本当は――愛宗よりも川崎よりも、孤高と評されることにこだわっているのは、自分自身のような気が、佑にはした。というよりも、一人であることと自身の感情を欺瞞することに慣れきってしまっているから、だから晟に心を寄り添わせたがっている自分にひどく違和感を覚えるのだろう。
「佑」
たった三つの音にさえ、晟からの情がはち切れそうなほど込められている。晟に対する好意を認め、受け入れたから余計に愛情を大きく感じるのだろうか。
どうしようもなく泣いてしまいそうで、佑はぎゅうと目を閉じた。
「お、れは」
毅然としていたいのに、声が震える。律しようとしても、身体は佑の言う事を聞くつもりがないらしい。
「俺は、自分のことしか背負えない……」
それでもいいのだろうか。自分のことさえ背負いきれていなかったし、視野狭窄に陥っていたのに、それでも晟を好きでいいのだろうか。
消え入るような声で叫びをあげると、晟が間近でふっと笑んだのが吐息で伝わった。
「それで思い悩む必要など、ない。誰でもそういうものだろう。人がきちんと背負えるのは、自分自身だけだ。たまに背中に余裕のある奴がいて、そう言う奴には、背負って歩くのを手伝ってやりたいと誰かに思う。――俺がそうだな」
晟の鼻先が、佑のそこに触れる。
「俺は、そうやって思うことが恋愛なのだと思う。――お前が歩くのを、俺に手伝わせろ、佑」
真剣で真直ぐな声が、佑の聴覚を震わせた。まるで心の中にある海に、中空から一粒の雫が落ちたようだ。暗い色をした心の海が、そのたった一粒の透明な雫ですっかり澄んだ海になってしまった。空からは立ち込めていた暗雲が消え去り、水平線が見つからないほど青くなった。――その水天一碧の光景の名を、喜びといった。
目を開けて晟の顔を見たくなったけれど、そうすると本当に泣いてしまいそうなので、佑は目を閉じたままでいる。あまり、泣きたくなどないのだ。羞恥心とかではなく、これは意地の問題だった。
「佑」
「う……」
返事をしろと、晟は言外に言う。彼はもう十二分に待ったのだ。佑が晟の好意と真剣に向き合えるようになるまで。佑は晟に何年も待たせた。
実を言うと、晟は途中で少しも靡かない佑に飽いて、他に相手を見繕うのだろうと佑は思っていた。だからまともに受け取らなかったのだ。
その軽視が覆ったのは、あの日以降も晟が佑を心髄から気にかけて、何も言わない佑に呆れもせずに思い続けてくれたからだ。それまでは多分、愛情を信じるのが怖かった。実際には失ってなどいなかったが、どうせまた失うのだと思っていたのだ。
迅をすんなり受け入れられたのは、友情だったからだ。友情も愛情の一つに違いないが、佑が失うことを恐れていた愛ではなかったから迅を信じられた。
「目を開けて、俺を見ろ、佑」
言葉とは裏腹に、晟の声には命令の面影がない。ただ促す声に、佑は閉じていた目を開けた。佑の真朱の目と、晟の赤い目が向き合う。
晟はそっと佑の頬に右手を添えて、もう一度佑に、泣きたくなるほど甘くて切ない声を聞かせてきた。
「佑――愛している」
「っ……!」
届けられた重たい言葉に、佑は息を飲む。茨が心臓に絡み付いて、いくつもの棘が突き刺さったように佑は感じた。それは激痛にはならず、痛みであっても辛いものにもならなかった。ただひたすらに、甘くて優しい。
「俺を愛してくれるか?」
棘が刺さったところから溢れ出てくる感情に言葉がさらわれた佑には、晟の求愛に頷くのがやっとだった。好きだと言ってやりたいのに、感情の奔流が邪魔をする。
それでも佑の喜びも何もかもは伝わったのだろう、頷いた直後に晟の唇が重ねられて、余計何も言えなくなる。だんだんと深まっていく愛情表現に、佑はそういえば――とふと気付いた。
そういえば、こうして舌を絡められるのは、これで二度目だ。
一度目は、初対面のとき寝込みを襲われてのことだった。「俺のものになれ」と傲慢に言い放ってから何くれとなく絡んできたが、キスをされても軽く触れるだけだったり、頬だとか額だとかにしか晟はしてこなかった。どうやら彼には彼なりの線引きがあるらしい。
「……っは……」
「だいたい四年ぶり、か?」
晟も佑と同じことを思い出していたようだった。目を細めて言った晟は、佑の髪を梳いてから真剣な顔つきをした。
「聞いてもいいか、佑。――あの日、何があった」
問い返さないでも、晟が言うあの日がいつを指しているのか佑にはわかった。こんな風に神妙な顔をするのだから、心当たりは一つしかないのだ。
周囲に対して少しだけ素直になれたいまなら話せるかもしれない、と思った上での質問だろう。佑も、いまだったら打ち明けることができると思った。本当は思い出すのも嫌だけれど、あの日以降も愛想を尽かすことなく大切に思い続けてくれた晟には、自分の身に起こったことを話さなくてはいけない。
「……夜中、変なかんじがして目が覚めたら」
少し俯いてシャツの裾を握り締める。どこかしらに力を込めていなければ、語ることから逃げ出してしまいそうだった。
「そうしたら、上に、そん時の同室者がいて」
唇が戦慄き、声が震える。硬く握り締めた拳の上に、晟の大きな手が重なった。そのぬくもりに、詰まりかけた声がするりと喉を通って出て行く。
「服、脱がされかけてて、身体触られてて、どうしようもなく気色悪くて、それで……」
「……そうか」
重ねていないほうの掌が、慈しむような手付きで頭を撫でる。
「犯されかけたなんて言うの、情けなくて嫌だった。黙ってたら不利だとはわかってたけど、どうでもよかった……」
同室者を病院送りにしても、きっと父親は無関心なままなのだろうと思うと、自己弁護さえする気にもならなかったのだ。佑はそのとき倦んでいたし、虚脱していた。
あまり関わらなかったにせよ、それまで表面上穏やかだった同室者に襲われて、佑はなおのこと誰かを信用することが怖くなっていた。だから本気で佑を案じている晟にも、助けなど求められなかった。
いままで溜め込んでいたものを全部吐き出した佑は、打ち明けられたことに安堵して、最後に深く息を吐く。
「そう言う顛末だったわけか……」
重ねられた手がぎりと佑の拳を握り込んでくる。俯かせていた顔を上げて晟を見ると、彼は酷く憤ろしいといった顔をしていた。
「くそ、俺より先に触りやがって」
「そこかよ」
もう少し慰めるような言葉があってもいいだろうに、と佑は内心苦笑する。もっとも、佑もいまさら慰めて欲しい訳ではない。敢えて言うなら、襲われたと知っても腫れ物に触るようにではなく、普段と変わらず触れてくれていることが充分慰めだった。
「迅にも明日話す」
「心山か……。あいつには感謝しないとな」
迅が銀蘭に来なければ、佑の時間は動きださなかった。親とも愛宗とも和解できなかったし、晟を待たせたままでいて、晟をも巻き込んで停滞し続けるところだった。
深みのある声音で言った晟に、佑はそうだなと頷いた。迅は義隆の見立て通り佑の鍵だったし、空けない夜を終わらせる光だった。
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