side:陵和昭

「――和昭様……」

 背後から、高いけれど穏和な聲に名前を呼ばれて、振り返る。後ろ姿で僕が和昭だと判別出来るような人間は、限られているし、その聲は聞き慣れたものなので、顔を見なくても誰かはわかった。

「なぁに、新谷」

 僕と和治の親衛隊長である新谷は、大人しそうな可愛い顔を曇らせながら立っていた。
 人気のない廊下には、あの……と新谷が何かを言い淀む聲が響く。僕を呼び止めたままの位置から動く気配がないので、僕が新谷に近寄ると、彼ははっとしてすみませんと小声で謝った。

「元気ないね。いつもおとなしいけど、今日は元気ない」
「いえ……あの……その。すみません……」
「僕、べつに怒ってないじゃんか。なんで謝るの」
「……すみません。その……お名前を、呼んでしまいました……」
「なに、そんなこと。……いまは、和治いないもの。だったら僕はべつに、大して気にしないし。新谷なら、いろいろ分かってるから、いいんだけど。名前呼ばれても――っていうか、見分けられても」

 素直なところを吐露すると、新谷はおおきな目をぱちくりさせて、それからまろい頬を一瞬で耳まで赤くした。
 なんていうか、新谷って、希少種? 大きい親衛隊の隊長にしては。……他所の隊長が、恋愛対象としてみてない奴が多過ぎなだけかもだけど。江田島とか、会長のこと「尊敬してます!」って目でいっつも見てるもんねえ。
 とまあ、こんな林檎になってる新谷は、ご覧の通り和治じゃなくて僕が好きらしい。和治の方が性格良いけど、って言ったら、「それでも僕は和昭様がいいです」って答えられたことがある。その後自分が大胆な発言したと気付いて、いまみたいに真っ赤になってたけど。
 見分けられて嬉しいなんて思ったの、あのとき限りだった。新谷は僕らの見分けがつくからって、それを触れ回ったりしないし、僕らが和人でいたがるのを理解してくれているので、必要以上に踏み込んで来ない。この距離感が僕は、心地いいけど。

(もう、一歩踏み込んじゃってもいいかなあって、思ったりして……)

 新谷相手なら、きっともうちょっと近づいても心地いいのは変わらないだろうし。和治が、なんか僕がずっと見てなくても大丈夫な雰囲気だし。不憫なヘタレ様々ってとこかなぁ? あいつも、僕らのこと見分けられてるけど、僕と和治が一緒の時は、わからないふりをしている。……んだけど、視線が和治追ってるのが、まるわかりなんだよね。
 近々和治に春が来る予感……って何かこれ、シャレみたい……。

「それで、何の用?」
「えっ……あ、あの……ええと。その、最近陵様の」
「和昭でいいってば。和治がいないときなら、名前で呼んで良いよ、新谷だったらさ」
「え、あ、えっと……その……ありがとうございます……」
「うん。で?」
「あ、はい……。最近、か、和昭様の元気がないように見えるので……心配で……」

 まだいくらか赤面してる新谷は、怖ず怖ず上目遣いがちにこぼした。
 元気ないように、ねえ。ちょっと低い位置にある新谷の顔を見下ろして、首を傾げた。

「そんな風に、みえる?」
「……見え、ます。和昭様だけじゃなくて、和治様も……和治様は、もっと危うい感じが、します。心配です……」
「……そっか。うん。僕は兎も角、和治は心配になるくらい、危なかった、かな……」
「危なかった、ですか?」
「うん。でも、もう大丈夫だとおもうよ。たぶん、和治は見つけたから」
「見つけた……?」
「和治の欠落を満たしてくれるひと。きっと……ううん、ぜったいあの、ヘタレなんだよ」
「……?? えと……誰かはわかりませんけど……じゃあ、和治様は元気になるんですね」
「……うん。なるよ、そのうち」

 よかった、と心の底から安堵して溜息をつく新谷の、うれしさを隠しきれないっていう表情は、とんでもなくかわいかった。

「じゃあ、次は和昭様ですね」
「んぇ?」
「和昭様も、元気になってもらわないと……僕は、ちゃんと安心出来ないですから」
「……そう?」
「そうです。だからあんまり、無理しないでくださいね、和昭様」
「……うん。だいじょぶ。あんまりむりしない……」

 鸚鵡返しになっちゃった。そのせいで新谷がまた不安そうな顔をして、なんだか申し訳ない。
 だってさ、やっぱ、嬉しいじゃん。近づきたい子に、僕も元気になって欲しいなんて、じゃないとちゃんと安心出来ないなんて言われたらさ。
 あー、僕って、思ってたより新谷のことすきなんだなぁ。ちかごろの変に沈んだような気分とか、軽くなってふわふわする。 親衛隊ってだけで毛嫌いする奴らって、ほんとうに勿体ないことしてるよね。触れあってみれば、新谷みたいに優しい子かもしれないのにさ。

「……新谷」
「はい」
「その……あ、ありが――」
「あーっ、和昭!!」

 気分を軽くしてくれた新谷に、僕はめずらしく心からお礼を言おうとしたのだけれど。
 こういう時に限って、邪魔者って現れるんだよね。なあに、マーフィーの法則なの? とりあえず大声でいい雰囲気をぶち壊してくれちゃった真山友紀、爆発して。
 さて、新谷が頬を引き攣らせたのは、真山友紀の存在か、それとも僕が恐ろしい顔をしていたのか。どっちも、とか?
 仕方ないよ、いまほんとにイラってきたから。

「……なんのよう」
「なあっ、そいつ誰だ? 和昭の友達かっ?! なら俺とも友達だよな、友紀って呼んでくれよ! お前、なんて名前なんだ?」
「え、え……」

 でた、人類皆友達教。
 真山友紀の勢いに押されて、新谷は少し怯えて僕の背中に隠れてしまった。そしたら真山はそんな態度失礼だとかなんだとか喚きだした。
 ……うん、失礼とか一番君にいわれたくないよね。

「友紀ッ」
「あ、俊哉! こいつ、俺が名前聞いてるのに答えないんだ、失礼だよな!」
「その台詞お前にだけは言われたくねえだろ! 初対面の相手にどんだけ酷い侮辱だそれはッ」
「な、何だよ、それ?!」

 守川俊哉、ナイス突っ込みだね。
 こっそり親指を立ててみたら、見咎めた守川はああもう、と頭を抱えた。
 面白いヘタレだなーと眺めていると、ちょいちょいと袖が引かれた。

「か、和昭様……」
「ん」

 新谷はどうやら、真山みたいな騒がしくて強引なタイプが苦手みたいで、すんごくおどおどしている。目がうるうるしてて、なんかこれ、チワワ……?
 そんなぷるぷるチワワ新谷は、ぐっと眉間に力を込めて、何やら決意したようだ。

「あ、あの、僕は……陵様の親衛隊長の」
「――親衛隊っ?!」
「うひゃ、」

 意を決して苦手な真山に名乗ろうとした新谷を、その真山が遮った。
 親衛隊と聞くなり、真山は僕と新谷を引き離そうとしたのか、新谷を軽く突き飛ばして僕の腕を引いた。突き飛ばされた新谷は蹌踉けたものの、何とか自分でバランスを取り直したので大事ない。新谷はあれで運動神経がいいんだ。
 でも、怖かったろう。突き飛ばされて、せっかく歩み寄ろうとしたのに、悲しかったろう。
 ――新谷。

「親衛隊なんかと一緒にいたら、和昭が駄目になっちまうだろ! こんな、和昭と和治の顔しか見てないくせに見分けられもしない奴らっ!」

 ねえ、どうしてそんな風に決めつけるの、真山友紀。
 自分以外は僕らを見分けられないなんて傲慢、どこに根拠があるの。
 誰の内実を知りも知ろうともしないで、自分の主観だけで物事を推し量って、自分の感情だけが正しいことだと思って。
 ――ああ、こんな奴、

(ころされてしまえばいいのに)

 聲には出さず、口の動きだけで呟いた。咄嗟に自制しなければ、音になっていただろう。
 真山を諌めようとした守川が、一瞬僕に目を向けて、青ざめた。僕、そんなに恐い顔してる?

「友紀ッ! こいつの親衛隊はマトモだって言ったろうが!」
「そんなの、俊哉が騙されてるんだ!」
「誰が、俺に関わりのねえ親衛隊の情報を改竄して伝えて得するんだよ! いきなり突き飛ばしたりして、新谷先輩が怪我したらどうする気だ!」
「何で親衛隊なんか庇うんだよ!」
「親衛隊どうこうじゃなく――」
「あの、守川君。大丈夫だから……。えと、和昭様。僕はこれで失礼します……」
「あ、」

 ほんとうに申し訳無さそうに僕に頭を下げた新谷を引き止めようとしたけれど、伸ばした手は、空を掴んだ。
 何かとてもたいせつなものを掴み損ねた、そんな気がして。

「僕も帰る」
「え、あ、おい和昭!!」

 追いすがる真山友紀の手を振り払って、新谷が駆け出したほうとは反対側へ歩きだした。
 今この場であいつを殴らなかったこと、誉めて欲しいくらいだ。不快感がざわざわと心神を侵食して、何でも良いから滅茶苦茶に毀(こわ)してしまいたい。両手を染める血は、他人の物か、僕の物か、こだわらず。
 ――危ういのは和治ではなくむしろ僕だと、僕自身が今、知った。こんな性質、和治は持たなくていい。
 ……だから、和治を頼むよ。守川俊哉。
side end.

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