Beautiful days


 ――僕はどうしてここにいるのだろう。
 広く、蔵書も豊富な学校の図書館で窓際の席に座り、イタリア語で記された書物を捲りながら、思う。
 転落。物理的なそれを感じた事を覚えている。バスに乗っていた。通学のためだったはずだ。月曜日。
 僕に取って一週間はひどく長い物だった。一ヶ月に感じた。一年にも感じた。
 僕は人付き合いがうまくなく、口下手で、根暗で、引っ込み思案だったから、小さい時からイジメにあうことが多かった。一番酷かったのは中学校の時で、それこそ殺されるのではないかと思うほどのこともされた。高校は地元から離れた進学校に進んだから、僕の過去を知る人はいなかったが、性格は変わらないので、僕は空気のように扱われていた。誰かに話しかけられることもなく、誰かと触れあうこともなく毎日を過ごしていた。
 そんな日々だった僕の人生は、突然終わった。終わったのだろう。何が起こったのかはよくわからないけれど、多分乗っていたバスが崖から転落したのだと思う。途中で意識をなくしたから、事の真偽は分からないけれど。
 自分が死んだんじゃないかという考えに至ったのは、意識を取り戻したとき、僕が赤ん坊になっていたからだった。見たことのない綺麗な日本人女性に抱かれて、向かい側では凛々しい日本人男性が幸せそうに微笑んでいた。それが今の最初の記憶だ。
 前世の平凡な両親と同じ名前だったのに、二人はまったく平凡じゃなかった。暮らしているのはイタリアで、父親はキャバッローネというマフィアの一員だし、母親にしたってマフィアの娘だし。僕も、前世と名前は同じなのに、顔立ちがまったく違っていた(まあ両親だって前世と全然別人だから当たり前なのだけど)。以前は平凡を絵に描いたような、目立たない風貌だったのが、ここでは父親似の少し怜悧な美形になっている。
 そのおかげか、相変わらず口下手で引っ込み思案でネクラな僕だが、周囲には「南雲日嗣は常に冷静沈着で寡黙、風林火山を地でいく秀才」と勘違いされている。確かに運動神経とそれを扱うセンスはこの世界に産まれて飛躍的に上昇したけど、違うと言っても謙遜と取られて信じてもらえない、そんな十代前半、学生。
 親がマフィアなので普通の学校には通えず、同じような境遇の子供が通う学校に僕は通っている。正直おっかなくて今すぐ転校したい気持ちでいっぱいです。
 キャバッローネのボスの息子、若ことディーノ様はしょっちゅうビクビクオドオドしてるけど、ビビりたいのは僕だ。何だよあのスペルビ・スクアーロとかいう声のデカイ人。世界中の剣豪に喧嘩売りまくって勝ちまくってるって聞いた。超こわい。若がスクアーロに一方的に懐いてるせいで、学校で若のお守りを任されちゃってる俺までスクアーロに会わなきゃいけないとか拷問過ぎる。
 あとよくスクアーロが追っかけてるザンザスも怖い。何でもキャバッローネの同盟ファミリーであるボンゴレって巨大ファミリーの御曹司らしいけど、あの人目つき悪過ぎ。存在が怖過ぎ。一体あの人いつも何にそんなに怒ってるんだ。怖いマジ怖い。
 ――でも、ザンザスは怖いけど、スクアーロも怖いけど、同時に僕は、彼らに憧れてもいる。

(あ……)

 流し読みしていた本のページを最後まで捲ってしまっていたことに気付いて、カウンターの方にある振子時計を見上げる。
 ……もうすぐ昼休みが終わっちゃうな。そろそろ教室に戻ろう。
 席を立って、元通りの場所に本を戻して図書館を出る。独特の静けさは廊下まで溢れていて、図書館の近くは居心地が良い。
 教室のある建物に近づくにつれ、人の気配が賑やかになってくるのが、僕にはなんだか名残惜しくてちょっと物悲しい。やっぱり静かなところっていいよね。安心出来るよね。

「……、」
「あ゛ぁ?」
「……」

 静寂にかなり後ろ髪引かれながら教室への道を歩いていたら、ついさっき思い出していた二人組と鉢合わせてしまった。
 太陽の光を受けてきらきら輝く、銀色の髪のスクアーロ。
 日の光でも和らがない、むしろいっそう色を濃くする深い夜空のような髪の、ザンザス。
 二人揃って目つき悪い。マジ怖い。マジ怖いってば!
 あまりの恐怖に、よりにもよって二人の正面で――いや、側面になるのかな、二人は廊下で立ち話してた風だし――固まってしまっていると、スクアーロが「う゛お゛ぉい!」とあの大声で僕に話しかけて来た。うわああああ。

「へなちょこのお守りの、能面野郎じゃねえかぁ。へなちょこはどうしたぁ」
「……若は、いない」
「見りゃわかんぞぉ! お前がへなちょこから離れるなんて、珍しいこともあるじゃねーか」
「……君が、登校していることこそ、珍しい」
「ハッ! 確かになぁ!」

 別に若は嫌いじゃないけど、僕だってたまには一人でのんびり静かに過ごしたいよ。四六時中いっしょにいなくてもいいって言われてるし(多分、僕以外に若を見てるファミリーがいるんだと思う)。
 スクアーロの登校率よりは珍しくないと呟けば、スクアーロは何がそんなにおかしいのか大声で笑っている。

「こんな温ィところに来るより、そこらの剣豪に挑んでた方がよっぽど有えっで!」
「るせぇ、カスザメ」

 叫ぶように……っていうか殆ど叫んでたスクアーロにザンザスは眉を顰めて、スクアーロの後頭部をグーで殴った。そりゃもうすっごい音がした。
 殴られたスクアーロは頭を抑えて、涼しい顔して何事もなかったかのように窓のサッシに両肘をのせて凭れてるザンザスを勢い良く振り向いた。

「う゛お゛ぉい!! てめえはそうやってすぐ人を殴りやがって! 首がもげたらどうしてくれんだぁ!」
「もげろ」
「う゛ぉっ……ぃいでででででで!!!!」

 うわああああ怖っ!
 激昂して突っ掛かったスクアーロの頭を、ザンザスは鷲掴みにしてあまつさえ引っこ抜こうとしている。ザンザス、それもげるって言わない!
 って言うかあれじゃほんとにスクアーロ首引っこ抜けちゃうって!

「……ザンザス、やめてやれ」

 わあああい、やめてあげてよって言うつもりが命令口調になってしまった! ほんとに何で僕こんな変な時に口下手が変な方向に向かって発動するの?!

「……あぁ?」

 あーっ、すみませんごめんなさい睨まないでぇ!!!

「あでっ!」
「……おい、南雲日嗣」
「…………何だ」

 暫く炯々と鋭く光を放つ赤い眸で僕を睨んでいたザンザスだったが、やがて虐げていたスクアーロを投げ捨てて僕に向き直った。
 うわこっわ顔怖い! ……と内心で滅茶苦茶ビビりつつも、ザンザスの紅玉に縛られて動けない。
 ――強い強い、眸。折れることを知らない剣のような、鋭い眸。僕も、彼のように堂々と振る舞えたのなら。
 す、とザンザスが息を吸う。何かを僕に言おうと口を開いた――そのとき。

「――……若」
「あ゛?」

 視界の端で、見慣れた光の反射をみとめた。
 一気に不機嫌になったザンザスを気にせず(見えないことにしたともいう)、窓から中庭を見下ろせば、何だかもうお馴染みの光景が見えた。

「……う゛お゛ぉい、へなちょこじゃねーか。アイツまた虐められてんのかぁ、情けねえ」

 スクアーロが首を擦りながら、僕と同じように中庭を見て若を発見した。若はしょっちゅう、ワル気取りの不良少年たちにいびられている。
 鬱陶しそうにスクアーロが溜息をついて、乱暴に窓を開け放って叫ぶ。

「う゛お゛ぉぉい、貴様らぁ!!! うぜーことしてんじゃねぇ、三枚におろされてーのかぁ!!!」
「げっ、スクアーロ!」
「おい、南雲とザンザスもいるぞ!」
「やっべえ、逃げろ!」

 僕たちを見上げたいじめっこ不良少年達は、若に覚えてろよと捨て台詞を遺して三々五々散って行った。

(――スクアーロとザンザスに見られて逃げるくらいなら、最初から逃げなきゃと思うようなこと、しなければいいのに)

 前世でも、僕を虐めていた子たちはそうだった。先生とか人が通りかかって現場を見られそうになると、すぐに逃げていった。虐めてるってバレると責められるって理解してるくせに、責められるようなことをするのがいけないことだって理解してない人達。
 あんな人達――大ッ嫌いだ。

「……フン」
「あ゛?! う゛お゛ぉい、待てぇ、ザンザス!」
「るせぇ」

 いじめっ子達のリーダー格が逃げて行った方をじっと見下ろしていたら、ザンザスが機嫌悪そうに鼻を鳴らした。そちらをみると既に彼は僕に背を向けて歩きだしていて、スクアーロが慌ててザンザスを追いかける。足長いから、歩くのもはやい……羨ましい。
 ザンザスの、真直ぐに伸びた背中を、廊下の角に消えるまでじっと見つめる。あの背中は姿勢が良い、っていうだけじゃなくて――彼の在り様の現れというんだろうか。
 彼はなんだかとても人を惹き付ける。スクアーロと一つ上のレヴィ・ア・タンがその代表格だろう。彼らがザンザスに惹かれたのは、ザンザスがボンゴレの御曹司だからじゃない。ザンザスが、ザンザスだからだ。僕にはそれが何となくわかる。僕だって、同じだから。
 僕もスクアーロもレヴィも、ザンザスがボンゴレじゃなくても、たとえば弱小新興マフィアの後継者だったとしても、彼がザンザスであるなら惹かれていたろう。意思の強い眸に、ピンと張った背筋に、堂々とした王者の風格に。

「おーい、日嗣っ!」
「……若」

 見えなくなったザンザスの背中をいつまでも見ていたら、その方向から息を切らして若がやってきた。あちこち擦りむいてるところを見るに、また色んなところで転んだんだろう。の割には、ここまで来るのが早かった。若、また足速くなったかな。

「あ、あれ、スクアーロとザンザスは?!」
「……既に去りました」
「えええっ! ……はぁぁ、急いで来たのに……またお礼言い損なっちゃったよ……」
「……お礼?」
「あ、うん。スクアーロ、あいつらを追っ払ってくれたからさ……。ほんとは、スクアーロや日嗣に助けてもらわないでもいいのが、一番良いんだけどなぁ」

 はあ、としょげて息を吐く若は、だけど――

「……若は、怯えていない。彼らに対して……。なのに、何故抵抗なさらないのですか。若なら、あれくらい追い払えます」
「え……。……だってさ、」

 太陽みたいな髪の若は、困ったように笑って頬を掻く。
 ――仕様がない人だって、若の答えを聞いて、僕は呆れた。
 呆れて、――笑った。
 そうしたら若はひどく驚いた様子だったけど、すぐに若も、朗らかでやわらかな、僕の好きな笑顔を見せてくれた。
 ザンザスと、スクアーロと、そして若。僕は、彼らのようになりたい。

光が明るく輝くためには、闇の存在が不可欠である
――フランシス・ベーコン



(だって、殴られるのって、痛いから。痛いだろうなって思うと、やり返したりしようって気にならないんだよ)
(……若は、甘すぎます。だけど、殴られたら痛いと、そんな簡単なこともわからない奴よりは、素晴らしい)
(わ、笑っ……日嗣が笑った……初めて見た……!)
(……若?)

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