穏やかな日々の陽は暮れて
ツナのベッドを占領して、掛け布団を抱き枕がわりに丸くなる。つっても現在のベッドの所有権は俺にあるのだが。
ローテーブルでは、ツナがリング戦中に溜った学校の宿題に大苦戦中だ。
「さっさと終わらせろ、ドカス」
「ひいっ! そ、そんなこと言われたって……」
問題なく日常生活を過ごせるまでに回復した俺は退院して、現在は沢田家にステイ中である。
なんでかって? それは俺がツナの家庭教師第二号だからです。
リボーンがスパルタなので、俺はやさしめに教える係――だったんだけど、そのリボーンが生温いというから既に御役御免状態だ。
ってわけで、俺の家庭教師としての役目は、リボーンの不在中や昼寝中などにツナが勉強をサボらないように、という見張り役になっている。もはや家庭教師とかじゃない。
受ける謂れもないよなと思いつつ、争奪戦の裏事情を知った家光に誘われるままに頷いたのは、スクアーロに会い辛いというのが最大の理由だった。
あれ以来スクアーロは見舞いにもこなくて(当然っちゃ当然か……)、俺が日本に残ってからも仕事の電話はするけど一貫して"ボス"って呼ぶし。
(なんてゆーか……自分が招いたことだけど……辛い)
俺は俺が思っていたより、スクアーロに"イクス"と呼ばれることに安堵とか、喜びとかを感じていたんだと思い知らされる。
――好きだよ、好きなんだよ、スクアーロが。思えば、だからこそ本名を明かしたんだ。だからスクアーロに知っていて欲しかったんだ。俺は、XANXUSじゃないんだって。
(必要ないなんて、一時の激情に任せて言うんじゃなかった)
会いたい。会って謝りたい。謝らないといけない。
口に出してしまったことは、何があっても取り消せない。もう恋人には、きっと戻れない。またもう一度、なんて虫の良い話だろう。俺はあの日スクアーロの総てを受け取ったのに、それを身勝手な感情で投げ捨ててしまったから。
いまの俺は投げ捨てたものを拾い直したけれども、どうしたらいいのかわからずに、手に持ったまま右往左往している状態だ。
(スクアーロ……)
初めてされたキスだとか、あいつはセックスがヘタだったとか、だから初めてのセックスは殆ど喧嘩だったとか。スクアーロをテクニシャンに育て上げるのには随分苦労したとか、そんなことを思い出していたら目頭がじわりと熱くなってきた。
思いを重ねなければ、きっと知らないままだったことが、たくさんあった。知らないということも、知らないままだったろうことが、ほんとうに、たくさん。
泣いてるって気付かれんのも嫌だから、もそもそと布団を頭から被ってしまう。
「ザンザス? ……寝るの?」
ツナが心配そうに声をかけてきた。
超直感があるからか、リング戦中まみえた俺とはどこか違うと、ツナは気取っているらしい。見舞いに来たらしいあの日、俺とスクアーロの口論に立ち会ってしまったからというのもあるだろうが。あのとき俺、ディーノやツナがいるのに素になってたし。
ツナの声には答えず――答えられず、のほうが正しいか――布団に目を押し付けて涙を吸わせていると、階段を上がってくる二人分の足音がきこえた。
足音は部屋のすぐ前で止まり、今度は扉がノックされた。ツナが返事をしてから開いたドアのむこうにいたのは、どうやら獄寺と山本だったらしい。
「十代目! 助太刀に参りました!」
「よっ、ツナ! 一緒に宿題やろーぜ!」
「獄寺君、山本! よかった、助かるよー……!」
果たして本当にそうだろうか。獄寺の理論指導にツナはついていけるのか。山本はやれば出来る系男子だけど、たとえ問題を理解したって擬音で説明するし。そしたらツナは余計わかんないだろ。
「なっ?! 十代目のベッドを占領してやがんのは誰だ! 即刻立ち去れ、じゃねーと果たすぞ!」
「ひいっ! ご、獄寺君いいから!」
「しかし、十代目!」
「はははっ、元気なのなー」
……ひとがセンチメンタルな時に、うっせーんですけど。涙も引っ込んだよ畜生。
あとこのベッドはいまは俺のだ! ツナが「布団よりベッドのがいいよね……?」と言ったから。
「……るせェんだよ」
「あ?! てめっ、ザンザスか……! さっさと十代目のベッドから出て行きやがれ! つーか十代目のお部屋から出ていけ!」
「獄寺君、いいんだってばー! 部屋でダイナマイト取り出さないでええ!!!」
「ですが……!」
「まーまー、落ち着けって、獄寺。俺らが強くなれたの、ザンザス達が悪役演じて、リング戦吹っ掛けてくれたからだろ?」
「だからって、部下の分際で十代目のベッドを使うなんざ、烏滸がましいにもほどがあるだろ!」
「部下とかそんなのないからー!」
ああもう、ほんとうっせーな。
布団の中で苛立ちのはっきりあらわれた溜息をついて、ベッドから起き上がる。ツナがまた短く悲鳴を上げた。
乱れた髪を手櫛で簡単に直しつつドアに向かうと、意外にも山本が呼び止めた。
「あれ、ザンザス、出て行っちまうのか?」
「どこぞの躾のなってねえクソ犬がうるさくて、眠れやしねーからな」
「ッンだと、テメエ……!」
「獄寺君!」
ツナに止めろと言われたにも関わらずダイナマイトを取り出す獄寺を、肩越しに一瞥。
ボスモードは沢田家にいる間は発動しっぱなしだ。ボスを演じる最大の目的である争奪戦が終わったんだから、別にボスモードになる必要もないんじゃないかとは思いつつ。
「俺はダレとは言ってねえがな。そンな過剰反応するってことは、自覚があるらしい。これからはクソ犬って呼んでやるよ、爆弾小僧」
「てめっ……もう許さねえ!」
「やめてよ、獄寺君! ザンザスも挑発しないで! 仲良くしろとは言わないから、無駄に喧嘩するなよ!」
獄寺の前に立ちふさがって抑えるツナに、獄寺は歯を食いしばる。やがて取り出したダイナマイトを懐に戻した。
「……十代目がそう仰るなら……」
「ハッ……」
「ザンザス!」
「るせぇ」
いまにも俺に飛びかかってきそうな目で睨んでるくせに、ツナの言う事には自分が納得してなくても唯々諾々と従ってしまう獄寺を鼻で笑うと、ツナに厳しい声で名を呼ばれた。いざとなると毅然とした態度も出来るんだな。
「なー、ザンザス」
どっか静かに寝られるところを求めてドアノブに手をかけるなり、また山本に呼び止められた。ええい、なんだこの天然ボーイは! 俺じゃなくてスクアーロに興味抱いてろよ! 山スク万歳! スクアーロは好きだが萌えとは別物である。
無視して出て行っちゃえばいいのに、わざわざ立ち止まってやる俺も俺だよ。
「……なんだ」
「ツナや小僧たちから、争奪戦があんたの計画した、俺達の強化プログラムだったって聞いて、ちょっと疑問だったんだけどさ。――なんでザンザス、悪役を演じてまで俺達を鍛えてくれたんだ?」
見上げてくる山本の真直ぐな視線に、ドアノブから手を放す。
――さて、どう答えるか。まさか未来編のことを言う訳にもいかないしな。
「……ボンゴレは最強でなくてはならないからだ」
と、言っておくのが無難だろ。これはXANXUSの思想でもあるわけだし。
しかしこの答えでは今一納得出来なかったのか、山本は首を傾げた。悠々とハンモックで昼寝してたリボーンも、疑わしそうに俺を窺っている。
「……あの、ザンザスがそう思ってる、っていうのはわかったけど……」
恐る恐るといった様子で、ツナが小さく挙手をした。
「なんで今、だったの? 鍛えるんだったら、仮に――仮にだけど! もしもの話なんだけど! 俺が十代目になってから、っていうのじゃ駄目だったのかな」
「そういえば、そうっすね。……おいザンザス、何で今、俺達の強化を図った」
「日本のことわざにあるだろ。鉄は熱いうちに打てっつーようなモンが」
「え、あ……うん、ある……のかな?」
自信なさげに獄寺を窺うツナに、獄寺はあります、と頷いた。
「そういうこった」
「え? ど、どういうこと?」
「そっか! 俺達がぎゅぎゅーんと伸びるうちに、ばばーっとやっちゃおうってわけなのな!」
「成る程。こいつらは今が伸び盛りだからな」
「リボーン! 今のでわかったんだ……」
「わかんねーお前がダメダメなんだ、このダメツナめ」
「んなっ!」
子供は子供で騒ぎ出したんで、今度こそ……と扉を開けようとした俺を、案の定というか何と言うか、また山本が遮ってくれた。なんなんだっつーの! まじで!
「あ、なあザンザス」
「……何だ」
「今度さ、うちに寿司食いにくるといいのな! スクアーロと一緒にさ!」
「……それが出来たら苦労しねーよ」
え、と目を瞬かせる山本を尻目に、俺はドアを乱雑に開けて部屋から逃げ出した。――逃げ出した、としか言いようがなかった。