side:龍鳳寺アシル

 今日の僕は落ち着きがない。ただしくは、友紀の制裁が始まったと教えられてからの僕は。
 放課後になって生徒会室に来ても、時計ばかりちらちら気にして仕事が手につかない。

「……ちょっとは落ち着いたらどうですよ、アシル先輩」
「うるさいよ節操なし」
「いまの俺は節操がありますよ。優太一筋になったんでねえ」

 無視すればよかった。このどうしようもなく緩んだ顔に書類叩き付けてやりたい。優太はといえばかなり集中して仕事している。誠吾のおちゃらけに気付いていない。羨ましい。

「っていうか、それでも友紀とは友達でしょう、誠吾。心配じゃないの」
「あ、先輩は友紀が心配でそわそわしなすってるんですか」
「それ以外ある? 誠吾は薄情だね」
「って、言われましてもねえ」

 じとりと隣の席を睨んだけれど、誠吾は苦笑するだけだった。

「心配かどうかと聞かれると、微妙なところってあたりですかね」
「微妙って」
「さすがに、食堂で人の秘密を大声でバラしちまうのは、アウトなんじゃないですかね。どうですよ、アシル先輩。もし友紀がバラしたのが、アシル先輩の知られたくないことだったら」
「……」

 返答に詰まる。どうってそんなの、ショックに決まってる。周囲からの視線もひそひそ話も気になってしまうだろう。

「だからって、」
「……芳春、いままで、拒絶しないようがんばってた」
「優太」
「拒絶したら、芳春の親衛隊、すぐに動くって知ってたから、猶予あたえてた。それなのに何も知ろうとしないで、入っちゃいけないとこも考えないで、芳春に拒絶させたの、真山自身。……自業自得」

 集中してこっちの会話なんて聞こえてないと思ってた優太から、思わぬ攻撃を喰らった。
 ちょっとむっとしたんだけど、本当のところを言うと、分からないでもない。
 もしも友紀に大声で、僕のことを兄さんの模倣だとか、無能だとか言われたらと思うと、白水が切れたっていうのも不思議じゃないと思ってしまう。想像するしかできないけれど、両親が目の前で殺されたっていうのは、きっととんでもないくらいのトラウマなんだ。僕だったら絶対にトラウマだ。
 それを大勢の前で暴かれた。それって多分、傷痕にナイフを突き刺して肉を抉るくらいに鬼畜なことだと思う。

「……だから何さ。それでも心配は心配なんだよ」
「まあ、そりゃ、アシル先輩の自由ですとも」

 誠吾は苦笑して肩をすくめる。
 それきり会話がなくなったので、集中出来ないなりに仕事を進めようと、パソコンに向き直る。
 バイブレーションの音が聞こえたと思ったら、優太が電話に出ていた。あの子の携帯だったらしい。

「ふくかいちょ、電話……」
「え?」
「守川」
「え?」
「急いでって」

 誠吾の向かいの席からてぽてぽ歩いてきて、優太は僕に携帯を突き出した。何で守川が僕に用事があるの? 僕の疑問を丸無視して、優太は早く、と携帯を押し付けてくる。僕が受け取ると優太はさっさと席に戻ってしまった。
 仕方なく、優太の携帯を耳に当てた。

「もしもし……」
「副会長、2Aの守川俊哉っす。――友紀のこと助けにいってやってくれますか」
「え? ちょっと、助けにってどういうこと」
「東棟三階中央の教室で、親衛隊が友紀に実力行使に出るって」
「は?!」

 実力行使って、リンチか強姦ってことでしょう?! 今日制裁が始まったばかりで、いきなりすぎる。
 驚きで思わず声を上げると、皆の視線が僕に突き刺さった。

「ちょ、っと、それ知ってるならなんで君が行かないの!」
「――あいつをいまでも一番大事に思ってるの、多分アンタしかいないんで」
「……」
「手前の手に負えないから、コレであいつが視野を広げりゃいいって思うような俺は助けにならない」
「っ、この薄情者! そんな子は二度と友紀に近寄らないでよ!」

 匙を投げた守川に苛立って、乱暴に通話を切って優太に携帯を投げ返した。投げた瞬間に、僕はもう走り出していた。慌てて生徒会室の扉を解錠して――こういうとき、オートロックが心底鬱陶しい!――廊下に飛び出す。どこへ、という一瀬達の声には返事をしなかった。
 階段を一階まで駆け下りる。特別棟なら各階に渡り廊下があるけれど、東棟の三階は本館からのそれがないので一階からじゃないと行けないんだ。ただでさえ広くて移動に時間がかかるのに、短縮ルートの一つもないんだから! こういう広さは当たり前だったはずなのに、文句が出てくるなんて生まれて初めてだよ、まったくもう!
 ちらほらいる生徒に驚かれながら、僕はひたすらに走る。廊下も空調がきいてるけれど、生徒会室から東棟まで走り通しでは、さすがに汗をかく。東棟上階への階段へ辿り着いたときには、すっかり汗だくになっていた。
 息が乱れて、苦しい。脇腹も痛い。けど、休んでいたらその間に友紀が危ない目にさらされていく。友紀の身を思えば足が止まることもなかった。
 一気に二階まで駆け上がって、いざ三階へ――というところで、踊り場に見知った影を見つけた。

「稲舟!」

 秋大路の守人で、風紀委員の稲舟羽鳥。耳どころか唇にも眉にもたくさんピアスをつけていて目に痛い男は、踊り場で壁に寄りかかって笑っていた。
 僕を認識すると、稲舟の酷薄な笑みはいっそう深くなる。ぞっとしたが構っていられない。稲舟の腕を掴んで引っ張ったが、動かすことができなかった。

「稲舟、三階の中央の部屋で友紀が、制裁されてるって……っ、風紀なんだからお前も、」
「いやでーす」

 ……は?
 呆然とする僕の手を、稲舟はあっさり振り払う。

「いま、なんて、」
「嫌だと言いました〜。なんで俺があんたを手伝わなきゃならないんですー?」
「だ、だって風紀でしょ?!」
「んー、風紀である以前に、俺は涼月様の犬だからねえ。涼月様を煩わせるだけの愚物に割く時間なんて、勿体ないしぃ。それに……これも人生のお勉強代ってことでいいでしょー」
「は、はぁ?!」
「口で叱って反省しねえんなら、ぐちゃぐちゃに叩き潰せ! これ、俺の鉄則!」
「君の鉄則なんて知らないよ! 友紀に割く時間は惜しいんじゃないの!」
「ちょーーー勿体ない。あの猿に関わってる時間なんて、全部涼月様眺めてにおい嗅いでイタズラするのに回したいってぇ」

 へ、変態臭い……けど怯んでられない。
 実力行使ならガタイのいい奴らを呼んでるはずなんだ。僕じゃそいつらから友紀を助けられない。だから稲舟の武力はどうしても必要だ。
 説得するために開いた口は稲舟に阻まれて、言葉を出せずに終わった。

「エゴを押し付けたら人は傷つく、そいういうの学ぶべきっしょ〜。また涼月様や本家様を煩わされたらたまんないし」
「稲舟っ」
「そう、あいつに煩わされないためにお勉強教えてあげようっていうの。だから制裁なんてできてんだよー?」
「……!」

 親衛隊が風紀を出し抜いたんじゃないってことか……!
 冷笑している稲舟を、ぎりっと睨みつける。冷笑は、少しも崩れない。

「風紀が親衛隊に協力したのか……!」
「はい、外れ〜。風紀は、グルじゃないの」

 ――風紀、は。稲舟の意味深な笑いと言葉に、最悪の可能性が過る。――親衛隊とグルになってるのは、分家なんだと。
 風紀だったら抗議することもできたのに、分家が絡んでるなら僕では文句を言えない。僕の家は冬香院にようやく及ぶ程度だ。それでも充分高い家柄だけど、絶対に、歯向かえない。そうでなくとも、分家に噛み付くことは、春宮司家に噛み付くのと同じことだから。
 どうあっても切り離せない家柄と、自分の無力さに唇を噛む。稲舟を睨む視線だけは、せめて外さなかった。

「それでも……僕は行く。友紀は僕を助けてくれたんだ、今度は僕が友紀を助ける番なんだから!」
「お好きにどうぞ〜?」

 薄気味悪く笑う稲舟に、最後にぎっと眉間に力を込めて睨みつけてから背を向けて三階に駆け上がった。
 ここまで来ればすぐに友紀のところだ。友紀、友紀。何度も心の中で名前を呼ぶ。もうすぐ行くから、どうか堪えていてと願いながら。
 中央の教室――吉良に破壊されたローテーブルを運び込んだ、処分品の一時保管所。まさか一日に二度も来ることになるなんて思わなかった。遠慮なく、思い切りに扉を開け放つ。

「友紀!」
「ッア、シル……」

 三人の生徒に、いままさに最後の一線を越えられようとしている小柄な生徒は、悲鳴のように僕を呼んだ。ふわふわの薄い茶髪。小さい顔。大きな目。
 姿は違うけれど、声で分かった。あれが友紀だ。

「おまえたちっ……!」
「何で副会長来てんだよ? 誰も来ねえんじゃなかったっけ」
「って聞いてたけど」
「どーする? 副会長も混ぜとくか?」
「けど俺、こいつ嫌いだしな」
「あー」

 ――なんだ、こいつら。生徒会が来たのに、どうしてこんな落ち着いてるんだ。いや、そんなことよりすぐに友紀から離れさせないと。何かあればすぐに友紀が犯されてしまうほど、ギリギリの状況だ。

「つーか、犯す気萎えたし。なんか持ってねえ? 鉄パイプでもいいよ」
「なっ……!」
「お前普通に鬼な。っていうかさすがに鉄パイプはここにはねえだろ……」

 友紀に多い被さって犯そうとしていた生徒が、面倒そうな声を出して友紀から離れた。よし、いまのうちに友紀を――

「は〜い、稲舟来来〜。案外役に立たないね〜」

 飛び出そうとした瞬間、ついさっきまで聞いてた不愉快な声が僕の動きを止めた。振り返ると、稲舟が両手の掌を上に向けて肩を竦めてるところだった。

「っつわれてもなー。見た目がよくても、中身最悪だし。そんで喚かれてみろよ。いままで勃ててただけでも勲章ものだとおもうんだけど」
「ま〜、そりゃそうかな。そしたら帰って良いよ」
「ちょ……何言ってるの、稲舟! 暴行した奴らを……」
「グルっつったじゃん。副会長ったらほんとお馬鹿〜」

 ほんっ……とに悔しい。何でこんな外道が風紀で、守人なんだよ! こんなのが秋大路次期当主の守人で大丈夫なの。
 僕を見下してくる稲舟を歯噛みしながら睨みつけているうちに、実行犯の三人は教室から出て行ってしまっていた。
 ――いなくなってしまったものは、もういい。先に友紀をどうにかしないと。

「友紀……」

 起き上がってなんとか下着とズボンを身に着けている友紀に駆け寄った。側に膝をついただけにしたのは、襲われた直後に触れて良いかどうか迷ったから。
 よく見ると、身体中に殴られたり蹴られたりしたような痕がある。扉のところで眺めている稲舟を振り返って、睨み上げた。

「こんなに酷い目にあわされたのに、それでも奴らを見逃すというの!」
「だって、自業自得だし。そもそもだからグルなんだから、見逃すのあたりまえでしょ〜。で――」

 稲舟の視線が僕から友紀に移る。その目は、人間を見る目ではなかった。

「ちょっとは反省できたぁ? 他人の見えないお馬鹿さん」

 まるで無機物を見ているような目と声に、友紀の肩がびくりと震える。咄嗟に友紀の肩を抱いた。怯えられはしなくて、内心安堵する。

「稲舟、お前――」
「いいんだ! ……いいんだ、アシル……」
「友紀」
「ふん。今度また俺の涼月様を煩わせるようなことしたら、次は俺がお仕置きするから。覚悟しといてネ」

 稲舟が僕たちに背を向ける、冷たい威圧感が消え失せて、ほっと息を吐いた。
 友紀は身体を動かすのが辛そうなので、シャツのボタンは僕が閉める。その途中で、友紀は普段の元気さが嘘みたいに弱々しく、ぽつり、ぽつりと言葉を零した。

「俺……いままでずっと、俺の言葉は人を救うんだって、特別な言葉なんだって思ってた。アシルたちみたいに、俺を好きになってくれた奴らは、みんな俺の言葉に救われたって言うから」

 そう、救われたのは事実だ。僕は確かに、友紀の言葉に救われた。僕自身を見失う前に、留まることができた。

「けど、なのに、芳春はすごく暗い目をしてて、和昭もで……! 俺は認めたくなかったんだ、ずっとそれで友達ができてたから、言葉で救えないことがあるなんて、認めたくなかった。俺は本当に芳春や和治や和昭を助けたくて言ったのに、それで傷つけたなんて、認めたくなかった……本当に助けたかったから!」

 声にやがて涙が混じって、次第に嗚咽も増えていった。
 友紀は――驕ったんだ。きっと驕ったから、どんな言葉でも自分は人を救えると思ってしまった。言葉も場所も選ぶ必要がないって。

「俺……俺、間違ってたのか……? 俺はほんとは皆のこと、ちっとも救えてなかったんじゃないのか? 本当は、すごく傷つけてて、みんな優しいから言えなかっただけじゃないのか」
「――違う。友紀は僕を救った。それは絶対に、確かだから。友紀が言ってくれたから、僕は僕自身でいようと思えるようになったんだ。それだけは間違いじゃない」
「アシル……」
「……でも。誰かのためにって思うのは、それはとっても優しいけれど。その優しさを望まない人間もいるんだ」

 それは白水芳春であり、嘉山鶇であり、陵兄弟であるんだろう。友紀の言葉が殊更に届かないのは、彼らが友紀の優しさを望んでいないから。

「受け取ってもらえなかったからって、優しさを押し通して押し付けたら、それはもう優しさじゃなくなっちゃうんだ。独り善がりのエゴになってしまう。優しくしたい相手の気持ちを、無視するのは、とてもひどい。優しさとは正反対のことだ」
「……鶫にも、言われた。救おうとしてる奴の心をないがしろにするのに、それの何が人のためだって……」
「うん。あいつと同じ事いうのは気に食わないけど、その通りだと思う。でもね、友紀――」

 俯いて鼻をすする友紀の頭を、ゆっくり優しく撫でた。

「手を差し伸べたいって思う優しい心まで、閉じてしまわないで。それは僕が友紀に出会って、友紀を好きになった切欠の、とても大切な心だから」
「でも……」
「大丈夫! 友紀はいま、認めたくなかったことを認められた。救おうと思ってしたことで、その人を傷つけたって。だったら、次はどうしようか?」
「次?」
「うん。友紀は自分が傷つけてしまった人がいるって、認めたでしょう。そうしたら、どうするの?」
「俺――」

 優しく問いかけると、友紀は勢いよく頭を上げて僕を見た。可愛い顔は、焦りでいっぱいだった。

「俺、謝らないと。和治にも和昭にも、鶫にも、芳春にも! 俊哉にだってすごい迷惑かけた。ちゃんと俺にわかるよう説明とかしてくれてたのに、俺はちっともわかろうとしないで……お、俺、謝って来る!」
「あ、待って!」
「何だよっ、アシル?」
「今日は、やめておこうよ。一旦落ち着いて、明日になったら謝って回れば良い。僕も一緒に回るから」
「けど」
「一度落ち着いて、それからのほうが、勢いだけにならなくていいんじゃないかな。謝るのだったら、きちんと何を悪いと思っているのか整理して、把握していないと、上辺だけになってしまうし」

 友紀の肩をしっかり掴んで諭す。しばらく迷っていた友紀だけれど、やがては頷いてくれた。
 僕はその辺に落ちてた友紀のウィッグと眼鏡を拾って、友紀に手渡した。けど、友紀は受け取るだけで着けようとはしなかった。

「友紀?」
「謝るんだったら、こんなのつけて、顔隠したままじゃよくないよな」
「そうかもね。――ところで、どうしてこんなの着けてたの?」

 純粋に気になって訊ねてみる。友紀は苦笑みたいに笑って、答えてくれた。――とりあえず、どんなものであれ笑ってくれたことに、ほっと息を吐いた。

「父さんと母さんが、こうやって着けとけって。可愛いから襲われるとか、息子に言うことじゃないよなあ」
「かわいいのは事実だよ?」
「……あの、それ、アシル。嬉しくないからさ」
「あ、そっか。男の子だもんね」

 学園にいるうちに、どうやら感覚が麻痺してたみたいだ。親衛隊とか、可愛いって言われて喜ぶ生徒ばっかりだし。でも友紀は、事実可愛いよ。
 しばらくとりとめのない話をしているうちに随分落ち着いた友紀を、寮の部屋まで送り届けた。
 その玄関先で、僕は帰り際に友紀の眸をじっと見つめる。

「友紀、こんなときに言うことじゃないと思うけど」
「へ?」
「僕は、友紀のことが大好きだよ。友達としてじゃなく、恋愛感情で」
「……なっ! え?!」

 突然の告白に、友紀は顔を真っ赤にして右を見たり左を見たりの挙動不審に陥った。ウブな反応が可愛くて抱きしめたくなるけど、ここは我慢しないと。

「いますぐ答えはいらないから」
「で、でも――俺、芳春達のことすごく傷つけたのに、アシルにそんなこと言ってもらえる資格なんてない……」
「それは友紀のものさしだよね。そんなものさしで測って、僕の思いを拒絶されるのはとても辛いのだけど」
「あ……。……ごめん」
「ううん。夏休み使ってでも良いから、ちゃんと受け止めて、考えて、答えを出して欲しいな」
「……もし、恋人になれないって言ったら?」
「それでも好きでいるよ、きっと。ずっと友達でも側にいたいし、もしかしたら、友紀が他の誰かを好きになって恋人になったら、おめでとうって言える日が来るかもしれないなあ」

 笑って言うと、友紀も少し安心したように笑ってくれた。
 友紀の部屋を出て玄関を閉める。誰も通らないのをいいことに、扉に寄りかかって天井を仰いで目を閉じた。
 きっと友紀は僕を好きだと言わないって、わかっているんだ。泣いたりするのは、いまだけにする。――ほんとうに、そんな日が来ると確信できるような、穏やかな恋心にするために。

side end.
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