一日を概ね恙なく終えて、俺は美術室に行くために放課後の廊下を歩いている。午後になってから降り出した雨は、夜まで続きそうだ。
 模擬店の看板をどういった絵にするか考えながら歩を進めていると、美術室に近づいたところで進行方向に吉良の姿が見えた。
 吉良も俺に気付いたらしく、片手を軽く挙げて声をかけてきた。

「よう」
「――お前」

 近づいて、俺は目をみはる。

「外したのか、エクステ」

 今まで存在を主張していたあの赤い一房が、吉良の襟足から消えていたのだ。

「お前が外せって、言ったんだろうが。でないと視界にもいれてもらえないらしいからな」
「……そうか」
「……赤は嫌いか?」
「決まってんだろ」

 ――本当のところは、昔よりはマシになっている。だから千影の赤い首輪も、許容している。
 どんな精神状態の時でも赤に嫌悪や苛立を感じなくなったら、それはきっと俺が本当にあの日を過去にしてしまったということなんだろう。

「なら、翠は?」

 見下ろしてくる吉良の、翡翠を見上げた。あの夢のなか、俺の記憶に現れた色。
 ふいと窓の外に視線を逸らして、素っ気なく答える。

「……嫌いじゃねえ」
「素直じゃねえな」
「うるせえよ」

 話はどうやらそれだけのようだったので、くつくつ笑う吉良の横をすり抜けようとした。
 未遂に終わったのは、吉良がすり抜けようとする俺を抱き寄せて、いきなりキスしてきたからだ。
 美術室の近くでやめろっつうか、誰が来るかもわかんねえ廊下でしてくんなよ風紀委員長が。

「……っ、ん、」

 だんだんと深みを増していく行為に対して、俺の持ち得る抗議手段といえば、我ながら情けないが爪先を思い切り踏んでやることくらいだった。力で吉良に敵わないことくらい、了解済みなので。
 吉良は非難するように片目を開けて目を合わせてきたが、非難したいのはこちらのほうだ。吉良の爪先を踏みつける踵に力を込める。それでようやく吉良は俺を解放した。

「……容赦ねえな」
「……それこそ、うるせえ」

 手の甲で唇を拭う俺に、吉良はいささか面白くなさそうな顔をする。

「つーか、少しは照れるとかしろよ」
「するわけねーだろ」
「……一昨日は照れてたろ」
「気のせいだ、眼科なり精神科へ行け」
「幻覚ってか……。まあいい、表情ならそのうち見れるだろ。――またな」
「……あァ」

 今度こそ俺は吉良の横を通り抜けて、美術室へ入る。
 入った先で部員に何かあったのかと聞かれたが、俺は断じて、何も、顔に出してなんていない。
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