生き害



side:陵和昭

 嘆息、する。
 六月に入ってからは晴れ間が少なくて、今日だって身知らぬ涙を薄暗い空が静かに流している。降り始めたのは、数分前のことだけれど。
 放課後の、誰もいない雨音だけの空き教室で、ロッカーにもたれて、嘆息する。

(つかれた……)

 悲鳴をあげる心をごまかしながら暮らすのは、ひどく疲れる。
 疲れるけど、それを誰かに悟られるわけにはいかない。無駄に鋭いくせに鈍い転校生は元より、――和治には決して。
 僕が、陵和昭が転校生に一矢報いるのは僕のためじゃない。和治のためだ。
 あの日和治はとても恐くて辛い思いをした。転校生が僕らを見分けて引き裂いたせいだ。僕だって痛かったけど、和治はきっと僕以上におそろしかったはずだ。だって和治は僕よりも痛みに敏感なのだから。
 ……だから僕は転校生を傷つけたい。僕の手で。和治に味あわせた以上の痛みを、恐怖を、絶望を植え付けたい。
 そのために心を開いたふりをして、見分けられて痛がる心から目を逸らして、転校生のそばにいる。和治に同じ苦痛をもたらしてしまっているのは、申し訳ないけれど。
 僕は、自分より和治がたいせつなんだ。だって僕は、和治のために和昭になったんだから。
 和人(ひとつ)になれないのは、僕が和治のために存在しているからなんだ。
 和治が和人のままだったとしても、僕は和人のなかに生まれていたんじゃないかな。そしたら二重人格になっちゃうから、体を持てて良かったと思う。和人の人格のうちじゃあ、身を呈して助けらんないし。
 ――和治は、風船みたい。ふわふわ、浮かんで、飛んでって、遠くまで飛ばされちゃう。だから僕には和治を地上と繋いどく役目がある。
 風がきたらうんと踏ん張って、和治が飛んでかないようにして、和治が割られないように守っとくの。
 それが、僕が和昭である意味。和治になった意味。和人から分かたれた意義。父さんや母さんもきっとそれを望んでる。和治は嫌がるかもしれないけれど。

「僕じゃあ、ない……」

 だから和治の欠落を満たしてあげられるのは、残念ながら僕じゃないのだ。だってひとつになれないし――というより、そもそも和治の欠落は、ひとつになれたところで埋まる類いのものではないと、僕は思っている。
 ……いったい、誰が満たしてくれるのかな、和治の欠落を。哀しみを。寂しさを。
 和治の餓えを満たしてくれる人が現れたら、僕の意味がなくなっちゃうかもだけど、それなら僕は本望だし。
 誰かな……と呟いたとき、不意に世界に別の音が混じった。人の足音だ。
 一人分のそれは次第に大きくなって、やがて僕のいる教室の前で止まった。前のドアのとこ。あっちは曇りガラスだから、誰なのかはわかんない。でもシルエットで、転校生じゃないことはわかる。あんな背ぇ高くないもの。
 じゃ誰だろ、と首をかしげたところで、ためらいなくドアが開かれた。

「……なぁんだ」
「コンニチハ、陵センパイ」
「なぁに、嘉山鶫」

 現れたのは白水芳春といつもいっしょの、オレンジ頭の変人だった。薄ら寒くなるような笑みを、相変わらず貼り付けている。
 嘉山鶫と初めて接触したのは、芳春と話した日の夜だった。寮の誰もいないとこでたまたま(かどうかはわからないけど)遭遇して、転校生傷つけたいんだけど、って言ったら二つ返事で協力を得られた。
 他の親衛隊を押さえてくれたみたいで、結構感謝してる。一月以上も効力あるって、どんだけだろう。
 でも、押さえがきかなくなっちゃえばいいのにとも思う。じわじわ傷ためて、とどめをさすっていうのも良い。

「……芳春は、なんで転校生拒絶しないの? 猶予なんてもう十分じゃない。一月経つのに転校生は何も変わらないし、理解しようともしてない。自分本位の正道にこっちが染まることを強制してるだけ。……十分だよ拒絶には」

 芳春を名前で呼んだからか、嘉山はちょっと気に入らない風に目を眇めた。でも知ーらない。呼ぶなって当人から言われてないもーん。

「まあね。でも、まだいーちゃんの禁領に踏み込まれてないから、まだ早い。――身の程知らずだと、俺が言うにはね」
「禁領?」
「そっ。あんたらがまだ見分けられることを厭うなら、いーちゃんにも踏み込まれたくない領域があるんですヨ。真山は意外にも、まだそこに侵入してないから」
「……芳春の禁領って、なに?」

 知りたい。あの芳春が、転校生みたいな奴に踏み込まれたくない領域って、どんなものなのか。
 なんだか、芳春には興味があるのだもの、僕は。

「あんたは知らなくていいことです。……まあ、今真山に踏み込まれても困るから、出来ればこのままであって欲しいけど」
「なんでさ。僕はさっさと転校生泣かせたいよ。あいつ、守川みたいに何かを漠然と気取ることもなくて、和治を恐がらせてるんだから」
「けどねェ、もうすぐ文化祭で、いーちゃんはクラス代表なんだよね」
「……むー」

 そんなん言われちゃ、黙らざるをえない。
 文化祭で奔走するのは主に生徒会と実行委員と風紀だけど、代表委員もクラスを纏めたり実行委員と協力したりで忙しいのだ。
 転校生嫌いだけど、芳春は結構気に入ってるから、これから慌ただしくなるのに面倒起こしちゃかわいそうだ。
 しかたない……文化祭終わるまでは我慢しよう。……それまではあと、一月と少し。――和治は、保つだろうか。

「ま……その前に真山が禁領を侵したら、忙しなさなんて関係ないけど」
「ふーん……。その禁領って、転校生は絶対侵しちゃ駄目なんだね」
「あは、侵略するならなぶり殺しにしてやりますよ〜。舌引っこ抜いて目玉抉って頭蓋ごと脳髄叩き潰して鮫の餌にするか、そうだなァ、手足縛って生きたまま水酸化ナトリウムのプールに突き落とそっかな。……まァ、法が邪魔なんだけど」
「こわぁい。目ー超本気だったよ嘉山」
「ちょー本気でーす。真山みたいな蒙昧が、気安く触れて良い存在じゃないんだから、芳春は……」
「カミサマ扱いだね」
「カミサマ以上。いーちゃんは俺のせかいだから。……あんただって本音は、オニーサン触らせたくないんじゃないんですかァ」
「……そうだよ」

 わざと気に障るようなしゃべり方をして、嘉山は言い当てた。やっぱり嘉山とかになると、隠せないなー。

「……ねえ、転校生は壊れると思う?」

 ふと、思ったことを尋ねる。あの図太い転校生の、はたして心を壊せるだろうか。
 嘉山は薄ら寒い笑みを貼り付けたまま、さあね、と言った。

「無駄にポジティブだし、打たれ強いし……肯定的なこと言うのは無茶苦茶腹立つけど、あいつは精神の破壊すらプラスに変えかねないですし。……それくらいの強さがある。蒙昧でさえなければ、良い人間だったでしょうよ」
「ふぅん。嫌う割によく見てるね」
「そこで孫子ですよん」
「あ、そ」

 まあ、本音では壊れてしまって欲しいけど、壊れなくとも和治がどれだけ痛かったかを思い知ってくれればとりあえずは良い。自分のしたことの重さを知ってくれれば。自分の罪を自覚してくれれば。
 転校生は人にある暗い部分――闇を知るべきだ。闇を知らない光なんて、押し付けがましいだけだから。

「そういえば、何の用?」
「特に用はないですよ。ふらふらしてたらあんたがいた、それだけ」
「いかにも用ありげだったじゃない」
「そーでした? 駒に用なんてあるわけないでしょ」
「言うね」
「あんただって、俺もいーちゃんも手駒程度の認識でしょうよ」

 まあ協力してるって言っても、僕は実行犯で、嘉山は裏で糸引いてる感じなんだけど。合致している目的を共有してる、だけの関係。

「嘉山はそうだけど、でも芳春は結構すきだよ。興味ある」
「なにそれ萌える」
「えっ?」

 何かよくわかんない事を言った嘉山の目は、なんだか生き生きしてる気がした。
 意欲でた〜とか何とか言って嘉山は出ていって、それでまた静寂。……何だったの、あいつ?
 何かさっきとは違う意味で、嘆息。


Side end.

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