殺者の苦痛など死者にすれば至極贅沢なものだ




「ではいーちゃん、俺は日課に参りますので!」

 ……と言って嘉山はSHRが終わるなりどこぞへ消えた。日課というのは勿論腐男子活動だ。
 俺も部活に行こうと席を立ったところで、真山に引き止められた。何て懲りない奴だ。見ろ窓際で守川がこの世の終わりみてえな面してっから。
 信者共は努めて冷静を振る舞っている。……上出来だな。

「あの、校舎案内して欲しいんだけど……」

 頭一つ分くらい下の真山を無言で見下ろす。嘉山がいりゃあにべもなく断るんだろうが、しかしこう出られては断るわけにはいかない。一応世話しろと言われてっから。
 無言のまま後ろのドアへ向かうと真山は焦ったように俺を呼び捨てる。

「……案内しろっつったのはてめえだろうが。早くしろ」
「――! おう!」

 悲しげ(……多分)にしていた真山は一瞬で鬱陶しいくらいの笑顔になった(多分)。狭い歩幅でせかせか歩いて俺の隣まで来る。
 ふと守川を見やったが、呆然としたまま固まっていたので、放置することにした。大方俺が袖にすると思ってたんだろう。ああそうしてえよ、日本語通じねえンだもんこいつ。
 明日は移動教室が多いんで、今日のうちに案内を請うたのは良い判断だ。守川でいいだろって突っ込みはさておき。
 取り敢えず特別棟さえ教えときゃいいから、そう手間でもねえけどよ。どうせ美術室もあっちだし。
 教室のある三階から渡り廊下で特別棟へ移る。この階で使うのはOAルームと地学室くらいだ。
 二階は、階段そばの理科室Aと生物室、それから真山の選択芸術は音楽だそうなので、音楽室も場所を教える。
 うんうん頷いてるが、ホントに分かってんのかこいつ……。

「なあ、芳春はどっちなんだ? 音楽?」
「……美術」

 懲りねえなホント……。

「へえー。芳春って結構ギャップ多いよな! 冷たそうなのにケーキ食ってるし、選択は美術だし」

 そんなナリしてンな口調のてめえにゃ言われたくねえよ。あと俺みてえな面の奴が甘党だったり美術選択しちゃならねえって決まりはねーだろ。
 ああ突っ込むのもめんどくせえ。もう部活行こ……。

「俺らが使うのは今案内した教室だけだ。臨時で他の教室を使う場合もあるだろうが、そん時ゃ守川に聞け。俺はもう行く」
「どこ行くんだよっ、一緒に帰ろうぜ」

 階段に向かおうとする俺の腕を真山が引っ張る。
 昼に嘉山に怒鳴られたばっかなのによく触れんな。これは豪胆……でいいんだろうか。

「俺は部活があるンだよ」
「部活っ?!」
「……ンだよ」

 大袈裟に驚いた真山をねめつける。どうせまたギャップがどうこう言いたいんだろう。つかいい加減放せ。

「いや、芳春って帰宅部なイメージがあったから。で、何部なんだ? 見に行ってもいい?」
「駄目だ」
「えーっ?! いいだろ、見学くらい! 何で駄目なんだよっ」

 何でこいつは大声出さなきゃいられねえんだうるせえな!

「騒がしいからに決まってんだろうが、さっさと帰れ」
「俺騒がしくなんかしねえよ!」

 今現在してるだろ。

「だからさ、なあ、芳春が部活してんの見てて良いだろ!」
「駄目だってンだろ、放せ」

 睨み付けて腕を振り払おうとすれば、真山はあろうことか腕にしがみついてきた。――ぞわり、と嫌悪が這い上る。
 こいつは、駄目だ。嘉山が言うように、人のテリトリーに無理矢理入ってこようとするだろう。そして人が扉の奥に閉じ込めているものを無理に見ようと、その扉をこじあける。
 確証なんてない。――これは本能だ。人間に僅かに残った獣の性が、忌避すべきものに反応している。
 こじあけられた扉はどうなる? 鍵は壊され、それは易々直せるようなものじゃない。扉は扉としての役割を失い――閉じ込めておきたいものは外に出て戻らない。
 それは常に、苛まれるということ。
 ――冗談じゃない!

「離れろ」
「やだ! 良いって言うまで離れねー!」
「離れろって言ってんだよ! いい加減――ッ」

 鬱陶しいんだよ!
 そう言えたらどれだけ楽だろうか。人気がないなら言ってしまえたが、理科室にいる化学部が俺達を窺っている。しかも誰か上から降りて来るっぽいし。真山が大声なんぞ出すからだ畜生。化学部の奴らは一睨みすりゃ、慌てて理科室に戻ってった。
 拒絶を吐くには早すぎる。真山は昨日この隔絶された学園に来たばかりで、何も知らないから。猶予はあって然るべきだろう。
 言い淀んだ俺に真山は首を傾けたが、離れはしなかった。

「は、なれろっつの」
「いーやーだ! 俺はもっと芳春と仲良くなりてえの!」
「大声出すんじゃねえよ、上で三道が活動してンだ」
「さんどー……って?」
「茶道、華道、香道の総称だ。上では三道それぞれと書道部が活動してんだよ」
「ふーん。それが何でうるさくしちゃだめなんだ?」
「……てめえで考えろ」
「なんだよ、教えてくれてもいいじゃん! ――いてっ」

 ぱし、と開いた扇子が軽く真山の頭に当たって、足元に落ちた。
 扇子が飛んで来た階段のほうを見ると、数段残したあたりに線の細い男――香道部の三條部長が物静かに、だが厳しい顔で佇んでいた。
 やべ……アレ相当頭にキテるっぽい。
 三條部長が残りの段を静かに降りて俺らに近付き扇子を拾い上げたことで、真山は扇子を投げ当たのが三條部長だと気付いたらしい。

「なにすんだよ、あんた! 危ないだろ!」
「――黙り」

 どうしてそんなことをされたかも考えず――いや何で騒いだらいけないのかとほざいた時点で期待しちゃならねえことだが――三條部長に噛み付いた真山を、彼は氷のような眸で見下ろして、これまた冷たく一蹴した。
 京都弁はこういう時ほどおっかねえ、と俺は思う。

「な……」
「香は静かに、心を落ち着けて聞くもんや。それが階下でわがままな大声出されたら、香りを楽しむも何もでけしまへん。ええ迷惑どす。三道書道いずれも心を静めるんは皆同じ、あんさんの騒がしいことと言うたら、上の他の部ぅも迷惑しとります。そないなこともわからん、あんさんのような輩が美術室へ行かはったら、白水だけやのうて他の美術部員はんかて迷惑でっしゃろ。――美術も精神は三道と通ずるもんがあると、あては思うとりますが、白水はどうどす」
「……ええ」

 真山が怯んだ隙を見逃さず、三條部長は畳み掛ける。
 三條部長の言から察せるだろうが、俺は美術部員だ。っつっても大体外でスケッチだのをしてるから、美術室にいることの方が少ないが。
 美術部は七月にある文化祭に展示する作品に着手してる奴が多いんで、今活動中は静まり返ってる。まだ準備に入ってない奴もそいつらの集中を殺いでしまうからと、雑談したいなら準備室に行っている。話すのは勿論小声だ。
 そう言う気遣いが、誰に強制されるでもなく部員の間に生まれている。そこに真山なんて連れてってみろ、遠慮も何もなく大声で騒ぐだろう。そして誰かしらキレて文句が俺にくる。
 部活中部員をキレさせたら一週間モデルの刑があるから、そんなもん御免だ。
 圧倒され呆然としていた真山が、何だよと苛立ったように呟いた。

「なんなんだよあんた! いきなり扇子ぶつけてきて一方的に俺を悪者にしてっ!」
「また大声……思わず武力行使に出るほどあんさんが騒がしゅうてかなわんかったんどす。一方的に悪者にされたやて? 何を被害者面してはるんどっしゃろ。あてらは静かに香を楽しんどったんに、あんさんが声のよう響く踊り場なんぞでわめき立てるから台無しになったんやで? 雰囲気をぶち壊されたあてらのほうが被害者や」
「だってそれは芳春が部活見に行って良いって言わないから!」
「自分の非ぃを認めんと、人に責任押し付けはる。いやぁえらいご立派なお人やなぁ。……なして白水が連れていくんを嫌がらはったか、その理由を考えもせずに白水が悪い言わはるあんさんこそ、白水を一方的に悪者にしてはりますやろ」
「っあ――」

 三條部長に糾弾されて気付いたらしく、真山ははっと息を飲んで俺を見上げた。
 ぎゅ、と更にしがみつかれて懍然が増した。反射的に眉を顰め腕を引いた俺に気付いたか、三條部長は俺から真山を引き剥がし俺を背後にやった。この人は俺より細身で背も少し低い割、力が強い。真山がチビだってのもあるだろうが。
 しかし何故俺は三條部長に庇われてるんだ。特に親しくもないし、話したのだって片手で足りるくらいなのに。

「――去ね」
「っで、でも……」
「友紀っ」

 三條部長が冷然と言い放った時、随分青い顔で、守川が現れた。どうやら心得ているようで、真山を呼ぶ焦燥は小声だ。――少し見直した。
 守川は俺の前にいる三條部長を目にとめると、ぶっ倒れるんじゃないかと思うほど更に青くなった。

「俊みゃぐっ」
「馬鹿お前ここで大声だすなッ」

 助け舟を――自分を正当化してもらえる相手が現れたことに歓喜した真山は、守川の名を呼びきることもなく凄い勢いでその守川に口を塞がれていた。ありゃ後で口のまわりが赤くなるな。

「そンじゃっ」
「むーむーむー!」
「本館戻るまで黙っとけってのッ」

 苦しがる(痛がる?)真山を脇に抱えて、守川は猛然と逃げていった。正に脱兎。
 守川の足音が消えてから三條部長に一礼して部活に行こうとすると、三條部長から不可解な言葉を投げられた。

「――堪忍しとおくれやす」
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