side:吉良五瀬

 放課後、俺と夏煌胤と上野、秋大路しかいない風紀室で、俺は頬杖をついて指先で秒を刻んでいた。ソファに座る夏秋は揃って神妙な顔をしている。秋大路に至っては能面がすっかり消えて、不愉快さを前面に押し出してやがる。
 指先が机を叩く音だけが、長い時間響いていた。どれほど無言でいたろうか。やがて人払いした風紀室の扉が、何とも悪びれなく、のんきに開かれた。

「……あれ、他の委員はいないんですかー?」
「稲舟」
「何ですかぁ、委員長。……涼月様? 何だかご機嫌斜めですけど、どうなさいました?」

 睨みつけてもへらへらしていた稲舟だったが、機嫌の悪い秋大路を目にするなり眉を寄せた。秋大路は近寄ってくる稲舟をちらりと一瞥しただけで、無言を返した。稲舟の目に不安が宿る。

「稲舟、こっち来い」

 立ち上がりながら言うと、稲舟は不安そうだった面を一気に渋面に変えた。

「はぁ? いくら委員長でも、俺に命令しないでもらえますー?」
「てめえ、風紀委員だろうが」
「その前に涼月様の守人だから」
「羽鳥」

 どうあっても言う事を聞かないつもりらしい稲舟を、秋大路が呼んだ。秋大路の稲舟を見る目は厳しい。それでようやく、稲舟は渋りながらも俺の前に立った。

「――っ?!」

 俺はその胸倉を掴んで、稲舟の横っ面を思い切り殴り飛ばす。流石守人というのか、稲舟は驚きながらも無様に吹っ飛ぶことはなかったが。

「いっ……てぇ……。いきなり、何すんですか、委員長」
「てめえは自分が殴られた理由も分からねえほど、頭がイカレてんのか」

 殴られた頬を押さえる稲舟は、一気にいらだちを発露させた。
 ――稲舟が妙な動きをしている、と委員から伝えられたのは、昼休みのことだった。詳しく聞いてみると、朝の巡回で昇降口近辺と2A教室近辺の見回りを下がらせたらしい。親衛隊は押さえ込んだから、と言われたらしいが、稲舟からそんな報告はなかった。秋大路も初耳のことだったし、夏煌胤も上野も知らないという。
 何で朝の時点で報告がなかったかというと、一方は稲舟の発言を信じて、もう一方は悩んでいたからだ。秘書兼護衛といったって秋大路家のそれ、当然稲舟家の家柄も高い。
 だから迷ってたわけだ。稲舟の行動が秋大路の意思であれば、俺への報告は秋大路を阻害することにならないだろうかと。稲舟の独断だったとしても、稲舟を敵に回していいものかどうか。
 結局そいつは制裁が行われたというのを耳にして、昼になって報告することを選んだが。
 風紀委員は基本的に、その職責を果たす障害にならないよう一定以上の家柄の奴が多いが、四季の家は別格過ぎる。今回みたいに、別格が事件にかかわってると非情に厄介だった。

「稲舟、てめえ。風紀委員にもかかわらず制裁に手を貸すたぁ、どう言う了見だ」

 権力を持つからこそ、正しいことをしなければならない風紀委員のしていいことじゃない。生徒の処分の決定権を持っている風紀が悪事に手を貸すなんざ、あってはならないことだ。
 厳しく睨みつけると、稲舟は普段の飄々とした表情を一切感じさせない、嫌悪と憎悪に溢れた目で俺を睨み返す。

「涼月様の手を煩わせたんだから、痛い目見て当然だ」
「裏の行動は把握してたのか」
「してないけど――っぐ……!」

 膝を稲舟の腹部に叩き込む。
 こいつが余計なまねをしたせいで白水が余計な追い打ちを喰らったと思うと、腹の底から怒りが沸いてくる。いまは風紀委員長として稲舟の追求をしなければならねえのに、込み上げる私憤を抑えられそうになかった。

「他には何をした」
「げほっ……、さっき暴行を見逃してきたとこだけど」
「あぁ?」
「でも副会長が助けにいったし、レイプも未遂で留まったし、いいでしょ、べつに」
「未遂なら良いってもんじゃねえだろうが!」

 一喝しても、稲舟には少しも効果がないらしかった。何を言っても無駄か。まともな神経持っちゃいねえし。
 稲舟にとって、何においても優先されるのは主人である秋大路だ。秋大路の言葉以外は、ほとんど聞く耳持たねえ。例外として夏煌胤と春宮司家の言う事は聞くようだが、それだって秋大路が蔑ろにすることを許さないから、というだけの理由だろう。
 こいつは俺が言っても反省しねえ、と諦めて、明らかに不機嫌な秋大路に視線を遣って躾を任せる。俺が粘って時間を無駄に浪費するより、確実に稲舟が真剣に話を聞く秋大路に託したほうがいい。
 俺が座り直すと、秋大路は冷たい目で稲舟を見やって口を開いた。

「これほど貴様に腹が立ったのは初めてだ、羽鳥」
「……涼月様?」

 冷えた硬質な声に、稲舟は目を見開いて秋大路を見る。心なしか顔色が悪い。

「見回りを下がらせたのなら、刃物が仕込まれていないかの確認程度はすべきであろ」
「涼月様、しかし」
「反論は認めぬ。申し付けたはずだ、白水殿のほうにも気を払えと。白水殿に血は厳禁、これも申したはずだが」
「ですが、涼月様! ……涼月様、俺はあなただけの守人です」

 稲舟の雰囲気ががらりと変わった。飄々とした軽いものから、上野に近い厳格とも言えそうなものに。
 ――なるほど。こっちが本性か。

「俺がお護り申し上げるのは、涼月様ただ一人でございます」
「だから私の言葉を蔑ろにしたと?」
「それはっ……」
「貴様は」

 傍観していた夏煌胤が口を挟んだ。こいつもこいつで機嫌が悪い。

「貴様は涼月の評価を下げる気なのか」
「は……」
「貴様が独断で動き、風紀委員として許されざる行動を取ったことで、涼月は守人の一人も御しきれない男だと、実家や本家様に思われてしまうのだぞ」
「……!」

 稲舟の顔が、青ざめるを通り越して白紙のようになっていった。秋大路を煩わせた真山に対する憤りばっかり見てて、そこにまで頭が回らなかったのだろう。秋大路の守人が、何とも残念なことだ。上野も呆れ返ったような目で稲舟を見ている。
 つうか、二人揃って責めるのが制裁への加担じゃなくて、命令違反や独断行動っつうのも、どうなんだ。

「ちが……違う、違います、涼月様。俺は……」

 違うと繰り返す稲舟は、情けない顔で秋大路に縋り付いている。秋大路はそれを煩わしげに見下ろした。

「羽鳥。三日間、貴様の守人の任を解く」
「涼月様……!」
「その間、私には一切近寄るな。声をかけることも許さぬ」

 秋大路は厳しい声で言いつけた。処分を受けた稲舟は燃え尽きたように真っ白になって、床に座りこむ。

「稲舟。聞こえてるかどうか知らねえが、お前、三日間謹慎しとけ。それから反省文五枚、謹慎明けに提出しろ」

 稲舟からの返事はない。こりゃ、完璧に聞こえてねえな。
 しかし、稲舟と秋大路は同室のはずだが、近寄るなってどうするつもりだ。

「涼月、それなら三日間は私の部屋に来るといい。一人部屋だからな。智昭も出入りするが」

 ああ、それなら稲舟は一切秋大路に近づけないわけだ。副委員長の秋大路にも、最上階に個室が与えられてる。
 秋大路は夏煌胤に礼を言って、用件は済んだとばかりに風紀室を出て行った。いまにも自殺しそうなほど落ち込んでる稲舟には目もくれず。……自業自得だが。

「……公にできねえ理由だし、せめて公表はしないでおいてやる。お前もとっとと帰って謹慎してろ」

 これも聞こえなかったらしい稲舟は、微動だにしなかった。夏煌胤が溜め息をついて上野を呼ばわると、上野は一礼して稲舟を引き摺っていった。
 俺と夏煌胤だけになった風紀室で、「まあ、」と半分独り言で呟いた。

「個人的にゃ、制裁はザマアミロだけどな」
「風紀委員長の発言とは思えんな」
「個人的にっつったろ。これでも反省しなきゃ、俺直々に躾けてやる」

 個人的なことと言っても、どうしたって風紀委員長の肩書きはついて回るから、派手なことはできねえが。
 秋大路も部屋を出て、一人きりになって暫くすると、見回りしてこいと追い払ってた委員がちらほら戻り始めた。そいつらの巡回報告書を確認して、それから俺もようやく帰路につける。っても、帰りがてら危険視してるエリアを見回るんで、部屋に戻るのは六時過ぎるか、七時前になる。

「――あ」
「……よう」

 いつも通り人の目が届きにくい場所を見回りながら帰っていると、美術室の近くで白水と鉢合わせた。昼から授業に戻ってたらしいが、何やらすっきりしたような顔をしてるじゃねえか。
 こういう顔つきに、俺がしてやれなかったのだと思うと、我ながら不甲斐無くて自分に腹が立った。

「……大丈夫なのか」
「ああ」

 自己嫌悪を抑えて聞くと、白水ははっきりと頷いた。
 そのまま白水は立ち去るかとも思ったが、眉間に皺を寄せて何か言い淀んでいる。はっきりしない態度って、珍しいな。

「……その」
「ん?」
「……助かった」
「は?」

 一瞬何を言われたのか理解できずに聞き返すと、白水の眉間の皺が深まった。

「助かった、って言ってんだよ。風紀なら一度で分かれ、馬鹿が」

 何でそんな貶されなきゃ――いや、そもそもこいつ、あまり上品な口してねえんだった。でも好きな奴に馬鹿とか言われるとさすがに凹むんだが。
 っつうか、助かったって何だ。俺は何もできなかったろうに。
 唇を噛んだのを見咎めたのか、白水は軽く溜め息をついた。

「悪い夢を見ないでいれたのは、お前が死を寄せ付けなかったからだ。でなきゃもっと荒んでた」

 文化祭初日の夜のことを言ってるんだと、すぐにわかった。

「だから、……助かったって言うんだよ。言いたかったのはそれだけだ。ウゼエから、できるとかできないとかで落ち込んでんじゃねえ」

 照れてるのかなんなのか、やけにぶっきらぼうに言い捨てて白水は背中を向ける。
 もしかして気遣ってくれたんだろうか。そう思うと嬉しさが滲んできて、俺は咄嗟に白水を背中から抱きしめた。白水は驚きはしたものの、特に抵抗なく俺の腕の中におさまっている。

「……さんきゅ」
「礼を言ってんのは俺のほうだろ。鬱陶しい、離せ」

 拒絶は口先だけで、少しも身じろいだりしない。それでさらに嬉しくなった。耳殻に軽くキスをする。

「好きだぜ、白水」
「……知ってる」

 囁いた告白に返ってきたのは不機嫌そうな声だったが、白い頬に少しだけ赤味が出ているから、どうやらこれが白水の照れ隠しらしかった。

side end.
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