赤い夢を見ていた
※この話には猟奇的・残虐・グロテスクな表現があります。苦手な方は避けてください
――その日は、父も母も嬉しそうだった。
「今日は早く帰って来るから、そしたら、沢山遊んであげるからね。それじゃあ、いってきます、芳春」
幸せそうに微笑む父さんに、幼い俺はこくりと頷く。俺の頭を撫でて父さんは立ち上がり、大きな扉を開けて、家を出た。
扉から入り込む、初夏の朝の日差しが眩しくて、目を細めた。
「芳春、そろそろ幼稚園に行く準備しなくちゃ。鶫君が迎えに来ちゃうわ」
隣で一緒に父さんを見送っていた母さんが、俺を見下ろしてやんわり微笑む。彼女の腹は少し、大きくなっている。先日、そこにいる胎児が女だと分かって、春歌と名付けられたばかりだった。
――嗚呼。これは夢だ。平穏を無惨に崩された日の、悪夢。
幼い俺は頷いて、部屋に着替えに向かう。嘉山家はうちの三軒向こうに住んでいて、鶫とは幼稚園も同じだったから、毎日一緒に通っていた。近所にあってバスに乗ることがなかったから、遠足だとかの時に鶫がとても喜んでいたのを、よく覚えている。
幼稚園の園服をきちんと着て階下に降りると、すでに鶫と鶫の母さんが玄関にいた。
「いーちゃん、おはよー」
と、言いつつ、小さな鶫は半覚醒もいいとこだ。おはよう、と返して、母さんから鞄を受け取った。
「いってらっしゃい」
母さんは腹が大きくなってきてからは、あまり出歩かないように父さんから言われていた。父さんは心配性だったから。
だから俺は鶫と登園していたし、帰りも然り。
母さんの声を背後に玄関を出て――場面は唐突に、夕暮れ時の家に変わった。
窓から差し込む光は代々を帯びて、玄関も同じような色彩で、少しだけ薄暗い。
「もうすぐお父さん帰ってくるから、お出迎えしてね」
夕飯を、――子供の目にいつもより豪勢な夕飯を支度している母さんに言われて、俺は玄関の近く、出入りする人の横顔を見る位置にある収納の扉に寄りかかって座った。白いそれはブラインド状になっていて、凹凸が少し背中に痛い。
ふと、父さんを驚かしてやろう、と珍しく年相応なことを思って、収納の中に俺は隠れた。今思えば珍しく年相応だったから、俺は生きているのだろう。
夕陽の赤みがいっそう増したころ、インターフォンが鳴った。父さんではない。父さんなら鳴らす必要がないから。小走りに母さんがやってきて玄関を開ける。
ちらり、と僅かに色とりどりの花束が見えたので、誰かからの贈り物なのだろう。母さんが弾んだ声で受け取った――刹那。短い悲鳴が鼓膜を打った。
俺は何が起こったのかわからず呆然としていて、気付いたら玄関には、血塗れの母さんが、倒れていた。
その母さんの足に、花を持ってきたのだろう女が馬乗りになって――包丁を振り下ろし母さんの腹を、刺した。個々の傷口がわからなくなるほど、何度も、何度も。
そこには春歌がいるのに――。はっと思い至った時には、もう母さんの"中身"は引き摺り出されて、グチャグチャに引き千切られて、散乱してあった。果てには女は、母さんのきれいな顔をも滅茶苦茶に刺して、目を抉り潰し、飾ってあった花瓶で母さんの頭をかち割って、それでも飽き足りないようで、今度は脳を叩き潰した。
――女が、笑っている。勝利の凱歌が如く。
幼い俺はただ赤い情景の異常さと、母さんと春歌があの女に殺された、ということだけを認識して凍り付いている。声をもらせば、音を立てれば自分もあのようにされる――本能でそれを悟って。
女が笑い出してから少しした時、外で車のドアの開閉がきこえた。女も音に気付いたか、玄関からは死角になる階段の陰に身を潜めたようだった。
――大きな扉が、開いて、濃い橙の光が入って来て。……母さんのすがたが、ブラインドの隙間ごしにも露になった。もう、人の形を成していない骸だった。
どさり、と何かが落ちた。ゆら、ゆら、揺れる長い影が、母さんに重なる。
「――れい、か?」
父さん、だ。化物が潜んでいるのに、帰って来てしまった。
自失した父さんはふらふらと母さんに歩み寄り、母さんの左脇にがくりと膝をついた。俺からは正面で、端正な顔が驚愕と戸惑いに歪むさまがよく見えた。――しかし父さんは、女に背を向けている。
「玲、夏……春歌……何が……ッ芳春? 芳春!」
俺の姿がないことに気付いて、父さんは我に返り立ち上がろうとした――が、かなわなかった。あの女が、背後から父さんを刺したのだ。
振り下ろされた刃に振り向く間も与えずに、女は、刺しては抜き抜いては刺し、やがて父さんも真っ赤に染まって動かなくなった。
女は満足げに哄笑する。父さんも母さんも春歌も殺されて、ようやく地獄のような時間が終わるかと思ったのに。
女は一度立ち上がり家の奥に消えた。戻ってきた女の手には、うちのキッチンから持ち出したのだろう包丁がいくつもあって、女は再び父さんの傍らに座り込む。
そして何度も父さんの首を斬りつけ、刺し、やがて頭を無理矢理奪い取った。
うっとりと父さんの首を眺める女に、その異常さに俺は心底恐怖して、
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