side:伊能誠吾

 担当する時間はてんやわんやだったが問題なく終わったんで、優太と並んで生徒会室に向かう。集中する不躾な視線をシャットアウトするのも、随分と慣れたもんだった。

「優太はどこか見て回りたいところはないのかね」

 てぽてぽ隣を歩く優太に訊ねてみる。
 クラスでの役目を終えてすぐに生徒会室に向かっちゃいるが、内部公開の今日だったら少しは遊ぶ時間もあるし、会長からもお許しは出ている。

「……ない。……でも、司馬先輩のとこ、顔出さなきゃ……」

 世話になってるから、こんなときくらいは……とゆったり喋る優太に、ああ俺もアサトのとこに顔を出しておくべきかと考える。
 俺が勘違いに気付けたのはあいつが切欠だったからねえ。アサトもうちのクラスに金を落として行ってくれたしね。

「けど……司馬先輩いるのは、午後だっていう……。だから、まだいい」
「そうかい。……優太、お前さん近頃よく話すようになったねえ」

 まだ辿々しいし、積極的に白水以外に話しかけることはしないけれども、言葉が出て来るようになってきている。優太の親衛隊なんかは、声を聞ける機会が増えたと喜んでいなさる。
 そうだねえ、この舌足らずの喋り方で声も身長の割にはかわいいからねえ、嬉しいのはよくわかるよ。

「……伊能が、頑張ってるから……。焚き付けたの、俺だし……だから、今までよりも、たくさん頑張ろうと、思って」
「成る程、ね」

 一切こっちを見ようとしなさらん優太の横顔は、目元と頬が赤らんでいた。
 思っていることを言葉にして伝えるのは恥ずかしいけれど、でも俺が頑張っているから羞恥心に負けていられない……ってところだろうか。
 ちょっと足早になる優太に歩調を合わせて、何となく染まる目元を指の背で撫でた。

「……っ?!」

 そうしたら、優太は大袈裟なほど身体を震わせて驚いた。歩みまで止めて目を見開いて俺を見ている。

「それじゃあ、俺は先にアサトのところに顔を出してから生徒会室へ行くよ。一人で行けるね?」
「い、ける……もんっ……ばか!」

 突然触れられたことに状況処理が追っ付いていないらしい。優太は真っ赤になって、とうとう涙目になって、何だかなぁな捨て台詞を残し生徒会室へと逃げて行った。

「……どうしようもなく、可愛い子だねえ」

 くつくつと笑いとともに、あの背中へ手を伸ばして掴まえたくなるような感情が込み上げてくる。立ち止まって一人で笑っている俺を、通りすがりの生徒達は変な目で見てくるけれど、それらはちいとも気にならなかった。
 ひとしきり笑ってから、さてアサトのとこに行こうかと歩きだした俺だったけれど、歩みは背後からの急襲によって阻まれた。
 背中にいきなりタックルかまされて、何事かと振り向く前に周囲の阿鼻叫喚で犯人を悟る。

「誠吾っ!」
「……友紀かい。苦しいんで、手を放してはくれないかね」
「あっ、悪ぃっ」

 がっしりと人の胴体を絞めていた腕を放させて、随分下にある友紀の顔と向き合った。

「お前さん、守川はどうしなすった?」
「そうだ、聞いてくれよ誠吾! 俊哉の奴、俺を置いてどっかいっちまったんだ! ひどいよな、自分で俺を引っ張り出しといてさ!」
「いや……それは多分友紀が迷子になったんだと思うがね」

 ぼそりと呟いたことは、周囲の声に掻き消されて友紀には届かなかったらしい。
 ……にしても、守川といえば前は友紀にべったりだった気がするんだが、ここ最近はどうも様子が違う。
 友紀から離れつつあるような、そんな印象が――

「なあ誠吾っ! どうせだから一緒に回ろうぜ!」
「え? あ、いや……俺は」
「ほら早く!」
「ちょっ……」

 アサトのとこに行きたかったんだが……。
 手を掴まれて引っ張られちゃ、これは逃げられそうもない。友紀は体躯に反して力が強いから。
 まわりの批判も耳に届かないようで、友紀はぐいぐいと俺を引っ張って行く。

「友紀、どこへ行きなさるんだい」
「美術室っ!」
「え……」

 確かに、前々から美術室に行きたい、白水の絵を見たいと言ってた。その都度俺やアシル先輩はあれこれはぐらかしていた。
 先輩は白水を気に入らないがゆえ、俺は――何となく、友紀に白水の絵を見せるべきではないと感じて。

「ほら、早く行こうぜ!」

 見せていいものかどうか迷う俺をよそに、友紀は意気揚々と美術室に向かう。美術室がどこにあるかは覚えてしまったらしい。
 ――別に、白水の絵が嫌いというのじゃない。むしろ俺は好きだ。木漏れ日のような、でもどこかで切ないものを感じる絵を、俺はそのまま白水の本質だと思っている。
 白水の受けたぬくもりと、それでさえ癒しきれないような悲しい心を、友紀が見てどう思いなさるか。或いは何も感じないか。
 感じないなら感じないでいい。半端に心を感じ取られて騒がれるのだったら、そちらのほうがマシだ。

「……」
「あ、ここだっ」

 引かれるままに歩いていたら、そのうちに美術室へついてしまったらしい。俺はよく誰にもぶつからずにいたもんだ……。まあ、まわりが友紀を避けていたのかもしれないけれど。
 開放された美術室に友紀が足を踏み入れると、室内にいた生徒達が一瞬で警戒を露にした。友紀は気付かないが、思いっきり「何しにきやがった出てけこの野郎」という雰囲気が充満している。

「なあ誠吾っ、芳春の絵ってどれかわかるか?」
「ああ……その前に声を落としておくれ。美術室では静かにするもんだよ」

 何だよそれ、と抗議された。注意されてきかないなんて、出来の悪い幼稚園児かね友紀は。
 ざっと美術室を見渡せば、白水の絵はすぐに見つかった。少し奥の窓際だけれど、入り口からは見つけやすいところだ。
 ここまで来てしまっては見せない訳にはいかないので、今度は俺が先導して目当てに向かう。
 イーゼルに立てかけられたそれは、確か去年の絵だ。文化祭には出していなかった。森の中に流れる小川の中に、小さな女の子が佇んでいる。
 とても澄んだ森であり水で、その空気までこっちに伝わってきそうな絵だった。そういえば白水の絵には殆どこの女の子がいるが、いったいどういった子なのだろうか。インタビューかなにかで質問されていたはずだったが、白水は答えをはぐらかしていたんで謎のままだ。

「……これ以外には出していなさらんようだね。友紀、もう……友紀?」

 とにかくもう目的は果たしたんだから、さっさとここを出るよう促すために見下ろした友紀は、何か不満げだった。

「……なんだよ、こんなの」
「は?」
「芳春の絵って全部こんなのなのか?!」
「え? ああ……」
「それなのに賞とかもらってるのか! こんな――押し付けがましくて気持ち悪いのに!」

 頭を抱えたくなるって言うのは、まさにこれだね。友紀が一言発した途端に、警戒が嫌悪に塗れてしまった。

「こんな、"本当は寂しいんだ"って言うようなものを描いちゃ、絵に失礼だろ! やっぱり俺が、もっと楽しい絵を描けるように元気にしてやらないと!」

 まるで良案だとでもいうような満面の笑みで言い切った友紀は、俺の手を放して美術室を駆け出していった。
 ……どうしなさるよ、刺々しい視線のとばっちりが俺にまで来ているんだが。

「……騒がせて申し訳ないね……いや、本当……」

 ああやっぱり断固拒否すべきだった……!

「会計、」

 頬を引き攣らせる俺に話しかけてきたのは、美術部副部長の香坂先輩だった。彼も彼で剣呑な眸をしていなさる……。

「お前、白水の絵、好きなんじゃないの。何で、咎めなかった?」
「……その隙がなかった、というか……あったとして、言い聞かせても多分、届いちゃくれませんからね」

 だから見せるべきじゃないと感じていたんだろう、俺は。それをどこかで理解していたから。

「……だろう、ね。痛い目みなきゃ、わからないタイプ、かな」

 痛い目を見てもわかるかどうか。
 一歩引くだけでこうも友紀に対する印象が変わるとは、俺も大概酷い人間だ。

side end.

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