合流した双子にその旨を話せば、「簡単なことだ」と破顔した。そして任せておきなさいと、意気揚々邸の奥へ進んで行った。二人はどうやら白水夫妻に、近親の休む部屋を聞いていたらしく、その歩みに迷いはない。
 二人が足を止めたのは、目当てだろう部屋の前だった。障子で隔たれた室内からは、ヒステリックな声が聞こえてくる。声が投げつける言葉に、揃って眉を顰めた。

「――そうだ、死ぬべきなのは玲夏ではなく、薄汚い男の子供のお前だったろうに! 玲夏を見殺してのうのうと生きているお前なぞ、化け物同然だ! 死んでしまえ、この悪魔め!」

 傷を負った子供に対して言うようなことではない。おそらくこの声の主が、氷上当主だろう。晴一さんが玲夏さんを無理矢理奪ったと妄想している醜女。
 次いで、白水の短い呻きが微かに聞き取れた。一瞬後には、ごとりとそれなりの重量のあるものが畳に落ちる音が。

「っ、いーちゃんに何すんだよ、このクソババア!」
「大人に対してなんて口だ。深冬(みふゆ)、お前こんな子供を育ててきたのかい。窘めもしないで」
「あら、おばさまがクソババアなのは事実じゃなくて。鶫、よく言った。あの醜女(しこめ)に遠慮など必要ない、思うままに罵っておしまいなさい」

 深冬……ってのは、嘉山の母親か。玲夏さんとはイトコだって聞いたな。随分いい性格なのは相変わらずか。これも微笑みながら言ってるんだろうな。

「芳春、怪我はないの」
「はい」
「ならばよかった。――さて、私の大切な玲夏の忘れ形見である芳春に、事もあろうにお茶の注がれた湯飲みを投げつけて額を割ろうとしてくれやがった、死んでも救いようのない気違い女をどうしたらよろしいかしら。なにかご助言たまわれませんこと、一華様、杉葉様、志桜様?」

 ……気付いてたのか。父様と伯父さまは苦笑して顔を見合わせた。そうしてから、葵に障子を開けさせる。父様と伯父さまの守人もきちんとここにいるけれど、葵の立場がいまのところは一番低いので。跡継ぎの守人とはいったって、この守人三人の中じゃ葵は最弱だから(経験値の差であって、スタートラインが同じなら絶対に葵のほうが強いと俺は言い切る。主人の欲目だが)。
 室内にいたのは嘉山夫妻と嘉山に白水、それから驚愕に目を見開く五十代ほどの女だった。あの女が氷上当主だ。早くに旦那を亡くして、その後は女手でなんとか切り盛りして会社を護ってきたという。それもまるごと女の手腕というわけでもないと聞く。優秀な役員がいたようで。

「あーあ。もう少しカッコ良く登場する心算だったんだがなあ。話は総て聞かせてもらった、ズパーン! みたいに」

 ズパーンって障子を勢いよく開け放つ音ですか伯父さま。がっちがちに固まってる嘉山父をよそに、深冬さんはきりりとした勇まし気な顔を苦笑に染めた。ああ、慣れてる。
 相も変わらずの伯父さまに、やれやれと肩を竦めた父様は室内へ足を踏み入れる。俺達もそれに倣う。
 少し髪と服の濡れている白水を見、次いで無造作に畳の上に転がった湯飲みを見、最後にゆっくりと氷上当主に視線を遣る。氷上当主は落ち着きを取り戻していて、しれっと父様達を見上げている。

「これはこれは、本家のご当主樣方。私の娘を弔いにいらしてくださったのですか」
「ああ。我々の友人である白水晴一、玲夏夫妻の弔いに参じたよ」

 父様の返答に、氷上当主はあからさまに気分を害したという顔をした。

「感謝はいたしますが、あのような卑しい男と私の可愛い娘を夫婦などと、ご冗談がすぎます」
「……ほう?」

 ぐん、と。室内の重圧が増した。同時に室温も急激に下がる。威圧感と冷気の発生源は父様と伯父さまだ。いらんスイッチ入れやがってこのクソババア。
 よほどに氷上当主はふてぶてしいのか、俺だってまだ冷や汗の出るような二人の怒気には気付いた様子もなく、晴一さんへの恨み言をまき散らしている。……深冬さんのほうからも、じわじわと威圧感が這いよってきている。深冬さん、あなたの旦那が泣き出しそうです。嘉山なんか涙目で白水に抱き着いてるぞ。ああでも、それでも氷上当主をしっかり睨んでるな。白水は……表情が消えかけてるから判断しにくいが、内心びびってるだろう。
 俺達を呼びにきたのだろう白水祖母が、部屋の前で硬直した。そろそろ葬儀の始まる時間らしい。気付いた二人は怒気を収め、まだ続いている氷上当主の妄言を遮った。

「白水夫人も来たようだから、丁度いい。――深冬。芳春君は君のところで育ててくれないか」
「え?」

 父様の言葉に、深冬さんと嘉山が揃って目を瞬かせた。嘉山は母親似だな。表情がそっくりだ。
 当惑して怖ず怖ず訊ねてきたのは、白水祖母だった。

「あ、あのう……春宮司様。それは……」
「ああ、なにも芳春君を嘉山家の養子にというのではなく。芳春君を鶫君と引き離すのは心配だと、志桜の見立てでね」

 嘉山に抱き着かれたままの白水は、静かに嘉山を見た。嘉山は期待を込めた目で俺達を見上げている。白水の視線が、ゆると俺に固定された。

「だから、鶫君と一緒にさせておいてやりたいのだけれど」
「それは、春宮司家ご当主としてのお言葉でして?」
「半分はね」
「もう半分は、友人としてのオネガイというやつだ」

 俺達の視線は深冬さんに注がれる。嘉山が懇願するように、小さく母を呼んだ。
 深冬さんは一度目を閉じて、そうしてから、ふ……と男前に笑った。

「志桜様が気付いてくださってよかったこと」
「どういうことです?」
「私の無二の親友の息子のこと、私の子が一番大好きな子のことなのですよ。この私が気付かないはずもございませんでしょう。白水のおばさま方に芳春を渡す気は毛頭ございませんでした、最初からね。どうやって説得しようか悩んでいたので、春宮司家から口を出していただけて手間が省けました」
「じゃあ、いーちゃんと一緒にいられるの?!」
「然り。白水のおばさま、構いませんわね。鷦(しょう)も、いいね」

 鷦というのは嘉山父だ。
 白水祖母がためらいがちに頷くのに対して、鷦さんは迷わず微笑んだ。

「ま、費用なんかの相談は両家でするといいさ。それじゃ、二人に別れを告げに行こう、一華」
「そうだね……。ああ、夫人。芳春君を着替えさせておいてくれ。どこかの醜女に湯飲みを投げつけられて、濡れてしまったからね」
「え?!」

 白水祖母は驚いて、だが一瞬で犯人を悟ったのか氷上当主を睨みつけた。氷上当主も白水祖母を憎々し気に睨んでいる。睨み合いは深冬さんによって強制終了させられていた。

「志桜様っ」
「しおーさまー」

 葬儀の行われる部屋に向かおうと廊下に出ると、てててと軽い足音が二人分追いかけてきた。振り向けば、白水ははっきりと安堵を表情にして、嘉山は喜びをいっぱいにして、足元にいた。

「あの……ありがとう、ございます」
「志桜様のおかげで、いーちゃんとさよならしなくていいって! ありがとうございますっ」
「気にすんな。ああ、でもその代わり……」 腰を屈めて、首を傾げる二人と視線を近づける。

「大人んなったら、俺の部下になってもらうぜ?」
「え……」
「せいぜい有能な人間に育てよ。芳春、鶫」

 にやりと笑って、「頑張ります」と返事をした二人の頭をなで回した。思えばこの激励も、白水を追いつめる一端になっていたのかもしれない。

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