side:千影優太 放課後、親衛隊の司馬先輩からもらったクッキーが詰まった鞄を抱えて生徒会室へ行こうとしてたら、背中からうるさくて大嫌いな声がかけられた。司馬先輩の家は製菓会社で、クッキーすごくおいしいから休憩にお茶するの楽しみだったのに、ふわふわした気分が一気にしおれた。
振り返らないで逃げ出したくなったけど、芳春に応援してもらってるから、ぐっと力を込めて振り返った。
「優太っ、どこ行くんだ?!」
っうるさい……。
駆け寄ってきた真山は俺の腕を掴んで、近くにいるのに大声で話す。
どこもなにも、生徒会室に決まってる。今は忙しいんだから、じつは授業に出てる時間も惜しまれる。ついてけなくなったら困るから、ちゃんと出てるけど。隣の席の伊能はサボってばっかなのに、A組でも上の方にいるのが納得いかない……。
「う、で、痛い……」
「そんな強く掴んでないって、優太はひ弱だな!」
「……っさわ、るな……名前、イヤ……」
こいつ、こわい。ざわざわする。触られたくない。
思い切り顔を歪めて手を振り払おうとするけど、真山はちっとも離れない。
どころか、何でそんなこと言うんだとか余計騒がしくなった。
「っ俺……お、まえ……き、」
嫌い、って言おうとしたけど、身が竦んだ。
すぐ上のお姉ちゃんに、嫌いとか邪魔とかたくさん言われたのを思い出してしまって、それがすごく痛くて悲しくて苦しかったのも思い出して、どうしても、言えない。
真山なんか芳春に迷惑かけるしうるさいしだいっきらいなのに、言えない。
――俺は、きらいって口に出して言うのも怖くて、痛いんだって、今になって気付いた。
「なんだよっ、ちゃんとはっきり喋んなきゃダメだって言ってるんだから、努力しなきゃダメじゃないか!」
「して、る……」
「嘘つくなッ、全然喋れるようになってないだろ! そのまんまじゃ優太が苦労するから、言ってやってるんだぞ!」
一生懸命頑張って、芳春や嘉山にも手伝ってもらって、やっとここまで喋れるようになったのに。
もっとみんなみたいにすらすら話せるようになんなきゃ駄目だなんて、俺が一番よくわかってるのに。
「副会長、見破った、のに」
何で他の人の被り物や努力は気付きもしないの。いつだって上からものを見て言って、おまえは何のつもりなの。
別に真山なんかに気付いてほしくないけど、何かこいつ、やっぱりおかしい。
「アシルが何だよっ!? 今はアシルの話なんかしてないだろ!」
「――さわ、るな!」
「うわ?!」
掴まれてない、鞄持ってる方の手で、真山を思い切り突き飛ばす。びっくりした真山は俺から手を離して尻餅をついた。
何するんだって喚き出す真山を放置して、また捕まる前に俺は駆け出した。
走ってる最中なのに我慢できなくて、涙がぼろぼろこぼれてく。すれ違った伊能にびっくりした様子で名前を呼ばれたけど、無視してひた走った。
(よしはる、芳春、芳春……っ)
今すぐにでも、芳春のいるだろう美術室に駆け込んで、芳春にすがりついてしまいたい。
だけどそんなことしたら、美術部の迷惑になるから、美術室に向かいかけた足を、無理矢理本館一階の展示室にむけた。まだ生徒残ってるから、誰にも見られないように気をつけて、泣いたまま展示室の扉を開けて飛び込んだ。いまほど、殆どの鍵を開けられる生徒会のカードキーでよかったと思ったことはない。
薄暗い展示室には、優勝旗とかトロフィーとか、受賞作とかが展示されている。そのうちの壁に飾られたひとつの絵の下に、俺はうずくまった。
――芳春の、絵。去年、芳春がすごく時間かけて描いた油彩画。油絵なのに少しも重く見えない、やわらかな春を思わせる優しい絵。
なのに、今まで見たどの絵よりも、せつなくて、かなしくて、心臓が痛くなる。けど同時に、すごく優しくてふわふわしてて、泣き出したくなる。芳春と出会った一番最初の受賞作の次に、俺の好きな絵。
この切なさも悲しみも痛む心臓も、ぜんぶ芳春の心だ。絵のなかに注がれた、芳春の無意識下のこころ。
どうしてこんなに切ない気持ちが芳春のなかにあるのかは、俺は知らない。でも、芳春はいつも体の中に、こんな苦しいくらいの寂しさと悲しさを持ってる。
その、たくさんせつない芳春が、まっすぐ背筋のばして前を向いているんだから、俺も頑張らなきゃいけない。こんな泣き虫のままじゃいけない。
いつまでも、すぐに芳春に甘えたがるようじゃいけない。ずっと近くになんていられないんだから。
「……がんば、る……」
ちゃんと顔を上げるから、背筋ものばすから、だからもうちょっとだけ、このまま泣かせて。
悔しくって情けなくって、どうしても涙が止まらないから。こんなんじゃ生徒会室行けないから。
「――ああ、やっぱりここにいなすった」
展示室のドアが開いて、ふんわり声をかけられたのは、心の中で会長たちに謝ったのと同時だった。
side end