死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。


 時折、彼は思い出す。もう十年以上前になる最後の記憶は、苦しみだったことを。
 よく晴れた昼下がりに、大木に寄りかかって目を閉じることの心地良さを感じる今、しかし思い出すのは苦痛や憤懣に満ちた、"前世"の暮らしだった。
 自らが築き上げた秩序を悉く無法者に破壊され、だが何もかもを投げ出す訳にはいかなかった日々。自分の双肩には多くの生徒の日常がかかっていた。あの混乱の中、どれだけ生徒達に被害を齎さず護ってやれるか。
 彼はたった一人で混沌と戦っていたが、決して、孤独だと思ったことはなかった。苦しさが降り積もるだけの生活の中で、流言に惑わされず自分を支えてくれる生徒達がいるということだけは、彼の幸せで、喜びだった。
 今彼らはどうなってしまったろうか。自分が死んでしまって、あの学校はどうなっただろうか。きっと、自分を継げる男は現れず、ただでさえ荒れていた学園はさらに辛い場所になってしまったことだろう。
 眉を寄せて、もう届かない世界へ、すまないと詫びた。彼は毎日、遺して来てしまった生徒達に懺悔する。災いの種が卒業して消えても、災禍の爪痕はきっと消えない。後輩達には、ひどい学園を渡してしまった。

「う゛お゛ぉい、XANXUS! こんなところにいやがったのかぁ」

 けたたましい少年の声に、彼は嫌々瞼を開ける。反応を返さないと、いつまでもうるさいので。

「……何の用だ、スクアーロ。その後ろの金髪は何だ」

 目を開けると、銀髪と金髪の視界に煩い二人組が映った。

「知るかぁ。勝手に人の後ろをついてきやがるんだぁ」
「だ、だって俺、スクアーロともっと仲良くなりたいし……」
「だーっ! うぜえぞぉ、このへなちょこ!」
「るせぇ……」

 銀髪の少年――S・スクアーロは、特に何かしたわけでもないのに彼の周りをうろちょろとしている。堂々と現れる辺り、今も物陰からこちらを覗いているストーカー紛いのレヴィ・ア・タンよりはマシだと思うが、どちらにしろ彼にとって鬱陶しいことには変わりなかった。

「……へなちょこの金髪。テメエ、キャバッローネのディーノか」
「えっ?! あ、う、うん……君は……XANXUS、だよね……。ボンゴレ十代目の」
「候補だ。十代目じゃねえ、カス」
「あ、ご、ごめんっ」

 わたわたと傍目に面白いほど慌てるディーノを横目に、彼はひとつ舌打ちをする。
 ――XANXUS。そう呼ばれることにも慣れてしまった。馴染みのない名前でありながら、馴染もうとしている、三つ目の名前。
 元々は、前世とはまた別のイタリアではありふれた名前で呼ばれていた。最初につけられた名前は、個人を個人足らしめる呪ではなく、それは単なる――そう、呼ぶのに不便だからつけられた……程度の"識別名"だった。
 だからだろうか、彼は識別名に縛られることなく、いつまでも彼だった。前世から引き継いだ記憶にある名前に縛られ、彼はずっとこの世界に馴染まなかった。
 だが、彼がXANXUSと名付けられてから――掌から溢れる光球の炎を"母親"に見られてから――は、彼は少しずつこの世界の住人になっていった。母親の"彼は自分とボンゴレ九代目の息子だ"という妄執は呪となり、彼はXANXUSという名前を受け入れ、世界に受け入れられていった。今は、前世の名前がどう言う物だったかは、欠片も思い出せずにいる。

「……う゛お゛ぉい。どうしたぁ、XANXUS」
「るせぇ。テメエはいっぺん口を縫い付けられろ、カスザメ」
「なッ! 何だぁ、薮から棒に!」

 築いた秩序を壊した暗愚が甲高い声で常に喚いていたのを思い出すから、スクアーロの声の大きさは彼にとって些か不愉快な物だった。
 けれど、許可もなく隣に腰を下ろしたスクアーロという存在自体には、さほどの不快感はない。

(あのクズにつきまとわれたら、どんな人間でもマシに見えるぜ。……っつうか)

 自分をボンゴレ十代目と呼んだ金髪を、彼はちらと一瞥する。ディーノは見られていることには気付かずに、スクアーロの前に立ったままおたおたしている。自分も隣に座りたいが、嫌がられないだろうか怒られないだろうか……というところだろう。

「……おい」
「え?」
「目の前でウロウロすんじゃねえ。目障りだ」
「あ、……ご、めん、なさい……」
「座りてぇなら勝手に座れ。誰に押し掛けられても、人ンとこに押し掛けてるカスにゃ、文句を言う権利はねえンだからよ」
「なっ、お……誰が誰に押し掛けてんだぁ!」
「テメエが、俺にだ。このクズザメ」
「なあぁっ!」

 隣で喚くスクアーロを丸ごと無視して、もう一度ディーノに座れと促す。幼くて頼りない顔は見る見るうちに喜色でいっぱいになって、それははじけて笑顔になった。
 ディーノはいそいそ、何故か彼の空いている隣に膝を抱えて座った。てっきりスクアーロの隣に座るのだと思っていた彼は、ほんのわずかだけ瞠目する。

「えへへ」
「う゛お゛ぉぉい、へなちょこ! 何XANXUSに懐いてんだぁ! こいつは俺のボスだぞぉ!」
「で、でも俺はボンゴレ同盟ファミリーのキャバッローネ十代目なんだから、ボンゴレ十代目候補のXANXUSと仲良くしたって、部下のスクアーロに怒られる筋合いないじゃん!」
「あ゛ぁぁ?! てっめ、マフィアのボスになんかなりたくねーってピーピー泣いてんだろがぁ! こんな時だけ跡取りの椅子利用してんじゃねえぞぉ!」
「だってマフィアのボスって怖いじゃないか! 人殺さなきゃならないし人殺させなきゃならないし人脅さなきゃならないし強面の人とたくさん会わなきゃならないし!」
「ンなことにビビってんじゃねーぞぉ、このへなちょこがぁ!!」
「――るせぇっ! 人を挟んで怒鳴りあうな!」
「おぶっ……! っちょXANXUS、何で俺だけ殴るんだぁ……!」
「黙れカス。つーかいつ俺がテメエのボスになった!」
「最初っからだぞぉ! 言ったはずだぁ、XANXUS。俺はお前のその怒りに惚れ込んだんだぁ! 俺のボスになるのはお前しかいねぇ、俺はお前のためにしかこの剣を振るわねぇ!」
「お前は心の底から気持ちが悪い。海に行ってカスザメに共食いされてこいカスザメ。そもそも誰が十代目になると言った面倒くせぇ」
「はぁ?! な、何言って……」
「どういうことだ、ボス! ボンゴレ十代目に相応しいのはボスしかいないというぶっふぁ!」
「消えろストーカー」

 影で盗み聞きしていたレヴィが驚きの速さで迫って来たが、彼は丁度良く転がっていた石ころを、レヴィの頬めがけてぶん投げた。勿論それは命中して、レヴィの意識を遠いどこかへと連れて行った。

「俺は一言も、ボンゴレを継ぐなんて言ってねえ」
「で、でもXANXUSは九代目の息子なんでしょ? だったら他の候補より適任なんじゃ……」
「そうだぞぉ、XANXUS。お前じゃなきゃ、一体誰がボンゴレを継げるんだぁ」
「知るか」

 そんな事は九代目に聞け、と少しだけ含ませて切り捨てた。
 本当に――九代目は一体何のために彼を実子だと公言したのだろうか。"XANXUS"と血の繋がりがないことなど、九代目自身が良く知っているだろうに。

(チッ……あの狸ジジイが……)

 肚に何を隠しているのか分からない、あの好々爺を装った顔を思い出して、彼は不機嫌に顔を顰めた。


死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。
――ドゥワミッシュ族の格言


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