遺灰を背にして



Side:千影優太

 ――そのころ、俺は抜け殻だった。
 唯一俺を見て慈しんでくれた祖母が他界して、自分が存在している感覚がとてもあやふやで。嗚呼いっそいなくなってしまえたら――そう思い始めた頃、俺は寮のすぐそばにある森の中でスケッチをしている芳春に出くわした。中一の、秋のこと。
 前から芳春の存在は知っていた。とてもかなしい絵を描くやつだ、って。穏やかな絵のむこうでかなしんでいる芳春の存在は、俺のたすけにもなってた。寂しいのは俺だけじゃない。泣きたいのは俺だけじゃない。俺は――ひとりじゃない。芳春の絵を見ていると、そう想えた。
 芳春が初めて賞を取った翌年の小五のとき、同じクラスになれて、芳春とともだちになった。嘉山は、いやそうだったけど。

「――いずみ……」

 ちっちゃいシュークリームをくわえた芳春は、俺が声を掛けるとすぐに振り向いた。芳春の黒い眸が俺を映して、なんだかとても安心して、泣きたくなった。

「白水……」
「何?」

 スケッチのじゃましたのに、芳春を呼ぶだけの俺に嫌そうな声をださなかった。ただじっと、俺を見ている。

「いず、み……っ」
「……何泣いてんだ」
「ここ、いても、いい? 俺っ……俺、いてもいい?」

 ついに我慢できなくなって泣き出した俺に、芳春はすこし驚いたようだった。
 芳春の絵は俺にひとりじゃないと思わせてくれたけど、祖母がいなくなった今、そう思うこともできない。俺は家族のだれにも、あいされてない。意思表示が苦手で、出来もよくなくて、人とのコミュニケーションも上手くない、鼻摘みな末っ子だから。そもそもあの人たちには、俺ができたことさえ予定外で不本意なことなのだ。
 俺は、いてもいなくてもかわらない。だったらどうして、俺はここにいるの?
 しばらくのあいだ、お昼の光が枝葉のすきまから降り注ぐだけの森に、俺の嗚咽だけがひびいていた。

「……いろよ、好きなだけ」
「っずっと、でも? ずっと俺はっ、いて、いいの?」
「良いよ」

 芳春にはめずらしく、やわらかい物言いだった。そのやさしい声に、俺はとうとう大声で泣いてしまった。
 ――誰でもいいわけじゃない。良いよと言ってくれるなら、愛してくれるなら誰でもいいわけじゃない。
 俺は芳春に、言って欲しかった。俺のよすがに。
 しゃがみ込んで泣きわめく俺に、芳春はなにもいわない。なにも、きかない。

「さみし、い……っ」

 寂しいよ。痛いよう。
 愛されたい愛されたい愛されたい。愛してくれないならどうして俺を産んだの。どうして捨ててくれなかったの。円満な家庭を見せつけられるほうが、俺にはずっと悲しくて痛くて寂しいのに。
 抱き締めてくれるだけでよかった。頭をなでてくれるだけでよかった。笑いかけてくれるだけで、名前を呼んでくれるだけでよかった。少しでも愛されてるって思わせて欲しかったんだ。
 家族の誰にも必要じゃないのに、どうして俺はここにいるの?
 ひとりぽっちの暗闇に、俺はたえられない。

「……千影」

 泣きじゃくる俺に、芳春はやさしい声をかけた。それに俺は更に泣いた。

「――おいで」
「……!」

 大樹に寄り掛かって座る芳春のその言葉に、がばりと涙とかでぐちゃぐちゃな顔を上げる。芳春はいつもの無表情をちょっとだけ、ほんのちょっとだけ笑みに変えて、俺に手を差し延べている。
 なんだか犬に向かってするみたいな感じだけど、それでもいい。芳春のせかいに入れてもらえるなら、ひとりぽっちじゃなくなるなら、犬でいい。
 ――生きている理由を、ください。生まれた理由を、世界(ここ)にいる理由を、どうか与えて。

「よし、はる」

 差し出されたてのひらに、犬みたいにお手をした。芳春は、ちょっとだけ面食らったみたいだった。
 すんすん鼻を啜りながら芳春を見つめていると、芳春は俺の頭をなでて、ちっちゃいシュークリームをひとつ食べさせてくれた。
 芳春のくれたシュークリームはとても安っぽい味だったけど、すごくおいしくて――食べ物をおいしいと感じたこと自体が、初めてだった。
 それは俺が、確かな存在を得た証。俺の場所を、得た日の話。


Side end.

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