集え空達 身知らぬ涙よ


 ちょっと脩嶺君校内見回りくらいしてきてよ、と恭弥に呼びつけられて放課後が潰れた。裏密による本日の俺の運勢は、要約すれば「辛そうな野球部のクラスメイトがいたら時間を犠牲にしても助けてあげると運気アップ」。
 校舎の中は一通り巡回が終わって、名前を控えたのは五人程度。誰もが風紀の目をかいくぐるというスリルに目覚めたマゾヒストどもだった。気持ち悪い。
 最後にグラウンドを軽く見て終わりだな、と日の暮れかかる校庭に出る。下校時刻も過ぎようという時間帯だからか、生徒の姿は本当にまばらだった。あんなに賑わしく喧しかった部活動の喧噪も(それでも恭弥はその喧噪が好きなようだった、当たり前だ、部活動もまた奴の愛する並盛中学の一部)すっかりなりを潜めて、校門の方にぽつりぽつりと帰路につく子供の影が見える。
 家路とは一日の終わり、即ちあの影達は今日もまた子供の屍骸に近づいていったわけだ。大人というのは子供の屍骸だから。どれだけ大人ぶっていても恭弥も子供、一足早く裏社会に染まって殺しを知った獄寺も子供。
 かく言う俺は、既に屍骸。沢田脩嶺という新しい人間のくせに中身は緋勇脩嶺、もっと言えば別の名前の人間。これほど奇妙な生き物もねーよな、と先日久々に会った裏密に零したら、

『多分〜、"この世界"の沢田く〜んは〜、脩嶺く〜んだった〜、あなた〜じゃないとならなかったの〜。この世界"では"〜……ね〜。……うふふふふ〜』

 と、やけに意味深な言葉を口にした。ああ平行世界ってやつか、じゃあ他の世界には"俺"じゃない沢田脩嶺がいるのか。裏密が高校時代いつも抱いてた、口の縫い付けられた赤いおさげの人形を両手で掲げて眺めながら言った俺に、裏密は怪しく笑うだけだった。いや、笑った後あいつはやっぱり俺にはまだ理解の及ばないことを言った。

『平行に繋がる異世界を覗くは〜、母なる大海を抱く大空〜。其は創世の一角を担う者なり〜。脩嶺く〜んは〜、大地を抱擁し時の継承に生きる大空〜。其もまた創世の一角を担う者〜』

 裏密曰く、大地の大空と海の大空のほかにもう一つ、虹のかかる大空というものが存在して、この三つが擁する六つの天候、つまり大空を含めた七つずつをトゥリニセッテ、と言うらしい。
 ンなことよりも俺は、裏密に今生もまた戦わざるを得ないし戦いはやがて柳生との戦いと同等かそれ以上の激しい物となるだろう、と言われたことが気にかかるんだが。あいつの占いって、滅多に外れねえから。
 平穏と仲良く暮らすのはとうに捨てた、だがたかがマフィアの抗争で、敵も味方も人外の力使いまくりだった柳生との戦い以上の苛烈さなんてあるだろうか。だってマフィアも所詮人間だろう。人間同士の戦いは、人ならざる力を持った者との戦いとはまったく別物だ。俺の額や掌に宿る死ぬ気の炎はボンゴレだからこその恩恵で、他の人間が何の媒介もなしに灯せる代物ではないと聞いた。

(……まァ、裏密の占いじゃまだ先の話らしいし、気にしててもしゃーねーか。――……?)

 意味をなくしかけた思考を取り払った直後、一定の重量を持ったものを振るう音が聞こえて来た。
 空気を分かつ音の発生源だろう方向――野球部の領域――に目を向ければ、そこには黒い短髪のクラスメイトの姿があった。中一にしてはデカい、ひたすらにバッドを振る男。納得いかなそうに、心底辛そうに悔しそうに腹立たしそうに、そいつは無言で素振りを続ける。

「――山本武」

 息を切らす山本の近くに寄って、声をかけた。どうにも、放っておくには深刻すぎる様子だったので。
 俺の気配に気付かなかったらしい山本は、俺が呼ぶと心髄からの驚きにヤサい顔を染めた。

「何だ、沢田かー。びっくりしたのな」
「居残って一人練習か、精が出るな」
「あ……まあ、な。沢田は何で残ってんだ?」
「風紀の巡回。熱心なのはいいが、もう下校時刻過ぎんぞ。とっとと帰れ、俺は俺のクラスの奴に手ェあげたくねーんだから」
「……なー、沢田」
「何だ」

 山本は、俺を呼ばわったは良いが、ひどく言いにくそうに口を開いたりつぐんだりを繰り返している。
 俺は急かすでもなく、ただ山本が切り出すのを待つ。結局山本が本題に入ったのは、ちょうど一分してからだった。下校時刻まであと、二分。

「あのさ、どんだけ頑張って練習しても、どうしてもうまくいかねーって時、お前ならどうする?」
「……スランプか」
「ん? よくわかんねーけど、そうなのかな。俺、野球始めてから初めてスタメン落ちしそうでさ……。すっげー練習してんだけど、調子下がる一方なんだよな……。こんなとき、沢田はどうしてるんだ?」
「休む」
「え?」
「そのことから一旦手を引くな。体力と筋力が落ちねーように基礎トレだけはするが」

 俺の返答が意外だったのか、山本はぱしぱしと目を瞬かせる。

「でもよ、休んじまったら腕落ちるんじゃね?」
「練習しても落ちてんだから、大差ねえだろ」
「でも……」
「――昔、言われたことがある」

 ――いいかい脩嶺。武術に限らず、君が長く続けることには、必ず伸び悩む時期が来る。思い通りに身体が動かなかったり、思った通りに結果を出せなかったり。そう言う時は休みなさい。決してその状態で高みを目指そうと躍起になってはならない。調子を戻そうとするのも良くない。何故なら君はそのとき、君自身によって心身を休めなさいと言われているのだから。無茶をすれば逆に身体を壊してしまうしな。

「自らの内なるものが発した、休みたいという声なき声を、なかったことにしてはならない。彼は君自身故に、誰よりも君の心と身体の具合を理解しているのだから――、だそうだ」
「俺自身が……? だから調子が悪いのかな? スランプって休めってサインなのか?」
「俺の師範の持論だけどな」
「沢田って、何のスポーツやってるんだ? 剣道とか?」
「ちょっとした古武術。……ま、そーゆーわけだ。今は休んどけよ、山本。そうしたらお前の中のお前って相棒も元気になって、野球を楽しめるようになるだろーからな。お前、スタメンでいるために野球やってんのか?」
「……いや、違ーよ。俺は好きだから野球やってんだ。楽しいから――……あ、」

 その時の山本の表情といったら、虚をつかれたというか、目から鱗が落ちたというか、まあそう言う類いの顔だった。大切なことを忘れてた、忘れちゃいけないことを忘れてた、っていう。
 大口あけて呆然とする山本。校内のスピーカーから下校時刻になったという放送が流れて来た。ああやべ、早く巡回済ませて報告しねーと恭弥に一戦持ちかけられる。

「だったら、無理に練習して怪我する方が、スタメン落ちより大事だろ」
「……だな! そーだよな、思い詰めて無茶すんのは良くねーよな! サンキュー、沢田!」
「分かったらさっさと帰り支度しろ、終わるまで待っててやるから。風紀の俺が一緒にいりゃ咎められねーだろ」
「おう、サンキュ! ――あ、なあ。沢田のことさ、脩嶺って呼んでも良いか?」
「好きにしろ」
「おう! じゃあすぐに片付けて着替えてくるから、一緒に帰ろーぜ、脩嶺!」
「わーったから早く支度しろ」
「ああ!」

 頷いた山本の笑顔は素晴らしく晴れやかで、ああいうのを憑き物が落ちた、というんだろうと。俺は部室に駆けてゆく山本の背中を見ながら思った。


(やったな、脩嶺。これで二人目のファミリーだぞ)
(…………、あ?)

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