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side:陵和治
和昭が真山友紀を連れ出したあとで、僕も2Aの教室に向かった。僕が守川俊哉を引き止めておく算段なんだけど、困ったな。守川の姿がない。
……しばらく待っても戻って来ない。うーん、これ、僕どうしたらいいのかな。鞄もないし、やっぱり帰っちゃったのかな。
「陵?」
教室を覗きながら困り果てていると、後ろから声をかけられた。この乱暴者そうな声は!
「守川俊哉っ」
「なにしてんだ、あんた。人の教室覗いて」
呆れたような顔をする守川に唇を尖らす。なにさなにさ、人を変質者みたいに言ってー!
「君がいないからじゃない」
「え」
「捜してたのにさ」
「あ……そうか、わりぃ。何の用だよ?」
「帰ろうよ」
「あ?」
「だから、一緒に帰ろうよ。僕の部屋で遊ぼう」
シャツの裾を引っ張って誘ったら、守川の顔が真っ赤になった。純情ボーイなんだね、守川。
頷いた守川の手を引いて、寮までの道を歩く。どうして鞄持ってるのに教室に戻ってきたのか聞いてみたら、嘉山鶇に「忘れ物したんじゃない? してるよね? してるだろ?」って妙な威圧感で従わされたんだそうだ。で、戻ったら僕がいたって。
逆に問われたのは、僕の部屋についてからだった。
「何であんたら、別個で行動してんだ。兄貴のほうが友紀を連れてったけど」
「一緒でないといけないの?」
「いや……そういうんじゃねえけど、珍しいからよ」
逆だ。一緒に行動してるほうが珍しいんだよ。
僕らは何年ものあいだずっと和人になりたくて、ずっとバラバラに行動してた。一人じゃないと、和人って言えなかったから。
「……真山友紀、すき?」
床に座ってソファに寄りかかって、質問を返した。
――好きって、言われたら、どうしようか。
一瞬不安になった。僕は真山が嫌いだから、嫌いなやつにお気に入りを取られちゃったらやだな、って思う。
ソファに座ってる守川はしばらく考えてから、答えを出した。
「恋愛でっていうなら、ハズレだな」
「……そ」
バレないようにそっと安堵の息を吐いた。
「側に居て助けてやりたいって思ってたのは、あいつが俺を引き摺りあげてくれたのが事実だからだ」
「思ってた?」
過去形になってるのを指摘すると、守川はちょっと苦い顔をした。
「少しだけ――少しだけな、薄情だけど、面倒見きれねえって、いまは思ってる。白水は友紀が最初から嫌いだったろうに、それでも親衛隊を動かさないように気を遣ってくれてた。親衛隊っていっても、あんたんとこや千影んとこみてえに、大人しいのもある。そういうこと、教えてんのに少しも理解しようとしなかったり――この世界で正しいのは、自分の考えだけで、他は全部間違いだって言うような性質に、呆れてるっつうか」
「白水のことすきなの」
「それも恋愛じゃねえけどな。あいつに見捨てられたくねえっていうか、呆れられたくねえっていうか」
「ちょっと、わかるよ、それ」
守川は僕より芳春に近いから、強くそう感じるんだろう。僕がもうちょっと、あの日見分けたのに口に出さなかった芳春の近くに行ってみたいなって思うように。
でもやっぱりこれは恋愛じゃなくて、友達になりたいなあっていうのだと思う。ふらっと芳春のとこいって、ちょっと話して、ふらって帰るような、ふわふわした友達。
「友紀が助けてくれたって事実は変わんねえから、随分勝手な人間だなって俺はちょっと自己嫌悪気味だ」
「守川俊哉は、真山を良い人間にしようとしたんじゃない。聞く耳持たない真山が悪いんだよ。君が自己嫌悪する必要ないじゃない」
「何で急に機嫌悪くしてんだ」
「しらないよ」
「まあいいけどよ。――つうかな、いまはそっちより、俺はあんたのほうが心配になってる」
「え」
ぷいと背けた顔を、また守川のほうに戻す。かち合った目は、思った以上に真剣だった。――なんだろう、心臓がうるさい。
なんでか視線を逸らせずに、僕はどうしてって問いかけた。どうして僕を心配してくれるの。
「前に言ってた、知り合いだからって、お人好しな理由?」
「……違うな、そうじゃねえ。あんたにいなくなって欲しくないって、俺は思ってる」
真剣な目に見下ろされて、どきどきする。何か言わなきゃって思うのに言葉が出ない。喧嘩慣れした手に髪留めを外されて、癖のついた髪を梳かれた。指先が少しだけ肌に触れる。――心臓が、破裂したかと思った。
どうにかこうにか、やっと出せた声は恥ずかしいくらい掠れていた。
「い……いなく、なったり、しないよ……」
「顔真っ赤」
「う、うるさいなあ! 君が変な風に触るから!」
「変な風って」
「だ、だいだい、なんで……いなくなって欲しくないなんて……お人好しじゃないなら、なんなの」
守川から髪留めを奪い返して、手の中で弄くり回す。もうやだ、守川俊哉の顔なんて直視しない。見られてるってだけでこんなに落ち着かないのに、真っ向から見れたりするもんか。
でも、それでも見とけばよかったって――あとから思った。だってとんでもないこと言うのだもの。
「あんたに惚れてるからだと思う」
「は……」
「いなくなっちまいそうだったから。あんたを引き止めるのが俺ならいいって思った」
「ちょ……っと、待ってよ。なんなの! いきなり……どうして……そんな……そんな要素ないじゃない」
「あるだろ。思うと一目惚れだったろうけど、決定打は一緒に風呂入った日、あんたがやっと笑ったとき」
「う、あ」
これ以上赤くならないって思ってた頬が、また熱くなった。お風呂上がる直前に笑った守川の顔、思い出しちゃったから。
だって、あれ、かっこよかった。いかにも不良です! って見た目の守川の顔が優しく緩んで、なんか、それが、すっごくカッコ良く見えて、僕はいまみたいに心臓バクバクで。
「――和治」
「……!」
う、うあ……! ああどうしよう、守川のほう絶対向けない。顔赤くなりすぎて暑い。
「う……」
「お、おい?」
名前を呼ばれるのは大嫌いだった。和人になれないと、どうしたって思い知らされるから。一人っきりで、欠けたまま生きていかなきゃならないって思い知らされるから。
――けど。何でだろう。どうしてだろう。埋まっていく気がするよ、和昭。抉られるだけだったのに、名前を呼ばれただけで、引き裂かれたあとが治ってしまったみたいに思えるよ。
僕を抉らないのは和昭だけだった。和昭は抉らないけど、欠落を満たしてもくれない。ただ抉らないだけ。安定がそこにはあった。不変というものだった。
――変化。そうか、こういうのが変化と言うんだ。僕に取って和昭が安定の象徴なら、変動の象徴として守川を得た。
誰かが何かの象徴になるなんて、自分の中でその人によっぽどの思いがなければ到底有り得ない。
「……何で泣くんだよ」
「う、るさいよ……っ。金髪の部分だけ全部引っこ抜くよ。まだらハゲにするよ」
「おっかねえこと言うなよ。……名前呼ばれんの、やっぱ嫌か?」
気持ち沈んだ声に、慌てて首を横に振った。君なら良いんだ。君にならいいんだ。和昭以外では、君だけがいいんだ。
とめどなく溢れてくる涙を、手の甲で拭う。
「呼んで。いっぱい。たくさん呼ばれたい、君に」
「……和治」
「う、ん」
ソファを降りて、守川は僕の隣に座った。すごいしかめっ面して、僕の頬を両手で挟んで、親指で涙を拭う。
あんまり見ないで欲しいなって思いながら守川を見てると、守川も少し顔が赤くなってるのに気付いた。何だかちょっとかっこいいこと言ったのに、少し残念だ。かっこいいのに残念だなぁ。
あと、こんなに顔を近づけて、近づけてるだけっていうのも残念なんじゃないかな。
軽く笑ったら、守川はちょっとほっとしたみたいだ。それでも何も動きがないので、思い切って僕からキスをしてみたら、守川は固まって帰ってこなくなった。……どれだけ残念なの、君。
何分かしてようやく戻ってきた守川にキングオブヘタレの称号を与えたら、とても嫌そうな顔をされた。
side end.
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