まずは状況整理を


 ともかく、俺の身に尋常でないことが降り懸かったのは理解した。シノの言う「一味違う夏」が、このことなのだろう、とも直感した。
 ――だって、ありえないだろう。漢服を纏った青年が、本人の覚えもなく人の家に上がり込んでいて、しかもその名前が……

「曹丕……?」

 アイスブルー・アイは事も無げに「そうだ」と頷いた。字は子桓だ、とも付け加える。
 ――曹丕。俺の記憶に誤りがなければ、それは古代中国三国時代に存在した、魏の初代皇帝の名前だ。四十歳の若さで没し、その治世から文帝と諡された才ある者。

「嘘だろ……」
「虚偽を申して何になる」
「だって、おかしいって……有り得ないって。そんな、二千年近く昔の余所の国の人間が現れるなんて」
「二千年……?」

 曹丕は眉を顰めて、氷のような目で俺を見据える。
 そもそも本当にタイムスリップしてきたというのなら、彼の瞳の色や短髪であることが気にかかる。いや碧眼児なんて言われてたどこぞの酒乱もいるにはいるけど、そうしたら目の前の曹丕だって、瞳の色がどうこうと記録に残っていていいはずだろう。髭だって生えてなきゃ、お前宦官じゃねーの、とか言われるような時代なんだから妙だ。
 けど――どうしてもこの男が、イタいコスプレイヤーには見えない。ぱっと見衣服の生地は上質で、コスプレに使うようなもんじゃない。彼自身にも、高貴さと言うか、育ちの良さが見て取れる。御曹司が詰まってる学園でもそうそういないレベルだ、と言う気がする。

「本当の本当に、曹丕? 曹操の息子の?」
「そうだと言っている」

 今度は苛ついた様子で、曹丕は俺を睨んだ。
 ……これ、一体どういうこと。どうすりゃいいの、俺。
 うええ……とあまりの出来事に内心頭を抱えていると、制服のズボンのポケットからプリセットの着メロが流れた。
 取り出して薄い携帯を開くと、ディスプレイにはシノの名前が表示されていた。

「シノっ?」
「あぁ、漣騎。もう家に着きんしたか?」
「うん……ていうか俺どうしよう、シノ、どうしよう、かなりキャパオーバーなんだけど、シノ」
「漣騎? ……落ち着いて」

 深みあるシノの声が、すっと耳に入って少し落ち着いた。
 シノが普通の口調になるのは、大抵真剣な時で、それは殆ど俺を案じてくれている時だ。

「シノが、一味違う夏になるって言ったことが、どうやら起きた」
「どういうことだった?」
「なんか……曹丕がいる」
「は?」

 ちらと伺い見た曹丕は、不審そうな顔をしている。

「何か美青年な曹丕がいる……タイムスリップ的な何かかと思ったけど、それにしちゃ髪短いし、髭ないし、目が青いし」
「目が青い曹丕?」

 目が青い、と言った瞬間、曹丕は不機嫌そうに目を逸らした。というか顔を背けた。

「それって……」
「なに?」

 何か思い当たる節のあるようなシノに、曹丕から目を離して聞き返す。

「……よござんすか、漣騎。それは多分、タイムスリップとかの類ではござんせん」
「え?」
「どちらがマシかと聞かれれば、そりゃあ今漣騎の前にいる曹丕のほうがマシでありんすな」
「な、え、なに?」
「髪の長くない、青い目の曹丕と言いしゃんしたね」
「う、ん」
「じゃあ彼はきっと、三国志を題材にしたゲームのキャラクターでありんしょ。確か真・三國無双と言ったと思いんす。髪が短いというなら、多分5の曹丕でありんすな」
「……なに?」

 あっけらかんと、ともすれば軽い笑声さえ混じりそうな口調で、シノは言った。よく、わからない。
 目の前に在るのが、ゲームのキャラクターだって? 不審そうにこちらを見ている、どうやら感情も五感も持った実体の存在が。

「シノ、それは、本気で言ってんの」
「本気でございんす、もちろん」
「……有り得ねえ、だろ。――有り得ない、そんな、壁を越えるようなこと」

 そもそもそれには、シノの言うゲームの"世界"が、この地球と同じように存在していなければならない。でなければ、ゲームのキャラクターが、人間として俺の前に立てるわけがない。
 あったとしてもやっぱり、有り得ない。創作物と現実には、越えられない壁があるだろう。
 俺の思考を見透かしたように、シノは落ち着いた声で、俺に語りかけた。

「世界は、不思議だよ、漣騎」
「東雲……」
「思ってもみないことを、この世界は俺たちに齎すよ。有り得ないと、頭ごなしに可能性を否定するのは、一旦やめにしよう。人間の預かり知らないものだけが起こしうる奇跡を、いまは享受しようじゃないか。一生に一度、きっと今限りの邂逅を、楽しめ、漣騎。悪いことは、起こらないから」

 一生に一度。
 シノのその言葉は、不思議と俺のなかに溶けていった。シノが言うなら、大丈夫だと、俺には感じられる。シノがこう言うなら、きっと、俺にとって良いことも起こるのだと。
 俺はどうやら、東雲を心底信じているらしいから。
 軽く息を吸って、吐き出す。

「……わかった。何であれ、来ちゃったものは仕方ないよな」
「そうでありんすとも。あとで、一応、無双の曹丕の画像を送りんす。――それじゃあ、良い夏休みを過ごしゃんせ、漣騎」
「ん……シノもな」

 静かに通話を終えてから、不機嫌面でいる曹丕と、目を合わせた。
 取りあえずは――夏の奇跡とやらを、受け入れるとしよう。
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