幸を知らぬ者は幸を語れぬ、哀を知らぬ者は哀を語れぬ




 初日終了後、教室に残しておけないものを担任に預け解散してから、俺と実行委員と各グループリーダーは食堂に集まって一日の反省会をしている。他所のクラスも大概そうで、夕食には早い時間だが食堂は賑わっている。
 ちなみに俺は午前Aのリーダーを兼ねているので、ここに嘉山が加わっている必要はまったくない。ないが、何故かいる。多分俺が真山に引っ掻き回されたから不安なんだろうが。

「午前A……は、これといったトラブルはなかったな。どっかの脳内が腐った馬鹿が悪ふざけしたせいで、予想以上に客が入って待ち時間が延びたくらいか」

 俺の隣で呑気にアイス食ってる馬鹿を横目で睨むが、睨まれた嘉山はどこ吹く風だった。

「午前BはAに比べて、ちょっと客足減ったかなってかんじ。まー、人気どころ一気に抜けたしね」

 午前Bのリーダーが苦笑して嘉山を見る。規模の大きい親衛隊持ちは均等に分けた方がいいんじゃないのか、という提案を蹴ったのは嘉山だった。
 萌えがどうこうとうるさくて、初日だけ我が儘をきいてやる、というのが妥協案。そして案の定の結果。明日は俺と嘉山は別々の時間担当になる。

「午後Aは、ちょっとミーハーな生徒がわざともたついて早乙女君と長く接触したってことで親衛隊の子と揉めた、ってのがあったな」

 早乙女っていうのは親衛隊持ちの生徒で、早乙女の親衛隊の副隊長は奴と同じグループだったか。

「ま、通りすがりの風紀委員が口頭注意で収めてくれたんだけど。それ以外には特に問題ないよ。昼時と被ってたからか、客足は少なめだったかな」
「その辺はしゃーないよなー。……で、一番心配な午後Bはどうでしたか村上さん」

 実行委員がひどく真剣で重たい顔つきで、午後Bリーダーの村上に問う。
 午後Bは真山が組まれていたから、一番気になるのも当然だろう。
 村上は俺ら全員の視線を受けて気圧されたのか、一瞬身体を引いたがすぐに気を取り直した。

「特に問題なかったぞ」
「……まじ?」
「まじ。真山の奴、なーんか上の空で動き鈍くてさ。小型犬連中が苛々して突っ掛かる前に、守川が邪魔だっつって控え室に押し込んでたから、真山に関するトラブルなし」
「ふーん……。それ、やっぱあれじゃね? 白水、渡り廊下んトコで真山と一悶着あったんだろ? ソレ引き摺って悲劇ってたんじゃねぇ?」

 そういう構ってちゃんタイプっぽいし、と実行委員は侮蔑するわけでもなく分析した。

「そーゆうカンジでもなかったけどな――」
「何にしたって」

 真山の様子を回想している様子の村上を、今まで口を挟まずアイスを貪っていた嘉山が遮った。気取られないようにしているが、随分と機嫌が悪い。

「ソレはあのカスの自業自得。引き摺ったりするのがそもそも烏滸がましーのデス」
「……まあ、噂を聞く限りじゃ、なー。よくわかんねーけど、わかるのはアイツが親衛隊を煽ったってコトか……」
「よりにもよって文化祭最中に、やってくれるよね……」

 はあ……と俺と嘉山以外が、重々しい溜め息を同時についた。
 っつうけど、親衛隊は――少なくとも俺のところは――動かないだろう。アレはまだ、決定打じゃない。それは田名部先輩もわかっているはずだ。

「しかも明日って公開日じゃない。男目当てのハイエナが来るし、っしたら真山絶対ウルサソウ」
「あー。ああいう女連中って、見た目と金重視してるからなあ」
「俺らは対処法心得てるから、ウゼエなって思うくらいだけど」
「真山がなー……」

 またも溜め息のシンクロ。お前ら気負い過ぎだろ。

「だから、真山を入れてる時間の面子を、目立った美形なしにしたんだろうが。目付役に守川を入れるのは仕方なかったとして、騒いだらあのヘタレがどうとでもすんだろ。真山はあいつに一任してしまえ」
「守川も今晩説明くらいすると思うしねー。そんなに心配なら、真山を背後からビール瓶でぶん殴って拘束して、明日出られないようにしちゃう?」

 馬鹿にするように笑った嘉山に、俺以外の頬が引き攣った。
 鉄パイプでもいいけど、と続ける嘉山の頭を叩いて、物騒な強硬手段はやめさせる。
 ほんとに機嫌悪いから、今夜はこちらから誘ってセックスする必要があるだろうか……と思案したところで、食堂がざわめいた。
 これは美形が来たときの騒ぎ方じゃないな。――真山か。

「あっ、芳春!」

 隣から舌打ちが聞こえた。
 入り口から離れたところに陣取ってたのに、こいつはどんだけ高度なセンサーを備えてるんだ。取り外せそんなもん。
 真山は俺が座ってるテーブルまで駆け寄ってきたかと思えば、勢いのままテーブルに両手をついた。

「どうして教えてくれなかったんだよ!」
「あぁ?」
「芳春の両親っ、芳春の目の前で殺されたんだろ!?」

 しん、と食堂が一瞬で静まり返った。
 実行委員達の驚いたような表情が、視界に映り込んでくる。

「そんな大事なこと、何で俺に教えてくれなかったんだ! 俺達友達なのに……っ!」

 どうして真山が、ソレを知っているのかなんて、どうでもいい。
 ざわついて、漏れ出てくる過去に侵されていく心の方が、問題だった。
 閉ざさないと。嘖まれないようにあの日を押し込めた部屋の扉を閉じないといけない。
 わかっている、わかっているのに――俺は今までどうやって鍵を閉めていた? どうやって扉を閉めていた?
 ――思い出せない。早くしないと、早くしなければまた、あの日が来てしまうのに。

「もしかして、だから芳春はあんな絵を描くのかっ?! 両親が殺されるの見てたから、あんな寂しいって訴えるようなやつっ」

――玲夏ではなく、お前が死ねばよかったろうに。

「俺っ……何も知らないであんなこと言っちゃって……。でもっ、昼間も言ったけど、もう大丈夫だぞ! 俺が一緒にいて、そんな怖いこと、忘れさせてやるから!」

――玲夏を殺した犯人にはひとつだけ感謝しないとね。私から可愛い娘を奪った盗人を殺してくれたんだから。ついでに玲夏ではなく、お前を殺してくれればよかったんだが。

「だって俺達、友達だもんな!」

 脳裡に響く薄汚い声に、どこかが切れたような錯覚があった。
 ゆっくりと立ち上がると、何を勘違いしたのか、真山は嬉しそうな笑みを露出している口元に宿す。
 俺は殆ど手をつけずにいた、水の注がれたグラスを掴む。そうして、目の前で満足そうにしている真山の頭上で、くるりと傾けた。
 呆然とする周囲を他所に、空になったグラスをテーブルに戻す。

「身の程知らずも大概にしろ。気色の悪い薄汚い猿風情が、二度と俺に近寄るんじゃねえ」

 間抜け面で固まる真山の横をすり抜け、未だに誰一人声を漏らさない食堂を後にしようと扉に向かう。
 網膜に焼き付いた赤い玄関が、人の形を成さなくなった姿が、狂った女の姿が。思い出したくないのに脳内で勝手に再生されていく。なのに真直ぐに歩けていて、まるで自分の身体ではなくなったようで。
 笑っている。あの女が笑ってる。凱歌の如く、高く、耳障りに。

「白水」

 耳の奥で反響する笑い声を、唐突に認識された低い声が掻き消した。
 ふと気付けば俺は、いつの間にか食堂の扉の前まで来ていて、見上げると視界は暗い金髪とふたつの翡翠を映した。
 正面に立っていたそいつ――吉良はやんわりと俺の腕を掴んで、顔を覗き込んでくる。

「大丈夫か」
「……じゃ、ねえ……」

 硬質な翡翠の眸に見据えられ、じんわりと少しだけ安堵が滲んだ。だから、弱音を吐けた。弱っていると、素直に吐露できた。
 だろうな、と言った吉良は俺を横抱きにして食堂から遠ざかり、エレベーターに乗り込む。横抱きについて抵抗する気力もない。
 目を閉じると、またあの日が去来したが、さっきまでよりは朧げでほっと息を吐く。
 赤の消えた吉良の肩に頭を預ける。確かにあるぬくもりが心地良くて、僅かだけ涙腺が緩んだ、ような気がした。


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