side:嘉山鶇

 クソッタレが……!
 自失した芳春を横抱きに保健室へ急ぐ最中、俺の中にはそんなレベルの低い悪態ばかりが増殖していた。
 再三、しつこいくらいに流血沙汰になるような手段は仕込むなと通告したというのに! どこの馬鹿が人の話を聞かないのか!
 こんなことになるだろうという予測があったから、絶対に駄目だと念を押したのに!
 あの日の記憶がすぐ側にある状態で血なんて見て、芳春の精神が弱らないはずがない。あんな酷い目にあって、今まで俯かず立ち止まらずにいられたことが凄いんだから。

(たとえ芳春が進めなくなってしまったとしても、俺はいるから、ちゃんといるから……)

 一部からは、芳春が歩みを止めたら俺が芳春を見限るんじゃないかとか、馬鹿みたいな印象を抱かれてるけど、誰がそんなことをするものか。
 芳春を立ち止まれなくしたのは、俺にだって原因があるんだから、見限ったりしない。誰が世界で一番大切な人間を、蹲っちまったくらいで見捨てるかよ……!
 本館一階の西側にある第一保健室の扉を足で開ける。さすがに蹴り開けたりはしない。
 保健室の中で職務に勤しんでいたのは闥先生じゃなく、普段からここにいる養護教諭の片桐潮だった。
 片桐先生は滅多に保健室に来ない俺が、同じく滅多に保健室の世話にならない芳春を抱いて現れたことに驚いているようだった。

「……顛末は後で聞く。すぐに寝かせなさい」

 片桐先生がドアから一番離れたベッドに、芳春を寝かせるのを手伝ってくれた。
 この先生は、ある程度芳春の事情を知っている。非常勤の闥先生のかわりに、何かあれば頼れるようにと代理たちが計らってくれたからだ。片桐先生の人となりは信用できる。でなきゃ、代理が芳春のことを話すものか。

「……あの、」

 芳春を寝かせて、利用者名簿に名前を書き込みながら、俺は代理か闥先生に連絡がつくかと訊ねかけてやめた。
 葬式の日、俺達は代理に救われたけれど……こんな状態を、代理にだってどうにかできるのかわからない。何より易々と頼っていい人達じゃないだろう。将来はあの人の部下確定だけど、だからこそ寄りかかってしまうべきじゃない。
 多分芳春だって、どんなに酷い状態でも代理に頼るのは望まないだろう。本家から護られてることだって、過分だと思ってるふしがあるから。
 芳春の目が覚めないことには、対応も考えられない。今考えるべきは――。

「……」

 ズボンのポケットで振動した携帯を取り出して、届いたばかりのメールに目を通す。
 メールは守川からで、内容は俺の言付けを無視してくれやがった馬鹿の正体だった。
 予想通りの名前に、俺は携帯を握り締める。乱暴に携帯を胸ポケットに突っ込んで、片桐先生の静止も聞かず保健室を後にする。
 真山の机にカミソリを仕込んだのは、勿論親衛隊の仕業だ。けれど、ただのそれじゃない。俺が知る限り最も御しにくく、話も――それこそ正論さえも通じにくい狂信者集団。くどい程の脅しを含めた通告を無視するっていうなら奴らだろうと踏んではいたが。

「――おい、嘉山」

 つのる苛立のままに足を速めて三年の教室に向かおうとしたら、途中で吉良とすれ違って腕を掴まれた。

「なんだよ。離せ」
「離さねえよ。こっちにはお前に聞きたいことが山ほどあるんでな」
「うぜぇ……」
「何とでも言え。親衛隊を動かしたのは、お前だな? 今日まで奴らが黙ってたのは、お前に呼応していたからだと踏んでるが」
「るせぇ、きどってんじゃねえよ。てめえの愛しの芳春が保健室で寝てるぜ、行かなくていーのかよ」
「行くつもりだったが、お前と先に遭遇したならこっち優先だ」
「嬉しくねえ。離せ」
「……何処へ、何をしに行くつもりだった」

 格段に重くなった空気が、口を割るまで解放はないと如実に物語る。
 けれど「てめえには関係ねーだろ」とばかりに、吉良を睨みつけた。その吉良から、呆れたような溜め息が零れる。

「今のテメエの面、鏡で見てみろ。人殺しに行くみてぇだぞ」
「それもいい。殺されて当然だ。野郎はこの上芳春の傷を抉る原因を作った!」

 吐き捨てると、腕を掴む力が強まった。骨の軋む音が聞こえそうな程に。

「馬鹿が……! 白水には、お前だって必要だろうが! 誰にもテメエを裁かせるんじゃねえよ!」
「知った風なこと言うな! 必要な訳ねぇだろ、芳春に俺が! あいつを余計に苦しませてんの、俺なのに……!」

 弱音も吐けないように追い込んでしまったのは、俺だ。泣けないようにしたのも俺だ。憧れだとか、せかいだとか、そんなことばかりを言って。
 芳春の心を追いつめるだけの俺が、芳春に取って必要な存在であるはずがない。

「……お前、白水を見くびるなよ」
「は?」
「余計な苦しみを与えるから必要ねえって、白水が思うなら、とっくにお前は捨てられてるだろうが」
「それは芳春が、俺に負目があるから……」
「負目っていうにしちゃ、あいつはお前に随分甘いだろ。あいつが甘やかすのは、胸襟開いた相手だけじゃねえのか。白水は、負目だけで心を開くような奴かよ」
「……」

 違う。負目があるというだけなら、芳春は優しくしたりしない。芳春のお人好しの部分と、他人に与える甘さと優しさははっきりと区別されている。
 吉良が言うように、芳春が甘やかすのは心を許した相手だけだ。だから俺とのセックスだって受け入れてくれている。負目だけなら、芳春だったら容赦なく拒む。男であれ女であれ、不用意に優しくしたら怖いことが起きる、っていう一種のトラウマも抱えているから。
 ……俺も相当にテンパってたっていうことだ。普段勘違いしないような、わかっているはずのことを思い違えてるんだから。それをきらりんに教えられるっていうの、ものっすごい癪なんですけど。
 はあ……と長く息を吐いて、掴まれたままだった腕を振り払う。俺が落ち着いたのを知ったのか、吉良も素直に振り払われた。
 風紀に勘ぐられてるんだったら、俺が直接動くのはちょっと不味いだろう。どこぞの馬鹿への報復は風紀に任せる。癪だけどちょっとした返礼として、長いこと風紀が掴みたがっていた奴らの正体を教えてやることにする。

「……水町夏宏」
「あ?」
「鴻巣の裏の隊長だよ。隊長格、っていうほうが語弊がないだろうけど」
「……成る程」

 その言葉だけで、きらりんは裏親衛隊がきちんと組織立っているわけではないというのを悟ったようだ。
 あいつらは横の繋がりはあるけど、縦の繋がりは殆どない。一応水町が中心になっているけど、はっきりリーダーって決まっている訳じゃない。奴らはどうやら同志として集っているようだから。
 にしたって、意外や意外な人物だろうね、水町が裏の隊長格って。あいつ見たかんじ、善人そうだから。でもぶっちゃけ悪いヤンデレ属性っぽい。去年生徒会補佐で鴻巣と関わったいーちゃんと俺のことも、敵対視してるようなところがあるんだよな。害がないから放置してたのがアダになった。

「水町が、真山の机にカミソリを仕込むのを許した、って見るのが妥当かな。連携を取るために、必ず主犯格の水町に連絡はするだろうから。実行犯と裏の隊員リストは今から取ってくるよー」
「……それだけか?」
「んあ?」
「水町には他の要因もあるんじゃねえのかと、聞いてる。あんな人殺しみてえな面すんだから」

 ぬぅ。きらりん如きに把握されている。ハゲろ!

「……ありますけどー。でもこっち、冷静になって考えると、親衛隊とは別件だかんねえ」
「別件?」
「水町なんだよ、真山にいーちゃんの過去バラしたの」

 正直に話すと、きらりんの双眸がすいと細められた。

「やっぱそれか。秋大路から聞いてる。理由はわかるか? 聴取では知らぬ存ぜぬを貫いたらしいんで、風紀では把握してねえんだ」
「取り調べしたのって、秋大路と守人?」
「あぁ」

 それで知らんぷりとか、流石に図太いねー、水町。隠れおおせてるだけはある。あの二人の取り調べは容赦ないって有名なのに。

「どーも、水町の実家から伝わったことみたいだけど、水町家がいーちゃんの過去暴露して得することってないんだよね……ライバル社ってわけでもないしさ。その実家も、皐月家から命じられたことみたいで」
「皐月? ……またデカいとこが出てきやがったな。だが、皐月家も白水家とは……」
「なんだよねぇ」

 本家なら、何か掴んでるんじゃないかなっていうような気はする。水町家の背後にいるのは皐月家で、皐月家の嫡男は銀蘭の卒業生で、代理の知己だし。

「憶測だけど、二家に白水家との関わりがないんだったら、狙いは別のトコなんじゃない? どっちも白水家の方面に事業拡大しようって動きもないし」
「別、な……」

 思案しているのか、きらりんは腕を組んで視線を天井に向ける。黙考は、そう長い時間じゃなかった。

「……水町家は皐月家の狗だろ?」
「だねぇ」
「だったら皐月家の方が、春宮司家に対して一物あるんじゃねえのか。飛将の奴が皐月当主を殺したがってたし」

 つい最近からのことらしいので、皐月当主はあの本家ラブ男の逆鱗に触れるようなことをしたんだろう。あいつ本家を害そうとするやつがいたらすぐキレるし。

「だが、そしたら辻褄があわないな……」
「んぁ?」
「真山が水町から聞いたのは、白水の過去だけだっていう。……まぁアテにならんが。実家からの指示でばらまけってなら、そりゃ皐月当主からの命令だろ。皐月当主に、春宮司家に対しての一物があると仮定すると、水町が白水の過去だけを伝えたってのは……」
「……」

 変だよねぇ。まるで水町は、皐月家からの命令より、私情を優先したようだ。
 ……。ようだ、ってより事実かな。裏としての顔を鑑みると。

「いーちゃん、水町に敵視されてるからなァ」
「何でだ」
「言ったっしょ。水町は裏だって」
「一瀬絡み? だが、白水が一瀬と関わったのなんて、補佐ん時くらいだろ」

 眉をひそめてるきらりんの言いたいことはわかる。それだけで今更――だ。

「それだけで充分なんじゃないの、狂信者には。いままで、いーちゃんにダメージ与える切欠がなかったってだけだよ。不満は積もってたんだろうね、きらりんが惚れてるからって、鴻巣はいーちゃん気にかけてたっぽいし」
「ぽいっつか、それガチだ」
「つまり全体的にきらりんのせい」
「なんでそうなる」

 うっさい八つ当たりだよばかぁ。まったく予想外の方向から抉られちゃって、こうなったらきらりんに全部押し付けるしかないんだー!

「もーさっさと水町パクってよー!」
「じゃあ引っ張れるだけの証拠寄越せよ。持ってんだろ」
「アハハ、証拠能力ないからムーリ。キャー風紀委員長様ガンバッテー」
「……テメーは、少しぐらいしおらしい方が世のためだな……!」

 ヘッドロックかまされました。ちょ、ギブギブ!

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