燃え上がる男が一人


 留守はLHRの時間になって教室に入ってくるなり、教卓を殴りつけて生徒たちを見回した。その眼光の鋭さは、さながら悪鬼である。
 生徒たちは留守の凶悪さに怯えるか、突然のことにぽかんとしている。迅と佑はどちらかといえば後者だった。
 悪鬼の如き留守は、ぐるりと教室を見渡してから低い声で言う。

「――クラスマッチだ」
「は?」

 誰ともなく聞き返す。留守は今度は低音ながらも明瞭に言い放った。

「クラスマッチだ、野郎ども!」

 言いきった留守に、怯えていた生徒たちの気が緩む。

「もー、留守センセー。クラスマッチくらいでそんな殺人鬼みたいな顔しないでくださいよ」
「クラスマッチ……ごとき、だぁ?!」
「いや俺ごときなんて言ってない」

 吉川がほっと息を吐いて文句を言うと、留守はぎろりと吉川を睨みつけた。睨まれた吉川は頬を引き攣らせて訂正を入れるが、留守の耳には届いていないらしい。

「いいか、クラスマッチごときなんて言う奴は明日の朝陽を見られないと思え!」
「なんであんたそんな興奮してんだ」

 非常に面倒そうに佑が言う。留守は今度は佑を射殺さんばかりの鋭い目でねめつけた。

「俺はな! なんとしても聖の野郎に一泡吹かせてえんだよ!」
「聖ぃ? ……生徒会顧問の?」
「かつ、3A担任で現国教師の! 今年こそ、今年こそは俺が優勝を勝ち取ってやる……!」
「いや、実際参加するん、俺らですけど。センセが参加する種目ってあるんですか」
「ない! それは体育祭! 体育祭も勝つ!」
「せ、先生、落ち着いてください……」

 すっかり怯えきった村上の、人の良心を刺激するような涙ながらの訴えも、いまの留守には効果がないようだった。

「なしてセンセは、その聖センセに一泡吹かせたろー、と言わはるんです?」

 迅が訊ねると、留守はあたりに恐怖をまき散らすのをやめて教卓に寄りかかった。

「野郎は気に食わねえ……!」
「は?」

 心なしか、佑の目線が冷たい。

「気に食わねえんだよ! 毎年毎年、優勝かっさらっていきやがって!」
「それだけかよ」
「それだけって何だ! ――いいか、野郎ども。男の子にはな、越えなきゃならねえ壁があるんだ。それが俺には聖から優勝を奪い取ることなんだ!」
「せんせー、先生のキャラがどんどんおかしな方向に進みだしてますー」
「おかしくない! 幸いにして今年は元ヤンで運動神経のいい四十九院と心山という二枚看板が俺のクラスにいる……!」
「え……俺ヤンキー違いますし」
「めんどくせ……」

 明らかにやる気のなさを表して佑は背もたれにだらりと寄りかかる。留守がにたりと悪役さながらに笑んだ。

「ちなみに、クラスマッチも体育祭も、サボったら体育の単位危うくなるからな」
「……」
「休みたきゃ正当な理由を用意して、三日前までに申請書出せよー。ちゃんと理由の裏付けも取るからなー」
「当日に高熱とかあまりの腹痛で動かれへん場合は、どうなるんでっしゃろか」
「養護教諭の診察がある。奴らが休んだほうが良いと判断したら、欠場が認められる。まあ休んだら公欠以外は後日補習があるけどな。欠席者全員、狭い部屋で、熊ジジイと顔つき合わせての」

 うへえ、と吉川が声を上げた。
 留守の言う熊ジジイとは、一年生の体育を担当する体育教師を指している。定年間近でありながら、熊のような体格と威圧感を醸し出す頑固者である。とにかく色々と暑苦しい人間なので、彼と狭い部屋に押し込められるのは御免だという者が多い。
 これは例年サボリの多いFクラスに対する策だ。彼はしかも不良生徒を善意で更正したがるので、Fには敬遠されていた。大声でお説教されるのはたまらないと、二年生以上は行事をサボることがなくなっている。

「――さて、そんじゃ、そういうわけで、いまから参加種目決めろよ。……と言いたいところだが俺は勝ちたいので俺が決めた」
「は?!」
「ひでえ!」
「先生! どの種目に出るかを自分で選ぶところからがクラスマッチだと思います!」

 生徒たちのブーイングをさらっと無視して、留守が懐から何かのプリントを取り出す。そのプリントを見ながら留守は振り向いて黒板に向かい、真っ白なチョークを手に板書しだした。
 黒板の上方にバレーボール、バスケットボール、野球、ドッジボールの四種目を書き、さらにそれぞれ下に生徒の名前を書いていく。
 クラス全員の名前を書き終えた留守がチョークを置いて、粉を落とすように手を叩いて生徒たちに向き直った。

「うちのクラスはこの布陣でいく」

 佑の名前はバスケに、迅の名前はバレーの一番上に書かれていた。

「あのう、センセ。なして俺、バレーなんですやろか」
「うちのクラスで一番背が高いから。あと、心山は全体を見渡せる子だって先生信じてる」
「きしょ……」
「なんか言ったか四十九院」
「何も。――俺がバスケなの何でだよ。迅とじゃねえとつまんねえ……」

 佑の呟きを耳聡く聞き取ったらしい早少女が、ばっと佑を振り向いて悲愴な顔をする。

「四十九院ひどい! 早少女君もいるんですよ!」
「うぜえ。これがバスケで役に立つのか」
「ひーどーい!」
「それ、そんなでもバスケ部だしな。万年補欠だけど、うちのクラスのバスケ部員で一番うまいのはそいつらしいし」

 所属する部活の種目には、各種目一人だけが出場できるように決められている。バスケの枠は早少女にしたらしい。

「それ?! そんな?! 小早川聞いた?! 先生が俺をいじめる!」
「うるさいよ、早少女」
「小早川まで……! 二人合わせてこばやとめじゃなかったのかよう!」
「いや、早少女が勝手に言ってるだけだし」
「早少女君いいかげん泣きますよ!」
「うるせえよ早少女。話が進まねえから黙ってろよ」
 留守が傲岸に言い放つと、早少女はうわあん、と泣きまねをして机に突っ伏した。「静かになったな」と平然とした面で話を進めようとする留守に、教室中から乾いた笑いが漏れた。

「最近お前おとなしいんで忘れがちだが、四十九院は普通の生徒からビビられてんだよな」
「それが?」
「バスケはネットをはさんでやる競技じゃねえ。四種目中唯一接近して行うスポーツだ」
「だからそれが何――……てめえ」

 留守の言いたいことに気付いた佑は、苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。

「どゆこと?」
「相手を俺でビビらせて、ミス誘おうってんだろ」
「その通り。さすが首席」
「汚ぇ教師」
「言ったはずだ、俺は勝ちたい! そして賭けの商品の校長秘蔵の酒を飲みたい! そのためならどんな汚い手段にも手を染めるぞ!」

 高等部の長は自ら秘蔵の酒を教師たちに差し出す人格ではない。が、校長だというのに何かと立場の弱い男だ。大方、後ろ盾の大きい教師からせびられて泣く泣く提供したのだろう。

「それが本音か……」
「聖に痛い目をみせるのも本気だ」
「ちゅうか、教師が堂々と賭事せえへんでくださいよ」
「金は賭けてないのでセーフです。俺に酒を飲ませろ」
「なんて教師だ」

 留守はどこかから飛んだ呆れの言葉を華麗に無視して、作戦会議だと声高に言い放った。

「あっ……忘れてた。クラスマッチの前にテストあるかんな、そっちの勉強も怠るなよ」

 吉川や早乙女の席のあたりから、絹を裂いたような悲鳴が聞こえた。

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