side:吉良五瀬

 ――妙だな、と風紀副委員長の夏煌胤飛将が呟いた。
 夏煌胤のその不機嫌な声に、風紀室に集まっていた風紀委員(おれたち)は、各々夏煌胤を見る。呟いた夏煌胤は、校内地図と睨み合ったままで微動だにしない。

「何だ急に。警備配置決まったのかよ、夏煌胤」
「まだだ、暫し待て。手薄と死角のないように配するのは実に楽しいが、なかなかに難題なのだ。何なら貴様もやってみるか、吉良」
「遠慮する、俺は忙しい」
「ふん。それはさておき、今唐突に思ったのだよ、妙だとな」
「だから何が。学校の無駄な広さについてなら言うなよ、腹立たしいから」

 普段はどうとも思わねえ、というか当たり前だと思ってる広さも、いざ風紀として見ると見回りが面倒で仕方ねえ。つーかムカつく。特に一般人にも開放する文化祭の時期となると殺意がわく。
 外来日には男漁りの下衆な女や中等部の餓鬼共が多く来て、ただでさえ問題が起こりやすいっつうのに、何でこんなに広いんだ銀蘭は!
 設計者を腹立たしく思っていると、夏煌胤の眼鏡が怪しく光った。

「吉良よ。本家様の為されたことに不平を言うならぶち殺すが」
「……この、本家至上主義者……」

 フレームレスの眼鏡を押し上げながら言う夏煌胤に、何か力が抜けた。
 夏煌胤はかの春宮司の分家、それも本家に一番近い位置にある家だ。分家では最も力がある。
 この眼鏡先輩はその夏煌胤家次期当主で、鬱陶しいほどの本家至上主義者だ。分家はどこも本家至上主義らしいが、夏煌胤家はそれが際立っている。

「悪いか。それと私のは主義ではない。本家様が至上であることは紛れもない事実だからな。特にその素晴らしい本家様のなかでも、私のお仕えすることとなる次期当主たる若様は至上も至上、比肩し得る者の存在しないかと言うほどに素晴らしいお方で」
「わかった、わかった! 春宮司家と代理がすげぇのは十分理解したから、さっさと何が妙なのか言え夏煌胤!」

 一度こいつが本家について語り出すと少なくとも一時間は止まらないので、夏煌胤の台詞を遮って促した。不満げに見て来る夏煌胤はストイックな優等生といった風体をしているのに、何だってこう変な奴なんだ。
 何度もうんざりさせられてきた風紀の面々は、その何人かが夏煌胤の後背で親指を立てていた。おい今口パクで「きらりんグッジョブ」っつった奴前に出ろ、一発殴るから。

「ああ、うん、親衛隊の動きだ」
「……あァ、真山の件か」
「然り。普通なら例の食堂事変ののち即刻動くだろうに、不気味なほど沈黙している。これを妙と言わずしてなんとする」
「さァな。このクソ忙しい時に大人しくしててくれんのは純粋にありがてぇ、が……」
「奴等が――いや《陰》が我々の迷惑を考慮するとは到底思えん。今までを鑑みるに、到底な。時期を考えるような奴等であれば、風紀や生徒会の多忙な時期には今までも大人しくしていただろう。であればどれだけ助かったことか」
「ああ……」

 所謂《過激派》と呼ばれる親衛隊は、制裁の事後処理をさせられる俺たちの都合を考慮したためしがない。一瀬方の裏はその最たるものだ。嘉山や龍鳳寺方の宰とか、敢えて考慮せずわざと俺らに負担をかけているという質の悪い奴等もあるが。嘉山のは絶対俺個人に対する嫌がらせだ。俺が白水に惚れてるもんだから。
 そのどれもが――学園に存在し、俺たちの把握している親衛隊のどれもが、停止している。白水や千影、陵のところなどはともかく、過激派さえも――というのは不自然がすぎる。

「或いは――時期(とき)を待っているのやも知れませぬ」
「秋大路」

 制服をロングコート状に改造した五月雨のような雰囲気の一年が、古風な口調でそっと言った。
 秋大路涼月、これも春宮司分家の一で、分家では第二位の家だそうだ。珍しいことに、今年度の高等部には春宮司分家が勢揃いしている。
 ……つーかお前、暑くねェのかその格好。

「時期?」
「左様に……。友人が副会長方の者から聞き及びたることに御座いますが、副会長方は策謀のさなかであるとか」
「謀……?」

 と、夏煌胤と顔を見合わせた。
 今までに親衛隊が、策を弄することなどあっただろうか。あったとしても、呼び出すために罠に掛けるとかその程度、到底策謀なんて呼べる代物ではないモンばかりだった。
 その親衛隊が、策謀――。

「宰なら、有り得ないこともないが……。あれは龍鳳寺親衛隊にしておくには惜しい男だからな」
「龍鳳寺方だけならそうだろうが、それじゃ一瀬ンとこの鼠と嘉山方が黙ってることに説明がつかねえ」
「嘉山方は、嘉山が止めているだけではないのか?」
「止める理由が御座いませぬ。嘉山殿が真山友紀を厭うておられるのは、誰の目にも明らかに御座いますれば。――盲目を除き」

 だよな……と頷きかけて、はたと思い至る。
 嘉山が、親衛隊を止どめる理由になり得る者がある。嘉山にとっての最後の砦とも言える、俺の最愛。

「――白水だ」
「……白水?」
「白水殿……?」

 今度は分家二人が顔を見合わせる。
 やや夏煌胤の機嫌が低下したように見えるのは、間違いではない。夏煌胤は代理に目を掛けられている白水に、嫉妬しているから。それを言えば嘉山もそうだが、白水のがより春宮司の庇護を受けているから、白水のほうに妬くのだろう。

「何故、白水殿が出て来るので御座いますか、委員長」
「嘉山の、白水への依存っぷりは異常なほどだからな。嘉山が何かを成す背景にはいつも、白水がいる」
「であるならば、余計嘉山が親衛隊を止どめる理由にはならんだろう。嘉山ならば、真山友紀を排斥しようとするのではないか? 真山友紀は白水に纏わりついていて、だが白水は明らかに真山を厭うているのだから」
「多分――嘉山にとっての、白水にとっての最後の一線があるんだろう。というか、在る。この〔越えてはいけない〕一線を真山が越えたなら、恐らく白水は時期を問わず真山を拒絶する。そしてそれこそ、嘉山にとっての最後の一線」

 ――の、はずだ。
 嘉山は恐らく、白水がはっきりと拒絶を示した相手のみを排除してきた。今までも、これからも。本人の意思を確認してから動くあたり、嘉山は過激派よりも冷静だ。
 しかしこれで嘉山方の動きにはまあまあ納得がいくものの、一瀬ンとこの鼠どもはさっぱりわからない。陣容も人員も割れてねぇから、予想のしようもない。

「その、白水の最後の一線というのは……」
「……」
「多分、二人の考えてる通りだろ」

 ――白水の両親が惨殺された、という過去。それも、白水の目の前で。
 これは第三者が易々触れて良いものではない。特に真山みてえな暗愚は尚更。
 顔を背け、目を伏せた夏秋だったが、ふと夏煌胤が俺を胡乱げに見やった。

「吉良――。何故貴様が〔あのこと〕を知り得た?」

 夏煌胤の厳しい声に、秋大路がはっとして俺を睨んだ。

「例の件については箝口令がある筈だ。あれと関わりのない貴様が、何故知っている」

 分家なら、本家から話が行くなり何なりで知っていて当然だろう。箝口令をより盤石にしたのは他でもない、夏秋の二家なのだから。
 夏煌胤のあまりの怒気に、他の委員は耳を塞ぐことを選択したようだった。秋大路以外は、自分の仕事を再開している。
 ――そう、このように、境界線は見極めるべきだ。真山友紀は勿論、俺も。誰もが。
 自分が立ち入って良いことかどうかを見極めなければ、いずれは自滅の不帰路を行くことになる。

「……調べた。で、調べるべきじゃなかったと思った。当人の口から聞くべきだったと、これでも一応後悔してるし、申し訳なく思ってる」
「真山友紀とさして変わらぬな……この下衆が。よくも我らの守りを破ってくれたものだ」
「本当にな……」
「しかし後悔は、したところで何も始まりませぬが、先への戒めともなりましょう。委員長は己を正せる御仁と、私はお見受けしておりますれば、貴殿は二度と同じ愚を犯しますまい」

 言って、能面の秋大路は珍しく微笑した。

「……戒め、ね……」
「ふん、涼月めの言には、まあ同意せんでもない。でなくば単に無双だからと、この学園で《風紀委員長》など勤まらんからな。その点に於いては、私は貴様を評価しているのだよ。なればこそ、腹立たしくもあったのだが」
「悪ィな、期待を裏切って」
「いや……好いた相手のことを知りたい、という欲求まで咎めはせんよ。好けば好くだけ溢れる欲だからな。分別や自制を越えるほど、貴様が白水に焦がれている、ということの証左なのだろうしな」

 克己出来なかったのはやはり褒められないが――と苦笑混じりに言った夏煌胤に、肩を竦める。
 いずれは――機会があれば、過去を暴いてしまったことを、白水に話すつもりでいる。この絶対的な非を隠したままじゃ、誠実でないだろう。それで拒絶されたとしても、構わない。自業自得なのだから。

「……へェ、能面でも恋心は理解ンのか」

 気持ちと話を切り換えるために軽口を叩けば、夏煌胤は方眉をひくりと上げた。

「……誰が能面か。だとしても、私は涼月めよりはマシだ」
「……飛将様にだけは、言われとうのう御座いますな……」

 無表情で火花を散らす夏秋に、誰かが「能面頂上決戦……」と呟いた。
 それを皮切りに「五十歩百歩」だとか「大同小異」とか「団栗の背比べ」だとか好き放題言い出したので、後で夏秋に説教を食らったのは――風紀では割合、見慣れた光景だったりする。
Side end.

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