「は……?」

 振り返って見た三條部長は、さっきまでとは打って変わって、――罪悪感に嘖まれているような顔をしていた。
 どう言う事だろうか。俺は三條部長に謝られるような覚えはない。彼も俺も初等部からココにいるが、初めて話したのは去年の文化祭前だ。展示室に香をたきたいと前の部長が言ったんで、その相談に行った時に顔を合わせた。その時に何か三條部長――その頃は副部長だった――が礼を失したということはない。後も然り。
 問うように三條部長を注視していると、彼は躊躇いがちに口を開いた。

「あの堕ちた女は、あての父方の親類なんどす」
「おん……な?」

 西日の射す、玄関が過った。

「あんさんの御両親を、」
「――言うな!」

 カッとなった、といえば良いかもしれない。俺は三條部長を力任せに壁に押し付けて彼の口を塞いだ。後頭部を強かに打ち付けただろう苦痛に顔を歪める三條部長を見ても、押さえつける手を放せない。

「――言うな。……お前、あの女の」
「……甥どす」

 三條部長は口を押さえる俺の手を無理矢理外して答える。
 甥だ、と聞いた瞬間無意識に目を細めていた。三條部長が辛そうに顔を顰めたから、俺は多分目の前の三條部長に憎悪を注いだのだろう。
 ――彼はあの女ではない、と理解していても、近い血を厭う。百口呪い尽くしても飽き足りない怨毒なのだから、当然と言えば当然のことか。

「……何であんたが謝る。親の所業ならまだわかるが、叔母は大して関係ねえだろう」
「昔、家中が慌ただしゅうなっとりましてな……。二年ほど叔母のところに、あては預けられとったんどす。……ほんの僅かな間やけど、叔母はあての親代わりをしてくれはったお人やさかいに……申し訳のうて。……堪忍しとおくれやす、白水……」

 三條部長は本心から、母代わりをしてくれたというあの女の所業に心を痛めているのだろう。それは三條部長の眸を見れば解る。
 ――だが。

「謝ってもな……てめえの気が済むだけなンだよ。いくらてめえが詫びようが俺の恨みは晴れねえし、あの光景を忘れることだってできねえ! 母さんの悲鳴も、親父の俺を呼ぶ声も、あの女のイカれた笑い声も耳の奥で谺してッ――!」
「……っ」

 歯を食いしばって、俺の怨嗟すべてを受け止める三條部長に、どうしようもなく腹が立った。あの女を必死で養護するなりしてくれりゃ、いっそ憎めたと言うのに!
 このやり場のない激情を余さず、それを受け入れる気でいる三條部長へぶつけてしまえば、俺は楽になるのだろうか。――俺と同じくあの日に囚われている彼にぶつけて、本当に?
 ……そんなわけが、ない。
 怨嗟をぶつけてどうなると言うんだ。彼はあの女ではないし、あの日に苛まれ続ける同族なのに。
 爪が食い込みそうなほど強く三條部長の肩を掴んでいた手を放して、数歩離れた。三條部長は俺が怒りに任せて怨みを吐くと思っていたのか、意外そうに目を瞬かせている。

「白水?」
「……あんた、何で今俺に詫びた? 機会は幾らもあったろうに」
「それは……嘉山がいてはるさかい、詫びとうても嘉山に阻まれとったんどす」
「っつうことはあのクソ蜜柑、あんたがあの女の甥だと知ってやがったのか……」

 そんであいつ、昼にわざわざ香道室を出して来たのか? なんつー嫌がらせだ。他の部員がとばっちりすぎる……。

「いつ知らはったんかはわからんけど、あてに釘刺しに来はりましたなぁ。あんさんに近寄るんやないと。……あてはそれでも詫びとうて――」
「訳わかんねえ」

 たった二年親代りしてもらったってだけの相手の行いで、いくらそれが叔母だといってもどうしてそうまで傷ついてるんだ。ある程度の道徳や倫理観を備えた頃ならまだしも、当時は周りの視線が気になる年でもなかったろう。周囲の偏見を理解できない齢のはずだ。理解できても、叔母は罪人なのだと嫌うのではないだろうか。単純な年頃だったから。
 そう聞けば、三條部長は苦笑したいんだか何なんだか微妙な顔をした。

「ええお人どした。それこそ、あないな兇行と結び付かんような。……今はすっかり正気を取り戻さはって、毎日悔いてはる……と聞きましたわ。真面目におつとめをしゃはっとるそうどす」
「……あの女と連絡を取ることがあったら言ってくれ」

 ――幸せになることなど許さない、と。
 両親からそれを奪った分際で、命のあることさえ烏滸がましいのだから。どれほどあの女が悔いて償おうが、俺の両親にひどいことをしたって事実は消えない。いつかそれすら包み込む男が現れようとも、人としての幸せを得ようなど、俺は絶対に許さない。世間の軽蔑と己のしたことの重さにひたすら苦しんで、その末に孤独に死んでしまえば良い。
 神妙に頷いた三條部長に別れを告げ、俺は漸く一階の美術室へ向かった。
 美術室の前で、廊下の窓から中庭を何となしにぼんやり眺める。初夏の陽が真直ぐに降りそそぎ、青々と繁る緑をきらめかせている、耀う中庭を。

「――春歌……?」

 その光の中に、妹のはしゃいで駆ける背中を見た気がした。――生まれて来るはずだった、妹の。
 春歌と名付けられていた彼女は、春の日差しをその身に感じることも、歌声に耳を澄ませることも知らない。あの女は母の胎内にいた妹からさえ幸せを奪ったのだ。それで幸福を得ようなんて思うようなら殺してやりたい。春歌は幸せどころか、苦しささえ知らないままだというのに。
 サッシに置いた手を、ぎりと握った。爪が、掌に食い込む。

「はるかってだあれ?」
「だあれ、はるかって」
「――ッ?!」

 唐突に横からかけられた二つの聲に、心臓が跳ね上がった。少し大袈裟に振り向いてしまった俺を、誰が責められるだろう。
 何の前触れもなく――俺が気付かなかっただけだろうが――同じ聲が同じようなことを言えば、誰だってビビる。

「……?」

 一階の渡り廊下から来たのだろうそいつらは、ふわふわした薄い茶髪の、呑気な顔の双子だった。……もしかしてこいつら、

「僕は陵和人」
「僕も陵和人」
「君が白水芳春?」
「白水芳春は君?」
「……ええ」

 やっぱり、三年の有名な双子だ。二人で一人とか意味解んねえこと言ってる奴ら。特に接点もねえし、一生関わることのない部類だと思ってたんだが――なんで絡んできてんだ。

「庭に行こうよ白水」
「……は? 何でです」
「話があるからだよ、白水」
「転校生のことだよ、白水」
「……五分だけなら」

 双子は同時にへらっと笑った。何故か俺の手を引いて、非常階段へ出るドアから中庭に行く。外へ出ても、今度は光の中に、春歌の背中を幻視しなかった。それに何故か安堵して、軽く息を吐いた。
 にしても真山の奴、こいつらも手懐けてんのか。話ってのは何なんだかな……。真山にすげないのを咎めるのか、真山に近づくなとまわりを見てねえことを言うのか。
 石畳の道を歩き――中庭中央、小さな薔薇園の前で双子は足を止めた。手はまだ、放されない。……いや放せよ。

「白水芳春。僕に協力してくれないかな」

 振り向いてそう言った時、双子は個々だった。二人で一人――というのは、どうやらただの願望らしい。

「協力とは?」

 だが俺には関係ないことだから、言及せずに問うた。
 すると双子は個々の貌で驚いて、片方ははにかみ、片方は歓喜にも似た色を滲ませた。何なんだ、こいつら。

「あのね、――転校生におしおきしたいんだ」
「仕置……?」
「そう! 転校生は白水みたいに、僕らが自覚しているって気付けなくってね」
「そして僕らを見分けて引き裂いた独善転校生に、僕らと同じくらいの痛みを味合わせてやりたいんだ」

 手懐けたっていうのは随分な見当違いか。双子は見分けられて懐くって嘉山は言ってたんだがな……。
 二対の榛色の眸が、俺をじっ……と見つめてくる。
 ああ何かもうめんどくさくなってきた。いつんなりゃ部活出れんだよ俺は。

「そう言うことは嘉山に頼んでください」
「何で? 白水も転校生が嫌いでしょ?」
「みんなの前で、転校生を拒絶してくれるだけでいいんだよ?」

 まぁあのデリカシーのなさと空気の読めなさはマジでうぜえし、出来ることならそうしてぇけどな。
 真山は嫌い――嫌いではあるが、それ以上に本能的な忌避が強い。あいつに踏み込まれたら多分、誰がいようと拒絶するだろう。真山は三條部長と違って完璧部外者だし。

「一応猶予を与えてやる気はあるんで、それを待てないなら嘉山を当たってください。野郎なら喜んで協力するでしょうよ」
「猶予を過ぎても転校生が今のままなら、協力してくれるの?」
「かつ、無理矢理踏み込んできたならば、考慮します」
「そっかぁ。じゃあ、いいや」
「待てば待つほど効果があるものね」

 悪巧みをするガキのように双子は同時に笑って、俺の手を漸く放した。それから両脇に立って、

「――……、」
「僕は和治」
「僕は和昭」
「じゃあね、芳春」
「またね、芳春」

 二人して俺の唇ギリギリにキスをして、上機嫌で戻っていった。
 ……。何か面倒な奴等に、懐かれたらしい。別人だろうと言及しなかっただけなのに。何でだ。
 ……ああもう考えるのが面倒だ。ただでさえ三條部長とのことで疲れてるってのに。

「……部活行くか」

 この上四度目の妨害なんて、あってくれんなよ頼むから。
 早く、幻視した妹のすがたを、形に残したいんだから。
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