薄暗い美術準備室で雨聲を聞きながら、一人胸像を描く。先月まではこっちに屯していた連中も、文化祭まで一月となった今は、美術室で作品に取り掛かっている。
 そんな時期なのに、何で俺が未だ準備室にいるかというと――

「白水」
「……副部長」

 そっと美術室側から入って来たのは、香坂隆成副部長だった。彼のうねる黒髪は野暮で重たく見える。普段はそうでもないが、雨ですぐ言うことを聞かなくなるのだと話していたのを、聞いたことがある。
 しかしその間から俺を見る黒の双眸は強く、鉄のように冷たく硬質だ。視線がキツい上に他者を排斥するような色に見えるから誤解されがちだが、この人は多分誰よりも部員思いの善人なので、俺は彼が嫌いじゃない。多分部員の誰もが、彼を好きだろう。
 副部長は形を成し始めたスケッチを覗き見て、眉を顰める。

「穏やかでない、ね」
「……」

 香坂隆成という人間は、人の絵に隠れる本質や本心、当人さえ気付いていない深層の心を見抜くのに長けている。彼が俺の絵を見て「泣いている」と言ったのは、中等部に上がってすぐのことだった。
 そのように、今回もまた、俺に潜む負の感情を見抜いたわけなのだろう。俺は自分の絵が荒れているのを自覚しているので、否定しなかった。

「だから描かないんだ、文化祭用に」
「……まあ」

 正常じゃない時に描いた平常でない絵なんて、見せられたもんじゃない。そんな時に限って傑作の生まれる可能性がないとは言わないが、少なくとも俺は人に見せられない。平常の深層と混じって、奇妙なことになってしまうからだ。
 ……というのに最近気付いた。そんなもん展示したらたぶん千影が泣くし(というか既に最近のスケッチを見た千影がその奇妙な感覚に泣いた後だったりする)。

「転校生……か。やっぱり相変わらず、付き纏われてるのか、な」
「副部長こそ相変わらず、美術に関する話以外には興味ないんですね」
「なるほど」

 遠回しな肯定は、副部長の気に入ったらしい。彼は緩く笑んで頷いた。
 ――真山は相変わらず、人目憚らず俺や嘉山に近付こうとしてくる。転校して一月もあれば、学校のことを知るには十分だろうに、真山はそれをしない。
 自分を曲げないとか言うんじゃない。まわりに合わせてみようという考えを持っていないんだ。
 多分今まであいつの周囲が、あいつに合わせていたんだろう。良くも悪くも中心人物というか……。
 全く違う環境下でそれまでと同じ振る舞いは通らないと、真山はいい加減気付くべきだ。
 猶予はもう十分すぎるほど与えた。なのに少しも改善が見られない。拒絶をためらう理由なんてない――が、これから忙しくなるのに騒動の引鉄なんて弾きたくねえから我慢する。
 第一まだ、踏み込まれたくないとこには来ていない。その前に改善が見られればいいんだが、期待薄だろうな……。
 我知らず溜め息を吐くと、副部長が僅かに険しい顔をした。

「注意しても、きかないんだろうな」
「どころか副部長も変に絡まれると思うので、関わらないほうが良いですよ」
「俺、部員の精神を悪い方向で乱す奴は、許容できないんだよ、ね」

 独特なテンポで話す彼は、冷たい顔をして窓の外を見やる。
 許容できない――と言っても、副部長が直接手を下したりすることはない。部員の人間関係は当人が解決すべきだと、副部長自身思っているからだろう。
 ただ今回は、絵に悪影響が出ているし、下手したら部全体に災禍が及びかねないから言ったのだと思う。時期が時期だから、警戒するのも当然のことだ。

「……部のほうにまで騒ぎを及ばせないよう、留意しておきます。君子危うきに近寄らず精神でいてください、せっかく近頃機嫌良いんですから、副部長」
「……あれ、出てた?」

 言うと副部長は目を丸くして、口元に手をやった。
 ここ最近の幸せオーラは、まったくの無自覚だったらしい。

「それはもう。何があったかは知りませんが、」
「ああ実は、」
「聞いていません遠慮します」
「……聞いて?」
「お断りします」
「白水〜」
「嫌です」
「……惚気させて、よ」
「尚のこと嫌です。作品を放っておいて宜しいんですか副部長」

 待望の画集を買ったとか画材を買ったとかならまだしも、人の惚気なんぞ聞いていられるか!
 しつこく言い募る副部長に淡々と、あくまで淡々と言い返す。作品を出されると筆の遅い彼は言葉に詰まって、すごすご扉の前に撤退していった。美術室へ戻る前に、

「ひとつ訂正。俺が興味もつのは美術に関する話と、江田島のことだ、よ。それもあって、転校生には自重してもらいたいわけ、さ」

 江田島……ッて確か、王佐筆頭――鴻巣親衛隊長の江田島乃維?
 副部長とはずっと同室だそうだが、俺に訂正することなのか、それは。というか何故真山の自重を求める理由に江田島乃維が出て来るんだ。
 内心首を傾げているうちに、副部長は満足げに準備室から出て行った。
 残った俺はひとつ息を吐いて、スケッチブックを片付ける。部活終わりまでは、雨聲でも聞いていよう。もう暫くすれば、こんな風にのんびりも出来なくなるのだから。
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