「高杉に気付かれる前に追いつかないと」

 傘二つはちょっと重くて減速してしまうけど、それでも何とか走れるし、それが高杉を追わない理由にはならない。
 悲鳴が聞こえたのはどっちだったっけ、と、土地勘のない路地裏を銀時は走る。
 ──自分の最愛を護るために。
 誰にも、奪われないように。
 悲鳴をあげる体を無視して高杉を追いかけた。


   *


 ──パシャン、と、雨が撥ねる。
 雨が多い惑星柄、いつ雨が降っても良いように傘は持ち歩いているし、靴は防水だったり濡れても乾きやすい服だったりしているが、これは不可抗力だろう。
 喧嘩は慣れている。本当は神威だって父母にいろいろ言われているので喧嘩なんかしたくない。しかし一見すると弱く見えるのか、一人でいると絡まれやすく、売られてしまった喧嘩は買い取るまで。一方的に殴られ続けたり、ましてや降参して相手に媚びへつらったり、逃げたりなどはしない。煽られた血が騒ぐのを抑えずに、気のすむまま暴れるだけだ。
 だが、今日はちょっと状況が違う。──今は、妹が一緒にいるのだ。自分一人ではないのがこんなにも不便で不利なのかと改めて思い知らされた。
 殴られた拍子に盾とした傘は折られ、振りかぶってくる拳から妹を庇い、立ち塞がっていた神威は立っているのがやっとだった。
 ぎゅっと、服の裾を妹が掴んでいる。素肌が露出し、雨に濡れてしまっている妹の手はとても小さい。レインコートを着ているとはいえ、濡れ続けたら体が冷え切ってしまうので早く家へと帰らなければいけないのに。
 解ってはいるが、そんな神威の杞憂を配慮してくれる相手だとは思えない。だって傘を折り、更に神威を殴りつけてくる相手だから。
 失敗したなぁ、と神威は心の中でぼやく。声に出したりなんかしない。妹がいるから防戦一方になってしまっているが、妹がいなかったとしても多勢に無勢。神威が不利な状況は変わらないだろう。
 ちなみに普段の神威なら一方的にやられたりなどしない。勝ち目がなかったとしても、最後にニ、三人は倒して一矢報いてやるのに。妹がいるので分が悪く、逃げることもできずに防戦一方になってしまい状況を打破できないでいた。
 心配そうに見上げてくる妹は半泣きで、涙なんだか雨なんだか解らないほど顔が濡れてしまっている。ぐちゃっとなった首元のレインコートのフードを頭にかぶせ、これ以上は濡れてしまわないよう、悲しい光景を見せないように瞼を覆うほど深く、フードの中へ頭を押し込む。

「逆恨みはやめてくれない? 弱いのが悪いんだから」
「煽ってどうすンだよ……」
「えー、本当のこと言っただけじゃん」

 神威は珍しく一人ではなかった。それは間違いではないが少し訂正があり、妹の神楽の他にもうひとり、──見知らぬ男が間に割って入り、なぜか庇ってくれている。
 治安が悪いので誰かが止めたり、庇ってくれることなどは勿論ない。喧嘩や諍いは強者が勝って弱者の負けで勝敗がついて終わる。それが当たり前なのに、奇特な人がいたもんだ。
 しかも、ここにいるのが不自然なぐらい、──…強い。対峙こそしていないけれど、隣に並んでいると嫌でも感じる。身のかわしや拳の振りぬきの速さは素人じゃない。神威だってそれなりに強いが、たぶん神威よりも同等、もしくはそれ以上に強いかのもしれなくて、否定するように神威は首を振った。
 神威の活動圏内でこんなにも強い人を知らないはずがないのだ。思い当たるフシも、あるかもしれないが今は思い浮かばない。

「……おじさんって、もしかして強いの?」
「オイ、訂正しろ。おじさんって年じゃねェ」
「十代から見たら、二十代も三十代もおじさんだよ」

 まぁ、確かに動きは良かったので、もっと若いかもしれない。相手が持ち出したナイフの連撃は無傷で避けていた。避けきれなかったのは、妹の神楽を庇ったときの蹴り技だけだ。
 蹴り技を受けたのは利き手だったのだろうか、目に見えておじさんの動きが鈍くなっている。
 このままではジリ貧で勝機がないというのに、おじさんは逃げようとも俺たちを見捨てようともしない。かなり場数を踏んできているとは思う。
 やはり年配のおじさん説が濃厚なのにフードを被っているので顔が見えず、年がなかなか判別しづらい。じーっとフードの中を覗き見ようとしたら舌打ちをされた。この人もかなり血の気が多くて短気じゃない? 人のこと言えないかもしれないけどさ。

「俺は神威だよ。奇特なおじさん」
「──…神威? あの子供ながら強くて狂暴で手が付けられないとかいう、問題児の神威か」
「否定はしないけど、妹の前で貶(けな)すのやめてくれない?」

 合っているかもしれないが、可愛い妹に兄の悪い噂を聞かせたくない。飄々としている神威らしくなく凄めば、おじさんに鼻で嗤い飛ばされた。

「隠してるつもりかァ? ザマァねェな」
「そこまで隠してないけどさ。……大切な人の前では、強くいたいじゃん?」
「ハッ、──…違いねェ」

 おじさんは神威の言葉を否定せず、肯定して。腰を少し落とし、傷めた腕を何食わぬ顔して体の前に出して構える。臨戦態勢、というやつだ。
 子供のクセに生意気なこと言うなと叱責されると思っていたので、おじさんのこの反応は予想外だった。こいつらを何とか倒して片付けることが出来たら、仲良くなれるかもしれない。
 神威も倣うように腰を落として拳を握りしめ、同じように構える。

「あの鬼兵隊の高杉と生意気な神威だ! やっちまえ!」

 有象無象の奥にいる、男の言葉にはっと気付く。
 ──キヘイタイ、の、タカスギ。鬼のように強いから鬼兵隊と書くそれは、この辺りに暮らしている者で知らない人はいないだろう。悪名高き、戦闘集団の名ではなかったか。
 しかも聞こえた名前は、その集団を率いている首魁の名前だったはずだ。

「タカスギ? おじさんって、高杉なの?」
「……」
「鬼兵隊の首領で、どこぞの惑星から花を手折ってきたっていう、犯罪者の?」
「ハッ、花が自ら飛び込んできたンだ。共犯だろ」
「そうかな? ちょっと違くない? 花が手折られる原因を作っちゃったんだから、罪を償うべきだと思うけど」
「ほら、無駄話してねェで、さっさと片付けンぞ」
「え、俺とばっちりじゃん? 帰っていい?」
「元はと言えば、お前の客だろ」
「んー、妹がいるから穏便にいきたいんだけど」
「もう遅ェ」
「──…確かに」

 おにいちゃん、とか細い声が背後から聞こえる。
 二人が背中合わせに女児を庇うよう構えたときだった。
 パシャン、パシャンッ……。雨の撥ねる音がなぜかだんだん大きくなってきていると思ったら、視界の隅からとても速い、白いナニかが飛び込んできた気がした。
 それは勢いよく宙へと飛び上がる。パシャン! と、軽やかながらも大きな水の撥ねる音を出したと思ったら、すでに神威の頭上に到達していた。
 白いと思ったのは、どうやら髪の色だ。それほど長くはないが、結ばれた三つ編みが高速移動に付いていけず、しっぽのように激しく揺れて靡いている。外套も服も黒いというのに、白い髪のせいか、はたまた逆境的な状況のせいか、突然やってきたそれは白く輝いた救世主のような存在に感じた。
 音のした方向を視線で追えば、跳ねる白い躯体の赤い瞳と視線が合う。──神威の背を悠々と飛び越えて見せた白い影は、そのまま高杉の前にいた大男へ蹴りかかる。
 自分の倍はある大男を蹴り倒したというのに。それの体幹はブレることなく、悠々と三人の前に着地してみせた。

「……え、」
「待ってろって言ったのに、なんでてめーも来てンだよ」

 遅かったから、と答えているので、どうやら高杉の知り合いらしい。
 大男を蹴り倒して降り立ったそれは、神威よりも背が低いのに何者も恐れず。高杉と神威を護るように凛と立つ、薄暗い雨空が似合わない白くて毅然とした子供だった。
 たとえ知り合いの危機とはいえ、危険を顧みずに飛び込んできた子供。愛らしい外見とは裏腹に、子供はあの鬼兵隊の高杉を相手にしながら不遜で尊大な態度で。敬語も使わずにタメ口で話している。
 高杉が口調について怒ったり諭したりしていないので、どうやら普段から子供はこんな調子みたいだ。どんだけ恐れを知らない子供なんだよ、ちゃんと再教育したほうがいいのではないか、と自分を差し置いて神威が考えていると、子供はじーっと高杉を見つめていたと思ったら、てくてく走り寄って来た。

「──…怪我、したの?」
「……してねェ」

 白く、細くて幼い手が高杉の左手に伸ばされる。
 一目見ただけで高杉の怪我を何故わかったのだろう。心配そうに添えた手はそのままで、高杉を労わっているというのに。白い子供の怒気が、背中越しでも伝わってくる。
 誰も割り込めない、二人っきりの世界に不似合いな怒気。──白い子供が、とても怒っている。

「俺の高杉を傷付けたのは、誰?」

 振り向いた子供の表情は、まさに鬼だった。
 なんだ、本当にいるじゃないか。鬼のように強いから鬼兵隊と言われているんじゃない、本当に鬼がいるから鬼兵隊と呼ばれているんだ、きっと。
 子供が高杉に触れていた手を引っ込めたと思った瞬間、もう既に、そこにあったはずの子供の姿はなかった。勢いよく飛んでいった子供は、体格差を物ともせずに荒くれ者の集団を軽々と蹴散らしていく。男達が殴ろうと振りかぶった腕も、繰り出される拳も、白い子供には届かない。子供の動きが速すぎて、届く前にすべて避けられている。

「……わぁお、強すぎない?」
「──チッ、あの馬鹿」
「怪我してるんだし、ここで待ってれば?」
「俺が止めねェと、皆殺しにするまでアイツは止まらねェぞ」
「……厄介なのに愛されてるんだね」
「ほっとけ」
「え、うそ。もしかして惚気てる?」

 神威的には茶化したつもりだったのに、高杉は何も言わず、神威の言葉を右から左へ聞き流すと子供を止めるために跡を追いかけていった。
 そんな、皆殺しにするまで終わらないとか鬼兵隊式の悪い冗談かと思ったけど、本当にどこまでも止まりそうにない白い子供は、高杉が制止しても止まらず、相手が全員横たわり、再起不能になるまで一方的な暴力は終わらなかった。



 倒れた男達の上に立つ二人は鬼そのもので。
 息の上がってる高杉と違い、白い子供は目立った怪我もしていなければ息の乱れもなく、あれだけいた荒くれ者達を相手にしていたというのに無傷のようだ。
 圧倒的戦力差、──強すぎる。
 妹と一緒に駆け寄れば、怒気が霧散してぼんやり落ち着いたっぽい白い子供と高杉が同時に振り向く。

「白いおにいさん、強いんだね」
「おにいさん? 俺の方が背低いけど、おにいさんなの?」
「うん。俺より強い年下の子供がいるとは思えないし、おにいさんでいいでしょ? 俺は神威っていうんだけど、名前教えてよ」
「別にいいけど。なんで高杉は睨んでるの?」

 高杉は不機嫌なのを隠しもせず、白い子供を抱き上げる。確か左腕を怪我していたはずだが、その痛みは二の次らしい。神威から見えないよう、白い子供を自身の腕の中へと抱き包む。
 神威を射殺す勢いで高杉が睨んでいる。──怖い怖い、男の嫉妬は怖くて醜い。
 けど、……それよりも。
 嫉妬も執着も全部まるっと受け止めて甘受している、白い子供も末恐ろしくて怖いったらありゃしない。

「……高杉? どうしたの、見えないんですけど」
「駄目だ」
「だめ? なにが?」
「──…名前、教えンな」
「相変わらず心が狭いのね」
「てめー限定だ」

 相変わらず、って、いつも心が狭いのか。……まぁ、わからなくもないけど。
 こんな無鉄砲で向こう見ずなのが傍にいたら、心も狭くなっちゃうよ。自分も神楽がお転婆だったら、心配すぎて今以上に過保護になってしまうだろう。
 だからといって、そう簡単に引き下がる神威ではない。
 諦め悪く、高杉に食い下がってみる。

「名前ぐらい教えてくれてもいいじゃん」
「これは俺のだから、勝手に話し掛けてンじゃねェよ」
「ちょっと横暴すぎない? 俺はおにいさんにお礼を言いたいだけなんだけど」
「だめだ、減る」
「何が?」
「銀時の頭ン中にある、俺への思考」
「え、ちょっと何言ってるかわかんない。おにいさん、付き合うの絶対にやめた方がいいよ」

 執着が強すぎて、──…これ以上近寄れない。
 神威が忠告するも二人はどこ吹く風で。高杉は腕の中におにいさんを抱き留めて隠したまま、いちゃいちゃ会話を続けている。

「てか、てめーに預けた傘はどうした?」
「急いでたから、あっちらへんに落としてきた」
「濡れンだろ……」
「だーかーら! 急いでたんだって!」

 おにいさんがジタバタ暴れて脱出を試みているようだが、高杉の拘束は解けない。どう足掻いても抜け出せず、おにいさんは諦めたのか、降参するように白くちっちゃな手だけをどうにか出して。

「高杉がダメだって言うから、残念だけどまたね!」

 ばいばーい! とおにいさんが手を横に振る。高杉はそれさえも許容できないのか、くるっと踵を返すと傘を置いてきたという方向へ歩き出した。
 無邪気に手を振り返す妹を抱きかかえながら、神威は呆然と呟く。

「……いや、高杉さんが名前言っちゃってたんですけど」

 本末転倒って、こういうことなのかな。
 一応、強くて頼れそうな大人の一人として高杉は覚えておこう。
 白いおにいさんは強くてカッコいいけど、大人じゃないし、あの高杉を振り回してしまうバケモノだ。仲良くなっておいて損はないだろう。今度会う機会があったら、お近づきになりたい。
 ──ザァザァ、雨が降り続ける。
 雨は降り止まない。陰湿で、暗くて鬱陶しい毎日だったけど。
 太陽みたいに明るくて輝く存在に、神威は出会った。



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