飲み込まれないように
ボンゴレ十代目に最も近い男と評される、九代目の息子が毒殺されかけた――というニュースは、瞬く間に裏社会に広がった。主犯はボンゴレ内部の人間で、ティモッテオの三人の甥のうちの一人を支持する男だった。彼や毒殺未遂に関わった者は、残らず独立暗殺部隊ヴァリアーによって抹殺されている。
一命を取り留めたザンザスも快癒して、どことなく沈んでいたボンゴレ本部も日常に戻るかと思われたが――。
「う゛お゛ぉぉい、ザンザス! いい加減出てこい! いつまで閉じこもってるつもりだぁ!」
本部にあるザンザスの私室のドアを、ヴァリアーの隊服に身を包んだ銀髪の少年――S・スクアーロが乱暴に叩く。あまりに強い力で叩くものだから壊れそうに思えるが、イタリア最大のマフィア、ボンゴレファミリーの本部ともなれば、そうそう簡単には壊れない。
「ザンザス!! ここを開けろぉ!」
「何をしておるか、スクアーロ! ザンザス様は体調が優れないのだぞ!」
その頑強なドアをいよいよ壊してやろうと思い始めたスクアーロのところに、同じくヴァリアーの隊服を纏うレヴィが駆け付けて来た。
扉を殴りつけるスクアーロの右腕を掴もうと手を伸ばしたレヴィを、スクアーロは睨みつけて渾身の力で蹴飛ばした。獰猛な鮫の一撃を呆れるほど見事に貰ったレヴィは、背中から廊下の壁に激突した。
「なにが不調だぁ! 毒はとっくに抜けて、後遺症もねーんだろうが!」
「し、しかし……」
「しかしもクソもねぇ! ――う゛お゛ぉい、ザンザス! テメー何してやがんだ、出てこいって言ってんだろ゛!!」
ザンザスの殺害未遂からおよそ一月が経とうとしている今なお、非日常は本部に居座っている。
――ザンザスが、私室に閉じこもったまま出て来ないのだ。誰とも会おうとせず、世話役のメイドさえも部屋に入れない。食事はどうしているのかと、ファミリー内で心配する声も上がっている。
ザンザスは、彼を案じておとなう人のドア越しの声に返事をすることさえない。スクアーロやレヴィはおろか、果てには父親のティモッテオであってもだった。
だからスクアーロは、いい加減に強硬手段に出ようとしている。扉が開かないなら、破壊してでもこじ開けるだけだと。
S・スクアーロは、ザンザスが部屋に引き蘢って以来、未だかつてないほど激怒していた。ザンザスが閉じこもっている時間が長くなればなるほど、比例して怒りのボルテージも上がっていった。
「たかが殺されかけたくらいで何だぁ! 俺の知ってるザンザスは、こんなことでへこたれるよーな奴じゃねーだろぉ?!」
「貴様、スクアーロ! たかがとは何だ!」
「うるせぇ、ムッツリ! こんくらいでへばってたら、この先身も心も保たねーだろうが! う゛お゛ぉい、聞いてんのか、ザンザス!」
ザンザスの名前を呼ばわると同時に、一際強くドアを殴る。が、いっかな部屋の主の声は、幽かにも耳に届くことがなかった。
だん、とスクアーロは、今までの勢いが信じられないほどに力なく左手で扉を叩いた。そのまま額をダークブラウンの、今となっては堅牢な砦の外壁にさえ思えるそれに額を押し付ける。
「――ッ……ザンザス……! 頼むから、ここを開けろぉ……」
それは絞り出すような、普段のスクアーロからすれば考えられないような、細く弱い声だった。強かに打ち付けた背中が痛み立ち上がれないレヴィは、初めて聞くスクアーロの弱った声に、壁に寄りかかって座りこんだままに目をみはった。
「もしも暗殺が怖ぇーって言うんなら、俺が護ってやる。俺が、お前に歯向かう奴は全員ぶった切ってやる! そのための俺の剣だ! そのために捧げると誓った! だから、ザンザス……そっから出てこいよぉ……。お前に、会いてーんだぁ……」
ザンザス……と弱く呼ばわる声は、虚しく空気に溶けていくだけだった――と言うこともなかった。
「う゛お゛ぉぉぉい!!! 充電完了につき、俺様完・全・復・活ッ!!!」
「うごァッ?!」
「ス、スクアーロ!?」
今の今まで天照大神が閉じこもっていた天岩戸の如くに閉ざされていた扉は、いとも呆気なく盛大に開き、天鈿女命――もとい、スクアーロを吹っ飛ばした。
「あ? ……お前何やってんだ、カスザメ。いたのは知ってるけど避けろよ。ヴァリアークオリティどうした」
「な、う゛お゛、ぉ……?!」
「ザッ……ザンザス様!!」
約一月振りに姿を現した部屋の主は、暗殺されかけたことなどなかったかのようにあっけらかんと立っている。
スクアーロは、求めてやまなかった姿が再び眼前にあることで滲んだ視界の理由を痛みのせいにして、ザンザスを怒鳴りつけた。
「な、に、しやがんだテメエ! 痛ぇーだろーがぁ!!! あと人の台詞パクんなァ!」
「だから開ける気配感じ取って避けろって。う゛お゛ぉいって言いたかったんだからしゃーねーだろ」
「第一なんでそんなにピンピンしてやがんだ! 暗殺が怖くて閉じこもってたんじゃねーのか!」
「ああ、暗殺? そりゃコエーよ。ヤベェなって覚悟してたけど、実際死にかけるとやっぱ怖いっつの」
彼が毒を含まされたのは、候補者に誘われてのささやかな茶会だった。
ザンザスの超直感が、主犯の仲間から出された紅茶に対して危険を感じていたものの、誘われて席に着いた手前、せめて一口だけでも飲まなければ失礼だろうと思ったという。もう少し飲んだ量が多ければ、助からなかったかもしれない、とザンザスは苦笑した。
「だったら何でそんな、」
「まー、暫くはマジで鬱ってたけどな。気分が沈んで周囲が怖くて、物音ひとつにもビビってた。……が、このまんまじゃマジ俺がヤベェな、って思って、気分じゃねーけど無理矢理テンションあげてて、ついさっき充電かんりょー」
「ザ、ン、ザス…………ッテメエ! 心配かけやがって!!!」
「お、俺の方がこんな奴よりもザンザス様のことを心配していました!」
「ケンカ売ってんのかノロマぁ!」
「の、ノロマ?!」
「あぁー、わりっ」
「軽いぞぉ!!!!!」
「うははー。……Grazie」
からかうような笑いから一転、少しだけ目元を赤くして呟かれた言葉とその表情に、スクアーロとレヴィは目を見開く。
「――! ぅお……、お゛う゛……」
「ザンザス様……!」
「つーわけで俺、飯食ってくる。さすがに一月近くお菓子ばっかはきちぃわ。炭水化物が恋しい。うどん食いてー……」
「お、俺もお供するぞ、ザンザス様!」
「俺も行くぞぉ。食事中を狙って襲ってくる馬鹿がいねーとは限らねえからなぁ」
「ああ、俺のこと護ってくれるって言ってたよな、スクアーロ」
「なっ! 聞いてやがったのか!!!」
「そら聞こえるわ。ドアの近くにいたし」
途端に真っ赤になって、スクアーロは金魚のように口を開閉する。ザンザスはスクアーロの狼狽えようにぷは、と吹き出して、それから食堂に足を向けた。
S・スクアーロがヴァリアーのボスの推薦を蹴って、ザンザスを部隊の頂点に据えたのは、これから数ヶ月後のことであった。
怪物と闘う者は、自らが怪物とならぬよう気をつけなければならない。底知れぬ深みを覗き込んでいるとき、向こうもお前を覗き返しているのだ
――フリードリヒ・ニーチェ