紅葉白狐


 少し風が冷たくなってきた。
 ──…夏が、終わろうとしている。
 体調不良で寝込んでいるうちに、夏は通り過ぎて秋へと移り変わろうとしているようだ。アケビの実は小さいながらも蔦にぶら下がり、とても鮮やかに咲いていた向日葵は色褪せて重そうに花をもたげているし、いつの間にか田の畦道には彼岸花が咲き連なっていた。白と赤の彼岸花は誰かを連想させるので好いているのだが、いかんせん毒があるので万が一にイタズラ盛りの可愛い子狐が何かしでかしてしまうかもしれない。触れないように注意しておかなければ。
 そんな彼岸花の隙間から、ススキも目立つようになってきた。お月見には欠かせないとはいえ、子狐がススキを片手に探検だとあっちこっち出歩くようになってきたので実は気が気じゃない。大人しく松陽先生の家に引きこもっていればいいのに。
 たかすぎ、と、小さな子狐の愛らしい手が必死に高杉の着物の裾を握りしめ、とてとてと高杉のいく先々に付いて回っていたのは記憶に新しい。あれは贔屓目を抜いても可愛かった。屋敷の中、どこにでも付いてきて、何もないところでころんと転んでは泣いてしまって。高杉に抱っこされて泣きやんで眠るまでがいつもセットだった。
 今ではなかなか泣かないし、好奇心旺盛でどこかへ勝手に行ってしまう。

「最近、どこへ出掛けてンだ」
「でかけてないよ。ぶらぶらしてるだけ」
「俺には会いに来ないで?」
「たかすぎにあいたいけど、みずうみにいきたくないんだよ」
「あァ、そうか。水が苦手だったか」
「にがてじゃない! きれいだけどこわいの!」
「はいはい」
「はい、はいっかい!」
「はァい。じゃあ、俺が会いに来るからあまり出歩いてくれるなよ」
「うん? わかんないけど、わかった」
「そこははいって言えよ」
「はぁーい」

 弁が立つようになった子供は扱いにくい。約束したのに、銀時は高杉にバレないようにこっそり松陽先生の屋敷周辺を探索している。行動範囲は日に日に広がり、森や草原、その先の人里まですぐに行けるようになってしまうだろう。
 誰にも見せたくないし触られたくもないのに。いっそのこと箱にでも閉じ込めてしまいたいが、前の銀時ならまだしも可愛い子狐にそんな無体は出来そうにない。
 子供の成長とはこんなにも早いものなのか。少し、惜しい気もする。早く大きくなってくれないと何もできないが、今の小さく可愛い子狐の銀時がずっと続けばいいのにと相反することを思ってしまう。
 ──どちらも銀時は銀時で、根本は何も変わりはしないのに。
(そう、記憶がないだけで何も変わらない)
 しばし記憶が戻っているのかもと錯覚するが、そのあたり神経質になっている子狐のために触れないでいる。


 秋といえばお月見だ。生前の銀時も今の子狐の銀時も月見より食い気で、団子がないと意味がないとのたまっている。満月の月夜、静かに月見ではなく餅つきをするようになったのは百パーセント銀時のせいだ。銀時本人はとても楽しそうだが、楽しいのは子狐だけで、重い杵でずっと搗き続ける高杉にとっては重労働だ。楽しそうな銀時のために去年は耐えたが、今年は街へ下りて月見用の団子を買ってきてしまおう。
 団子はさておき、高杉の墓に変わったことが続いている。
 最近、人は誰も訪れない山奥の湖のほとり、そっけなく墓石を模した四角い花崗岩が置かれた無名の高杉の墓に、気付くと供え物が置かれるようになったのだ。
 最初は悪戯かと思って処分していたが、それは増えることもあるが同じ物で。
 高杉が処分してもすぐに新しいものが供えられている。
 それは供え物の常套である仏花や線香ではない。そこにでもあるようなススキで、しかも高杉が離れた一瞬の隙に供えられているのだ。
 銀時の墓の管理と一緒に高杉の墓も一応管理をしているが、特に供え物はしていない。銀時ならともかく、自分自身に供えるのは無意味な気がするからだ。
酔狂な万斉や来島が定期的に煙管用の刻み煙草や酒などを供えるので有り難く戴いているが。

「──…ススキ、ねェ」

 銀時、ではない。
 銀時ならいつでも大歓迎だが、探った限り湖へ来るのに抵抗があるようでまだ未探索のようだった。
 なら誰が、なんの目的で供えているのだろうか。
 万斉も来島も、なんとなく犯人を知っているようだったが、二人とも高杉に教える気はないようで。言葉を濁してそそくさと湖へ逃げ帰ってしまった。
 だからこうして、銀時にも会いに行かず、湖にも戻らず、自分の墓に張り込むという意味の解らない無駄な行動をするハメになっている。
 草むらに座り、煙管をくゆらせるのを我慢し、気配を消して隠れ待つ。今現在、銀時の墓には千日紅を供えてあるが、無名の高杉の墓前に供え物はない。供えるにはうってつけのシチュエーションだ。
 ススキはこの辺りに自生しておらず、松陽先生の屋敷近くの草原に大量に生えている。もしかして銀時が来ているのかも、と少し期待していたのに残念だ。

「…会いてェなァ」

 もう二日も銀時に会っていない。
 こんな無駄な行動を止めて、早く銀時に会って構い倒したい。
 ぴこぴこ小刻みに動く狐耳から頭全体を撫でて、毛艶の良いふわふわの尻尾も撫でて。高杉の膝上で丸まって、いつもはまるっと大きな赤い瞳を気持ちよさそうに細めて高杉だけを見つめる子狐を想像して、衝動に揺れ動かされそうになる。
 ──ダメだ、ダメだダメだ。
 犯人(?)をとっ捕まえるまでの辛抱だから、もう少し待ってみよう。あと五秒待って来なかったら諦めて銀時に会いに行こう、と。
 高杉が五秒も待てずに立ち上がったその時、草むらの奥が微かに揺れた。 

 ゆらゆら揺れるススキ。
 それは棒のような、剣のような。未知の物体をつついたり、攻撃するためのものだったりと用途は様々で。長くて折れにくそうな、選りすぐった中でも選び抜かれたススキを持つことにしている。
 そのススキを、最後に置く場所は決まっていて。
 どこへ行っても、どんな冒険をしても。
 ──そう、冒険の終着地点はいつもここだ。

「またきたよ、たかすぎ」

 持っていたススキと、つやつやの傘が付いたドングリをころころんと墓石の前に置く。よく見ればススキは鋏ではなく狐火で焼き切って持ってきていたらしい。少し焦げ跡が残っており、供えるというにはいささか乱暴な気もするのだが。
 そんな些細なことなど気にせず、子狐はこっちのドングリの方がきれいかも、こっちは小さいな、と供える団栗を選んでいる。

「なにやってンだ、てめーは」
「たかすぎ!」
「……銀時、か。てめー、湖は怖いから行きたくないって言ってたじゃねェか」
「みずうみはなんかいやだけど、ここはへいき」
「なンで」
「だってみずうみじゃないし、たかすぎもいるし。なあなあ、たかすぎはどのどんぐりがいい?」

 銀時がななめに背負っていた風呂敷をどすんと下ろす。中身はどんぐりだけではないようだ。すいぶんと重量級の音がした。
 ごそごそと銀時が風呂敷を広げると、そこには子狐が背負ってきたとは思えない、大量のサツマイモと団栗が入っている。

「いいものみつけたんだ!」
「いいもの?」
「じゃーん!!」
「──…団栗、か」
「きれいなどんぐりでしょ? やっぱりこれがいちばんとんがってるかな」
「あんがとな、銀時」
「どういたしまして。あと、やきいもしよ!」
「いや、二人分にしては多くねェか?」
「えっとね、いろんなところでもらった」
「色んなところ?」

 てへっと笑う銀時から、出所不明の大量のサツマイモを受け取る。

「誰から貰ったンだ」
「えー、おしえなきゃだめ? なまえなんておぼえてないしさ」
「ンな危ないやつ、食うわけにはいかねェな」
「おぼえてる! おぼえてるから、すてちゃだめ!」
「じゃあほら、早く言え。銀時」
「えっとね、あ、おおぐしくん!」
「──…誰だそりゃ」
「ほんと、なまえはおぼえてないってかしらないんだってば。なんかずっとわらっててやばそうなカマイタチとヌエと、ネコムスメとおおきなイヌと、ゴリラとカラステングと、ちょうはつのヅラのきゅうびと、グラサンと、」
「遭遇しすぎだろ」
「あったらにげてるから! だいじょうぶ!」
「サツマイモ受け取ってる時点で大丈夫じゃねェだろ。すぐに俺を呼べ」
「だいじょうぶなのにー」

 笑っててヤバそうな鎌鼬と鵺はきっと沖田と神威だ。確かにアイツらは戦闘狂で危険だが、妖力がない一尾の子狐に手を出すほど落ちぶれてはいないだろう。…違う意味で、手を出すかもしれないが。
 猫娘はいつも化け犬と一緒にいるチャイナ娘のことか。
 ゴリラと烏天狗は近藤と土方か。松陽先生の屋敷近辺は活動範囲外のはずだから、銀時は随分と遠出をしているのかもしれない。グラサンの万斉だって、湖から離れて生活はしていないはずなので、なかなか会えないはずだ。
 そして桂。あいつに紹介する機会を無くして清々していたが、さり気なく会いに来ていたのか。もふもふが好きだと公言しているので絶対に会わせたくなかったのに。ちゃっかり餌付けまでしやがってヅラのくせに。あの長髪毟ってやる。
 あれこれ考えている高杉をよそに、銀時はごそごそ落ち葉を集めて焼き芋の準備を進めていた。山奥とはいえもみじはまだ青く、紅葉には少し早い。落葉もまだそんなに散り積もっていないので、焼き芋をするには燃やす素材が全く足りないのだが、焼き芋気分の銀時は止まらない。

「たかすぎ、ひをつけて」
「いや、落ち葉が足りねェだろ」
「そこはかりょくで!」
「──…銀時」
「ん? どうしたの、たかすぎ」
「俺が火を使ってるとこ、見たことあるか?」
「え? だってそのきせるのひを、」

 煙管の火をいつも点けているのはマッチだ。流れる所作で、手際よく点けていたので気にとめたことなどなかったが。
 高杉が火を操っているところを、銀時は見たことがなかった。
 
「俺は蛟の性質が強いらしくてなァ。水を使えるが火はとんと使えねェ。消すのは任せろ」
「けしちゃだめだし。きつねびも?」
「狐火も出せねェし、逆に火に当たると火傷する」
「…じゃあ、れんしゅうしよ!」
「はァ? 俺の話を聞いてたか、銀時」
「きいてた。だかられんしゅう!」
「オイ」
「だってひにあたるとやけどするんでしょ? おれといると、たかすぎケガしちゃうってことだから、きつねびのれんしゅうしよ! ……おれは、たかすぎのそばにいたいよ」
「──…銀時」

 いまにも泣き出しそうな子狐を抱き上げる。
 なんで関係ない銀時が泣きそうなんだ。年を取ると涙腺がゆるむと聞くが、小さな子供も涙腺がすぐ決壊してしまうので困る。
 銀時の泣き顔は好きだが、自分のことで泣かれてしまうと弱い。
 ──高杉が傷付くから離れよう。本当は一緒にいたいのに、傷付けるくらいなら自分から身を引く。銀時とはそういうヤツだった。

「てめーは、死んでも生まれ変わっても変わンねェな」
「なにいってんの? かわったよ!」
「根本は変わってねェ」

 自分を犠牲にして。
 大切なモノをいとも簡単に手放して譲ってしまう。──それは、悪癖。

「もっと欲張れ、銀時」
「よくばる?」
「我が儘を言えってことだ」
「わがまま……」

 高杉を見上げたまま、腕の中の銀時の動きがぴたっと止まる。子狐なりに何かを考えているようだ。
 昔の、以前の銀時と比べると怒られるが、どうしても比べてしまう。ふてぶてしい九尾の銀時はこんなに大人しく高杉に抱え上げられることはなかったし、懐いてもいなかった。
 会うと喧嘩ばっかで、祝言を挙げてもそれは変わることがなかった。
 いや、少し変わったかもしれない。喧嘩することなく、二人で湖を眺める他愛のない時間が増えていたように思う。

「たかすぎ! かたぐるまして!」
「肩車? 高いところへ行きたいなら木に上るかァ?」
「いいからはやく!」
「仰せのままに」

 よいしょ、と抱きかかえていた銀時を持ち上げ、肩に乗せる。いまだに子狐の銀時は軽く、なかなか大きくならない。
 重さを、銀時をあまり感じなくて。高杉が両腕で落ちないように銀時を支えようとすると、銀時は高杉の後頭部にべったり覆い被さった。左手で高杉の黒髪をぎゅっと掴み、右手を伸ばす。
 必死に、銀時の小さな手が伸ばした先にあったのは、緑色のもみじの中に唯一あった、赤く紅葉したもみじ葉だった。

「あれが欲しいのか?」
「おれよくばりだから、がんかけする!」
「願掛け? ご利益があるとは思えねェけどな」
「あのね、ことしはたかすぎとあんまりあそべなかったから、らいねんはひとざとのまつりにこっそりいって、わたがしとりんごあめとチョコバナナとかきごおりをたべて、すいかわりして、はなびして、アイスをいっぱいたべて、それから」
「多いな」
「いっぱいたかすぎとあそぶの!」
「すいか割りならまだ間に合うンじゃねェか。すいかじゃなくて柿とか蜜柑で代用すれば」
「かきわり? かきってちいさいから、ちゃんとあたるかな」
「──…柿潰しになるな」

 かぼちゃ割りは固くて割れないだろうし、銀時の言うとおり来年の夏に持ち越しになりそうだ。
 いっぱい遊びたい、なんて願掛けなんかしなくても、簡単に叶えられるのに。

「本当に、てめーは相変わらず馬鹿だな」
「ばかじゃないし。あ、しょうよういないから、おれがごはんつくる! たかすぎもいっしょにごはんたべよ?」
「てめーに作れンのか?」
「つくれるよ! どんぐりやいたのとか、かぼちゃのたねをやいたのとか」
「…それは料理じゃねェぞ」
「りょうりだよ! たかすぎはつくれるの?」
「作れるに決まってンだろ。魚を焼いたり、卵を焼いたりだな」
「おんなじレベルじゃね?」

 耳元で騒ぐ銀時は届かなかったので、代わりに高杉が赤いもみじの葉を取る。緑ばかりのもみじの中から、よく見つけたものだ。取った葉を翳せば、銀時の手と同じくらいの、小さくて可愛らしいもみじ葉だった。
 その小さい葉を、大切そうに、しかし落とさないようにぎゅっと銀時が掴む。

「ほら、金木犀の花が咲いてンぞ」
「キンモクセイ?」
「その小さな橙の花だ」
「これがはな? とってもいいにおいしてる」
「──…散華、」
「なぁに、たかすぎ?」
「前に散華したのを覚えてるか」
「うん、おぼえてる。けどあれは、しろいはなじゃないといみがないから」
「…白い、花」
「たかすぎがかなしむのも、うれうのもしろいはなだから。だから、またユキヤナギがさいたらさんげしよ?」

 ひらひら散るのは、白い花。
 ──もう悲しくない。寂しくない。
 冷たい雪が降って、凍える冬が来ても。その後には銀時と出逢えた春が来るのだから。
 寒くてもずっと隣には銀時がいるのだから。

「──…あァ、俺の代わりに泣いてくれ」

 かぷっと、高杉の髪を掴んでいた銀時の左手を噛む。なんとなく噛みたくなっただけだ、深い意味はない。甘噛みだから痛みもないはずなのだが、逆の手で銀時に叩かれる。
 ちょっとした悪戯だったのに、酷くないか?
 振り向いて盗み見た銀時の顔は、持っているもみじよりも赤く頬が染まっていた。



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