鬼の住処


「丹羽と心山、ただいま戻りましたあっでぇ!」
「先輩?!」
「うおおおおお……」

 そろそろと風紀室の扉を開けた丹羽の額に、何か飛来物が激突した。急襲を受けた丹羽は仰け反ってからしゃがみ込み、額を押さえて呻いている。
 迅はさっと周囲に視線を巡らし、飛来物の正体を知った。よく磨かれた廊下には、スチール缶の缶コーヒーが転がっている。丹羽に襲いかかったのは、どうやらあの未開封の缶コーヒーだ。空き缶ではない分、余計に痛かっただろう。

「おせェ」

 迅が気の毒に思って丹羽を見下ろしていると、風紀室の中から不機嫌な低い声が飛んできた。そちらを見やると、委員長の桂が字の通り鬼のような形相で丹羽を睨みつけている。
 整然として冷えた印象を与える風紀室の中には、桂と副委員長の秋大路、その守人の稲舟の他には誰もいなかった。桂の憤激から考えると、他は既に解散したのだろう。

「どんだけチンタラ見回りしてんだ。俺はさっさと帰りてェってのに、お前ェのせいでいつまでも帰れねェだろうが」

 見回りの後には報告書を作成して桂に提出しなくてはならない。桂はそれらに目を通してから下校するので、一組でも遅くなればその分桂の下校も遅くなる。
 他の委員は報告書を提出して、何事も問題がなければそのまま下校できる。解散済みであるということから、他のペアの見回りでも特別の問題は発生していないことが窺えた。だから余計桂は怒っているのだろう。

「ボ、ス……ひでえぇ! 何で俺だけ怒るんすか!」
「チンタラしてたのはどうせお前ェだろうが」
「日頃の行いっしょぉ」

 回転する椅子の背もたれを抱くようにして座っている稲舟が、けらけらと合いの手をはさむ。反論する丹羽の言葉には、くるくると笑いながら回って取り合わない。
 迅は騒がしい彼らを横において、さっさと席に戻って報告書の作成に取りかかった。とはいっても、特記すべき問題もないのですぐに終わってしまう。
 不機嫌な桂には正直近寄りがたいのだけれども、時間を置いたところで機嫌が直るどころか悪くなる一方であることは想像に難くない。そもそも、帰れないからあんなに怒っているのだ。

「委員長、報告書できました。確認お願いします」
「おう」

 桂は提出した報告書をぞんざいに受け取って、すいと灰色の目で文字列を追う。
 最後まで目を通した桂は、ふん、と鼻を鳴らして、

「……まだ気付いてねェ、か?」

 と呟いた。
 不思議そうにしている迅に気付くと、桂は何でもないと言って、迅を手で追い払う。迅は首を傾げながらも桂の前を辞して、まだ廊下で遊んでいる丹羽に声をかけた。

「丹羽先輩、俺もう帰りますえ」
「んぬぁっ?! 迅ちゃん報告書作ってくれたのー? やったぁ、アリガトー」

 能天気な物言いに、桂から溜め息が零れた。秋大路に至っては最初から何事も無視して読書に勤しんでいる。

「っていうことは、俺も帰っていいんだ!」
「丹羽、お前ェは残れ」
「うふふ、何か聞こえたけど妖精さんの声かぬああぁっ?!」

 非常にすばらしい笑顔で桂の低い声を聞かなかったことにしようとした丹羽の鼻先を、何か細いものが風を切って飛んでいった。遅れてがつ、と廊下の壁に何かがぶつけられる音がして、次いで軽量のものが落ちて転がる音も聞こえてきた。
 迅がそちらに視線を遣ると、廊下にはなぜだかボールペンが寂しげに行き倒れている。

「丹羽。お前ェは、残れ」
「…………はぁ〜い……」

 先程よりもずいぶん低く殺気に溢れた声で同じことを命じられ、丹羽は銃を突きつけられたように両手を挙げて、引き攣った笑顔で了解した。

「……ほな、俺はこれで」
「バイバ〜イ。また明日ね〜、心山」

 迅は廊下に転がったボールペンを風紀室に戻してから誰にともなく声をかける。返ってきたのは稲舟の、ひどくのんきな声だけだった。


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