泣かないおまえと卑しい自分の為の傷なら構わない



side:鴻巣一瀬

 ひどく攻撃的な気分で祖父からの電話を切って、俺は生徒会室の無駄に威圧感を醸し出す扉を開けて廊下に出た。殆ど蹴り開ける勢いだったが、それを見咎める者はいない。アシルと伊能はとうに帰っている。最後まで残っていた優太と補佐二人も、十分ほど前に帰った。

「……糞爺が……」

 校舎を出て、本降りになった雨もお構いなしで、傘も差さず足早に寮の最上階へ向かう。途中で驚いた様子の乃維の声が聞こえたが、構わずエレベーターに乗り込んだ。
 最上階に着いてから足を向けたのは、自室ではない。俺の部屋とは真逆にあるそこの玄関を、会長特権のカードキーで粗暴に開けた。これは理事長室以外なら、どこの鍵も開けられる。

「一瀬……?!」

 丁度誰かを連れ込んで玄関にいたらしい部屋の主は、俺に背を向けている黒髪の腰を抱き寄せたまま双眸を見開いてみせた。

「……五瀬」

 黒髪も顔だけで振り向いて、それでそいつが五瀬の求めてやまない白水芳春だと分かった。
 なんだ少しは進展したのか……と思うと、ささくれ立った気分も幾らか和らいだが、それでも尚荒波立つ心を落ち着かせるにはまったく足りない。
 雑に靴を脱いで上がり込むと五瀬が小言を言った気がしたが、それに構う余裕も、ましてや気を利かせて出直すという余裕さえも今の俺には、ない。

「五瀬……っ」
「ちょ、お前っ……」
「……?!」

 わざわざ五瀬の背後に回るのが面倒で、俺は白水ごと、いつの間にか俺より背の高くなった五瀬を抱き締めた。――尤も、ここにいるのが白水でなければ、俺は僅かな手間を選らんだろうし、或いは追い出したろうが。
 一瀬、と名前を呼ばれて、電話で言われたことが脳裏に去来し、抱き締める腕に更に力がこもった。

「ッく――……」
「一瀬! 少し落ち着け、白水が潰れるッ」
「……っ、悪い」

 五瀬の焦声にはっとして離れれば、白水が五瀬に凭れて少し咳き込んだ。溜め息つきつつ白水の背中を撫でる五瀬だが、多分役得……などと思ったのに違いない。

「馬鹿一瀬。せっかく風呂に入れたのにまた濡れたじゃねえか」

 また、と言うことは白水も雨に濡れていたのだろう。それで五瀬の部屋にいるのか……。

「ああ……悪い」
「つうか、てめえも風呂入れ」
「いっそ三人で入るか?」
「阿呆。軽口叩く余裕出来たなら、さっさと風呂入ってこい」
「はいはい。……悪かったな、白水」
「……いや」

 強ち冗談でもなかったが(役付きの部屋なら可能だし)、とりあえずここは五瀬に従っておく。
 苦しい思いをさせた白水に詫びてから、俺は風呂場に入った。濡れた服をカゴに放り込んで浴室に行き、温水になったシャワーを頭から浴びる。
 その間も世界一嫌いな、寧ろ憎らしい声が脳裏を過ぎっては舌打ちした。
 勝手知ったる浴室で体を適当に洗って湯船に浸かり一息ついたところで、磨り硝子のドア越しに五瀬の声がかかった。

「着替え置いとくぞ」
「あー、サンキュ」
「制服はてめえでクリーニング出せよ」
「分かってる」

 一拍置いてガラス戸に、五瀬が寄りかかって座った。

「白水は?」
「帰した。あのエロい姿で外歩かすのは不安だが」

 そう言えばあれは五瀬の部屋着だった。サイズが合ってなくて、鎖骨やら肩やら普段隠れてるとこが出てて、確かにエロかったな……。ただでさえ五瀬は胸元の開いた服ばかりだから余計だ。

「……悪いな、邪魔して」
「いや。……何があった。ッて、どうせ爺関連だろうが」
「まあな……。……お前に関わるな近付くなと、思い出したように電話してくる」

 張り付く前髪を横に退かして、浴槽の縁に腕を置く。
 あの耄碌した俗物の声が耳の奧に蘇って、また舌打ちをした。心底、胸糞が悪い。

「あの糞爺め……さっさとくたばりゃ良いものを……」
「分かっちゃいたが、随分奴を憎んでるのな、お前」

 こだわりなく言ってのけた五瀬に、俺は当然だ、と吐き捨てる。

「俺はどうして五瀬が、あの愚劣を憎まないのかが理解できない」
「何で俺が、爺を憎む必要があンだよ」
「お前があの俗物の、一番の被害者だろう! あいつが、五瀬を不当に扱ってそれで……こんな状態だってのに」
「……あのな、手前の恨みを俺に押しつけるな」
「あァ?!」

 呆れたような五瀬の声に妙に苛ついて、ついぞ声を荒げる。
 ――どうして解らない。どうして伝わらない。俺はこの世界で一番、お前が大切なのに。

「俺は確かに爺に色んなモンを奪われたがな。お前が"鴻巣"で俺が"吉良"っつう現状への不満は、そりゃお前のもんなんだよ。俺には、お前は爺が俺を不当に扱ったってことより、そっちの方が気に食わないで爺を恨んでるように見える」
「……ンなことっ、ねえよ! どっちだって同じほど、俺は赦せねえ」
「何でも良いが。兎も角、その赦せねえって思いはお前が抱くものであって、それと同じ憤懣を俺に求めるなって言ってんだよ」
「な――」
「――俺は、現状に何ら不満がない」

 あまりにもきっぱりと言い切った五瀬に、裏切られたような気持ちと寂しさが心中を浸食する。
 今の俺は、随分ひどい顔をしているだろう。隔たれていて良かった、と心底思う。

「ッ鴻巣から……俺から離れられて清々したってのか」
「違うっつーの。何でそうネガティブに考えンだよ。こうなってんのは、あの糞爺が狭量で諍いなんざ止めてやろうッて気概さえないのだと知らしめるだけで、俺達には何の弊害もないだろ」
「……野郎は、事ある毎に吉良を潰そうとしてるのにか」

 妄想に取り憑かれ、見えない敵を躍起になって打ち払おうとする爺は、常に吉良家を妨害している。その都度俺や親父殿は妨害の妨害に手を回す……と言うのが六年ほど続いている。
 幾度かは耄碌如きに出し抜かれ、吉良家が危うくなりかけたりもした。
 本当にさっさとくたばれ、と念じたところで、五瀬が「は、」と鼻で笑った。

「不沈艦なんて言われてるお袋の手腕なら、爺の邪魔程度、何の問題にもならねえよ。お前もよく知ってるだろ」
「……だが」
「だがも何もねえよ。……実はなァ、俺は爺にゃ少しだけ感謝してるンだ」
「はぁ?!」

 信じられない五瀬の発言に、上体をドアの方に捻って朧気な背中を凝視する。
 何で感謝なんかすることがあるんだ。あの爺は俺達から穏やかな日々を奪ったと言うのに!

「あの爺が俺を鴻巣から追い出したから、あんたと後継者争いなんてモンをしなくて済んだんだろ。……なァ、兄貴」
「……っそれは爺の妄想だろう!」

 ――何年ぶり、だろうか。五瀬に「兄」と呼ばれるのは。
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