玉響の鎮静



Side:守川俊哉

 ……逆に不気味だ。
 何がって、念の為早く登校してみたけれど、友紀の机も下駄箱もロッカーも綺麗だったことが。
 友紀は俺を心配性だと言ったが、鶫サマあたりの親衛隊ならすぐに動いてもおかしくない筈なんだ。奴等は事情なんて鑑みないから。
 不可解な沈黙に空恐ろしさを感じながら、今は自習になった二限、選択美術。課題を進めるもよし、無為に過ごすもよし……と事もあろうに担当教師が伝言した。
 俺は殆ど終わってるんで寝ようかとも思ったが、何となく入口のそばの席で課題してる白水を見やる。
 白水はパレットを開いたはいいものの、一度筆を滑らせたきり、水容れに筆を突っ込んだままぼんやりしている。今朝からずっとあの調子な気がする。

「あれ、白水どうしたの」
「別に……」

 白水の後ろに座ってた奴が、パレットと水容れを持って立ち上がった白水に声を掛けた。それに白水は素っ気なく答えて、窓際にある水道にパレットを洗いにいってしまった。
 時折腰を庇うようにしているから、白水をよこしまな目で見ているやつなどはあらぬ妄想をしているようだ。
 つか……い、白水ってネコだったのか……? 誰だよ白水みてえな奴が足開く相手って!
 衝撃的な事実(?)に愕然としているあいだに、白水はパレットとスケッチブックを片付けて準備室に行ってしまった。
 何か……様子が変だ。白水らしくない。美術の授業を自習とはいえ途中で抜けるなんて、らしくない。
 白水は別に絵を描くのが特別好きというわけではない。うまく描けるから描いていて、賞を取れるから描いているところが、多分にある、と思う。俺には、そう映ってる。
 頬杖をついて、廊下側の壁に飾ってある、白水の去年の受賞作のうちのひとつを見る。
 何の変哲もないどこかの浜辺。波打ち際を歩く、髪を二つに結った五歳くらいの女の子がうすく描かれてある、明るく穏やかなくせ、なぜか物悲しい絵。その差異が、俺を捕らえて放さない。
 でも白水は、絵を描くことが嫌いなわけではないだろう。一等好きってことじゃないだけで、好きのうちには入るはずだ。じゃなきゃ美術部に入って、毎日のように描いたりしない。
 その白水が、いくらも進めないうちに止めてしまったというのは、少なからず衝撃だった。

「なあ、白水どうしたんだろうな」

 前の席の、整っているもののココじゃ埋もれちまうような顔立ちの奴が振り向いた。何て奴だっけ……。

「……俺?」
「守川に決まってんじゃん。幼馴染みだろ、お前ら」
「え、あ……え?」
「嘉山と白水とお前、初等部ん時ずっと一緒だったろ」
「……まあ」

 中等部に上がる春休み、いきなり鶫サマから不燃物認定されるまでは。
 そいつ――村上はいきなり暗くなった俺に首をかしげつつも、準備室の扉を顎で示した。

「ん」
「なんだよ」
「様子見てこいよ」
「何で俺が……」
「だって嘉山は音楽だし。ま……あれはあれで色っぽいケド、心配だし」

 村上の言う通り、鶫サマの選択は音楽だ。友紀も一緒だから、不安でしかたない。どうせまた機嫌損ねることをしているだろう。けど教科別れる時まで面倒見られねえ。荒療治であの性格が改善されたらな、とちょっと他力本願に思ったり。
 気付けば全員が、村上の言に然りとでも言うように俺を見ていた。うちのクラスは音楽組が若干多いが、それでもクラス半分近くの人数から一気に見られて気圧された。
 頭を掻きながら席を立つと、村上が「よろしく〜」と呑気に手を振った。……このやろう。
 激しく気が進まないが、意を決してドアノブを捻る。
 美術室よりも少し薄暗い準備室、その中央に置いてある机に、白水は突っ伏していた。なるべく音をたてないように、ドアを閉める。
 ――鶫サマに切られてからこっち、俺は正直、白水が得意じゃない。嫌いなわけじゃないけれど、白水はいつも鶫サマのそばにいて、鶫サマに一等求められているから。
 ……みっともない嫉妬だ。子供みたいな。
 俺は俺を自覚する前からずっと、鶫サマに仕えるんだと親に言われてきて、あのころはそれ以外知らなかった。だから要らないなんて言われて、せかいが真っ暗になった。どこに行けばいいのか、何をすればいいのかもわからない暗闇だった。わかるのは寂しさだけの、深い闇。
 そこに光を入れてくれたのが友紀だから、俺は、俺こそ面倒に突進していってると自覚しつつも友紀を見放せない。扉を開けてくれたから、ようやく鶫サマの姿を見られた。白水の姿も。またあそこに戻りたいと、思った。

「――何だよ」
「え、あ……」

 ぼんやり、白水の上下する背中を眺めながら物思いに耽っていたら、いつの間にか白水は顔を上げていた。いつもの傲岸そうな面だが、覇気――のようなものがひどく微弱に思えた。
 それでも、俺を拒絶するような眼光と空気だけは過ぎるほどに鋭利だ。

「その……どうか……したのかって、他の奴等が」
「どうもしねえ」
「下手な嘘を」
「うぜえぞ、守川」
「っ……」

 白水が、鶫サマ以外に向けたそれを聞くのは初めてだったので、少し怯んだ。

「心配……してるだけだろうが」
「余計だ。第一、てめえはしてねえだろ」
「してる、一応……」

 いくらなんでも、こうもらしくないのじゃあ、心配になってしまう。
 鶫サマだって、今朝から機嫌があまりよくないから、何があったのかも気にかかるし。

「てめえにゃ関係ねえよ。失せろ」
「……けど」
「描けねえから描かねえだけだ、うぜえから絡むな」

 食い下がろうとする俺に舌打ちをして、白水はぶっきらぼうに答えた。
 白水はもう話す気がないのか、また突っ伏してしまった。
 何となくまだ、この薄暗くて雑多な部屋に白水といたくて、ドアに背を預けた。苦手なはずなのに、嫉妬してるのに白水を放っておけない。
 どうしてか、今はひとりにしてはいけないと、思った。

「……なあ」

 返事はない。

「俺が嫌いか?」
「……てめえが俺を嫌いだろ」
「得意じゃない……それは置いといて、どうなんだよ」

 黙らせておいちゃ危うい、気がしたから、何でもいいから話しかける。
 思考を会話に向けさせないと、危ない気がする。何でかは、わからないけれど。

「……どうでもいい」
「……ひでえの。何で」
「俺のせかいで、お前は消えそうだから」
「……」

 ……ちょっと、痛かった。理由を聞いたのは俺だが、俺がどうなろうが白水は心を動かさないのだろうと思うと、少し痛い。
 俺は白水がいなくなったら、多分悲しいのに。
 ――悲しかった。二人が、どこにも見えなくなって。

「俺、白水が、あんま好きじゃないけど好きだ」
「は?」
「昔は、ダチだと思ってたから、それが残ってるから」

 嫌いになれなくて、心配になるんだ。
 昔、白水は白水のせかいに俺を受け入れてくれた。八歳の夏休み、鶫サマに森に置き去りにされて泣きそうになってるとこに白水がやって来て、滅多に笑わなかったのに何泣いてんのってしかたなさそうに笑った顔は、俺のなかに深く刻まれているらしい。
 それに――あれからも白水のなかに、俺の居場所を残しておいてくれた。さっさとせかいから切り離してしまえばいいのに。去る者追わずっていう――そう言う、奴だろ、白水は?
 なのに……俺の帰るところを、何年も残しておいて。
 それが俺の妄想だとしても、こんなにも……、嬉しい。

「白水」

 ドアから離れて、白水が突っ伏してる机に向かい合わせて置いてある机の椅子に座って頬杖ついた。

「うぜえ。どいつもこいつも俺に縋りやがって。重てえっつうの、馬鹿どもが」

 突っ伏したまま、白水は悪態をつく。
 でも拒絶の空気は、なくなっている。俺にまた、笑ってくれるだろうか。昨日、睨んでしまったけれど。

「……真山といる時近寄るなよ」
「わかってるよ。つか、んなおっかねえこと無理。……なあ、何で鶫サマが俺を捨てたか、わかるか?」

 話した勢いでつい訊くと、白水は暫く黙り込んでから、苦々しい声を出した。

「……俺は理解できねえから、鶫に直接聞け。確実にいらん知識を植え付けられるだろうがな……」
「は? なんだそりゃ」
「とにかく俺には理解ができねえから説明できねえ。……また鶫に容認してもらいてえなら、真山がいるうちは無理だぞ。早く戻って来てえなら真山を切れ」
「う……戻りてえよ。戻りてえけど、それは……」
「ふん、お人好し。痛い目見るぜ」
「もう……見てるような気もするけどな……」

 昨日は部屋戻って来た友紀に何で先に帰るんだって責められたし、ついてきた副会長と伊能に部屋追い出されたし(仕方ないのでセフレんとこに泊まった)。
 遠い目をしていたら、白水に鼻で笑われた。
 ち……違う……。確かに笑っては欲しいけど、して欲しいのはそんな、そんな笑いじゃ……っ!

「……俺はせいぜい俺自身と鶫ぐらいしか抱えられねえよ。それ以外は振り落とされたら捨て置くからな」
「……良いさ」

 切り捨てると言いながら、どうせ白水は振り返る。自分のせかいに入れた奴には、とても甘くてやさしいから。今の俺が、良い例だ。
 でも、俺はもう落ちたりしない。落ちたってすぐ立って追いかける。何があっても、ずっと。
 そのためには――まず鶫サマに容赦してもらわないとな……。どうやって二人きりになるかなあ……。

Side end.

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