どろりとあまい



 恋って偉大だ。
 こんなにずきんと痛くて苦しいのに、何度も繰り返してしまうのだから。
 ほら、──…今も。
 ほんのちょこっと思っただけで、痛くて苦しい。
 けど、甘くてクセになってしまう。
 甘くて痛い、恋の痛み。



 夏の日差しが暑い。
 肌をジリジリと焦がすそれは、確実に殺そうとしている。強い殺意しか感じない。
 朝だからまだマシなのだろうが。登校日でなければ、家から一歩も出たりなんかしないのに。高杉は諦めるように鞄を脇に抱えて家を出る。
 同じ高校に通う腐れ縁の幼馴染との待ち合わせに遅れるわけにはいかない。なんか負けたような気がするから。
 向こうはそんなこと、気にすらしたことないだろう。
 こっちはずっと気にしているのに。
 追い越せない身長も、あいつが本気を出せば勝てない剣道の立ち合いも。
 ──…あいつにだけは、負けたくない。
 朝にも、夏生まれだというのに暑さにも弱いのに、負けたくない一心で待ち合わせ場所へ向かう。
 十数年前に自分が生まれた日とはいえ、こんな暑い日だったのだろうか。温暖化と言われる前であったのなら、もう少しぐらいは涼しくて、生まれて初めて迎えた夏も過ごしやすかったと思いたい。
(……ツツジ?)
 道の往来に、ぽとりと花が落ちていた。
 薄紅色のその花はほんのり血のような赤が付着しており、茎部分はない。歩道にひとつだけ、落ちている薄紅色の花。
 しかし、おかしい。
 ツツジが咲くのは春で、夏になど咲かない。
 近くにツツジなど見当たらないし、こんな真夏に咲いているのはおかしい。
 狂い咲いてでもいるのか、それとも──

「花吐き病、か」

 聞いたことがある。恋に病んで死んでしまう死病がある、と。
 片思いを拗らせると口から花を吐き出すようになり、両思いにならなければ花を吐き続けて死んでしまう。
 根本的な治療法はなく、不治の病だ。
 花に触れると移ると聞いたことがあるので、落ちている花は拾わず、辺りを見回して花の持ち主を探す。
 青空、夏の日差し。
 くらくら眩む、光の飛礫。
 目が眩むほどまぶしい光の中に、誰かが立っている。逆光で誰かまでははっきり解らない。解るのは、ツツジの花を啄んでいることぐらいだ。

「──…銀時?」

 名前を呼べば、くだんの腐れ縁で幼馴染の坂田銀時が振り向く。
 寝ぼう、遅刻は当たり前の銀時にしてはめずらしい。高杉より早く待ち合わせ場所に来ていたようだ。最悪の場合、登校日を忘れているかもしれないので起こしに行くことまで想定して早めに家を出たというのに。
 しかし、久しぶりに会った銀時の顔色はとても悪い。
 熱中症気味なのだろうか、顔色は青く、やつれているように見える。

「たかすぎ? お前、なんでこんなとこにいるんだよ」
「こっちのセリフだ。その花は」
「高杉も蜜吸いたいの?」
「違ェ。その花をどこから」
「拾った」
「……てめーの吐いた花じゃねェのか」

 一瞬、ほんの僅かだが銀時の指が強張り、持っていた花を落とす。
 しかし何もなかったように、銀時は屈んで花を拾いながら否定する。高杉へ視線は向けず、拒絶するように。

「違う」
「……じゃあ、その花を見せろ」
「だめだ、絶対に触んじゃねー。高杉」
「銀と、」

 名前を呼ぼうとしたときだった。
 落とした花を鷲掴むと、銀時は高杉から逃げるように学校とは逆方向へ走りだした。

「銀時!」
「くるんじゃねーよ、高杉のばーか!」

 小学生かってぐらい低俗な罵声をあげて、銀時が逃げる。
 なんで悪口を言われなければいけないのか。
なんで理由を教えてくれないのか。
 理不尽な銀時の行動はいつものことだが、ここで逃がして曖昧にするわけにはいかない。

「銀時……ッ」

 暑さで眩む白い視界を叱咤して、走る。
 流れる汗も、焦がれる熱も、すべてが熱い。
 全部、銀時のせいだ。
 こんなに必死なのは自分らしくない。もっとクールに、冷静なキャラで普段は過ごしているのに。
(ぜーんぶ吐かせてやらァ)
 しかし体調が悪いはずの銀時の走りはいつも通り早く、銀時を見失った。普段はぼけっとしているくせに、逃げ足だけは早すぎる。
 どっちだ、銀時はどっちへ向かった。
 ここまできたら学校へ向かうようなことはしないだろう。家へ帰るとしたらまっすぐ道沿いに行けば帰れるので、右の道路を横断して浜辺へ出るとは考えにくい。
 銀時はカナヅチで泳げないので、海へ向かうとは考えにくいのだが。
 甘い匂いが呼んでいる。
 そう、じんわりと脳を痺れさせるような。
 あまい、──…匂いが、する。
 

 なぜ海へ向かったのかはわからない。
 だが、はっきりと。
 銀時は海にいると思った。
 根拠なんてない。ただの直感だ。
 潮の匂いにも紛れず、消えることのない。甘く、花のような魅惑的な香りに誘われるがまま、高杉は浜辺への階段を下っていく。
 テトラポットで行き止まりになる小さな浜辺は、早朝だからか人影はなかった。
 ──海の中に佇んでいる、銀時以外には。

「……銀時」
「くんな」

 にべもない。
 愛想も、可愛げもない。
 なんでこんな男に惚れてしまっているのだろう。
 どんなに拒絶されても、それこそ嫌われてしまってもここで逃がすわけにはいかない。
 ゆっくりと、だが慎重に。
 逃げ道を塞ぐように銀時へと近付く。

「なンで、てめーは海の中にいるンだ。溺れるぞ」
「こんな浅瀬で溺れるわけないじゃん」
「俺が心配してやってるうちに、帰るぞ」
「やだ」

 ごほ、っと銀時が咳き込む。
 苦しそうに咳をしながら、高杉を拒絶するのは忘れない。

「やだ、くんな、見んな」
「……銀時…っ、」

 腕を掴んで振り向かせる。
 銀時の口元には、今吐いたばかりの薄紅色の花びらが張り付いていた。
 その花びらに触れようと指を伸ばしたら、驚くほど激しく弾かれる。まだこんな力が残っていたのか。
 花びらに触れるのを諦め、迷ったすえに少しばかり高い位置にある銀色の後頭部に手を伸ばして、視線を無理やり合わせようとする。
 掴んだ後頭部も、高杉を見ようとしない、伏せられた赤い瞳も、すべてが熱を宿して熱かった。

「やっぱり、てめーの花か」
「ちがう」
「今、口から出てきただろーが」
「ちがう、ちがうから」

 触らないで、と小さな懇願。
 何をいまさら。
 すべてが遅いというのに。まだ誤魔化せると思っているところが可愛い。
 ぺろっと、舌を伸ばして花を舐める。
 海水が掛かってしょっぱいはずなのに、その薄紅色の花びらはとても甘かった。

「甘ェな」
「なにやっちゃってんの!? 花吐き病って感染しちゃうんだよ、ばかじゃねーの!」
「…っと、」
「はぁ!?」
「やっと、俺のこと見たな。銀時」

 海水にまみれて、うるんだ赤い瞳が見開かれる。
 こんな銀時を見れるのは自分だけだと思うと気分がいい。

「誰に恋してンだ」
「……誰だって、いいだろ」
「死病だぞ。早く告白してケリつけろ」
「…………やだ」

 両思いになれなければ死んでしまうのだ。
 そりゃ慎重にもなるか。
 ──だが、他にも理由がありそうだ。

「告白して玉砕するぐらいなら、黙って死んでやる」
「玉砕するって決めつけるンじゃねェ。両思いになって、成就するかもしれないだろ」
「絶対に、ない」
「……無理そうな、相手なのか」

 銀時の表情から伝わってくる、絶望。
 叶うことなく、消えていく想い。
 それならいっそ、告白せずにその想いごと消えてしまおうと考えるのも解るが。
 はいそうですかと、このまま死なせるわけにはいかない。

「俺はてめーを死なせたくない」
「……」
「どんなヤツとでも両思いにさせてやる。……ンで、奪ってやらァ」
「……う、ばう?」
「略奪愛も悪くねェだろ?」
「──……、ぎ」
「あァ?」
「……たかすぎが、すき」

 今度は高杉がその双眸を見開く番だった。
 ちゅっ、と可愛い音とともに、銀時の柔らかい唇が高杉に触れる。



 大切なものをなくしました。
 こんなはずじゃ、なかったのに。
 このまま、その想いごと消えてしまうはずだったのに、泡になって消えることも、花を吐き続けて死ぬこともなくて。
 そっと触れて離れた唇に、再び唇を重ねられてしまい。
 視界を遮られて。
 呼吸を奪い尽くされて。
 生ぬるくて潮くさい波の中で、目の前のイケメンな幼なじみに初恋ごと、俺のすべてをどっぷりと奪われました。



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