行きよりも時間をかけて、留守と佑はホテルに戻った。とっくに生徒の就寝時間は過ぎていて、廊下はどこもかしこもしんと静まり返っている。
 留守は車を駐車場に戻すので玄関で下ろしてもらったが、そのときにぶっきらぼうに礼を言ったら、随分と驚かれた。謝礼して驚かれるような態度を誰にでもとっていたという自覚が佑にはあるので、「明日嵐になったらお前のせいだぞ」と言われても、苦い顔をするだけで反論はしなかった。
 照明の光量が落ちて薄暗くなった廊下に、佑の歩く足音だけが、絨毯に吸収されて鈍く響く。宛てがわれた部屋のドアに寄りかかった。
 ――晟はまだ起きているだろうか。寝ていたとしたら叩き起こすかしなければ、佑はカードキーを持っていないので部屋に入れない。一応病院を発つ前に、いまから戻るとメールを入れておいたし、晟からも待っていると返信があったけれども、晟だって睡魔に大挙して襲われればどうしようもないだろう。
 とりあえず扉を叩いて、それで駄目ならメールなり電話なりで戻ったことを伝えることにして、佑は扉から背中を離した。どちらも駄目なら、どうせ心配して佑が戻るまで起きているだろう迅のところに転がり込めばいい。
 そう思うけれども、佑はいまは晟にこのドアを開けて欲しかった。迅のことはもちろん友人として好きだし、気にかけてくれるのもありがたいと思っている。迅のおかげで、思い込みでささくれていた心も和らいで、今日だって病院へ行くことができたのもわかっている。
 ――それでも、いまは無性に晟に会いたい。
 まるで焦がれるように晟の存在を求めている自分が不愉快で、佑は顔を顰めた。恋愛感情など、向けられることはあっても自分が誰かに向けることなど想定していなかったから、何だかひどく自分が気持ち悪く感じる。
 自分自身に抱く居心地の悪さを誤摩化すように溜め息をついて、佑は扉と向き合った。ノックをするために右手をあげたが、しかしその白い指の背がドアを叩くことはなかった。

「佑」

 ノックをするよりも先に、扉が開いて晟が顔を出したのだ。佑は驚き、何度もゆっくり目を瞬く。

「やっぱいたか。おかえり」
「え、あ……ああ」
「ほら、早く入れ」

 随分優しい顔と声をして誘導する晟に従って、半分呆然としながら佑は宛てがわれた部屋に入った。
 生徒会役員と風紀委員長及び副委員長はここでも別格で、彼らの使う部屋はスイートルームになっている。スイートにもランクがあって、会長と風紀委員長に割り当てられるのは上から二番目のランクの部屋だ。これは例年のことだと言う。交流会で最上級のスイートルームが使用されることはないが、今夜は杉葉がそこを使っているだろう。
 玄関から廊下を通ってリビングルームに入ると、ソファとローテーブルをはさんだ部屋の向かい側にはデスクが置かれてある。その上に書類が置いてあるということは、晟はいままで仕事をしていたのだろう。
 晟がデスクには戻らずソファに座ったので、佑もその隣に腰を下ろす。いつぞやのように一人分の距離を空けることもなく、すぐ隣に。
 晟は佑の行動に驚いたように目を丸くして、次には嬉しそうに破顔した。その表情の甘さを直視してしまった佑は咄嗟に俯いて、晟の顔を視界から追い出す。
 ――心臓が、やけにうるさい。父親が目覚めたときの緊張とは、まったく別物の動悸だ。

(くそ、何だって言う……)

 いままでだって、こういう佑に対する好意があからさまな表情を向けられたことは何度だってあった。しかしこんなにも胸が締まり、顔に熱が集まるのは初めてのことだ。
 けたたましく脈打つ心臓を、佑は押さえる。きっと晟の笑貌は、赤くなって俯く佑を不思議そうに見るものに変わっているのだろう。もう晟を見ても問題ないはずだが、どうにも顔をあげられる気がしなかった。

「――お父上はどうだった」
「は? あ……ああ……」

 静かに問いかけられて、佑は横目で晟を見てすぐに視線を逸らした。あのこちらが蕩けそうなほどの笑みは消えていたが、やはり晟を直視できない。

「……」
「佑? まさか……」
「あ、いや、ピンピンしてた」

 佑は父親の姿を思い出してじわじわと腹が立ってきていた。それで黙り込んでいると晟は悪い方向に誤解をしたようで、声を低くして呻く。
 悪い予想をしっかり否定すると、晟が安堵の息を吐いた。

「そうか……。無事でよかったな」
「…………」
「どうした?」
「いや……なんつうか……あのヘタレジジイにも自分にも苛ついてきた」
「は?」

 激しい鼓動も治まったので、佑はようやく顔を上げることができた。それでもあまり晟を真正面から見ないようにして、佑はことの顛末を晟に話した。
 嫌われている、疎まれている、見放されているなどというのがすべて佑の思い込みで、佑の独り相撲だったと知った晟は、さすがに苦笑していた。

「それは、俺でも誤解する」
「……はぁ……」
「だがまあ、本当のことを知れてよかったじゃねえか。……お前が傷ついて帰ってきたら、お前の両親のところに乗り込んで、佑を奪い去る気でいたんだがな」
「奪っ……はあ?!」
「お前がずっと心に引っ掛けていた問題は、これでなくなった。――それじゃあ、次は俺の言葉を真剣に考えてもらおうか、佑」
「お前の、って……」

 悪人面のくせに無駄に整った顔を、ぐっと近づけられる。いつもの余裕を見せつけるような笑みはどこにもない。
 晟の美顔はさらに近づいてきて、ああこれはキスをされるな――と思ったけれども、佑の思考は顔を背けることを導きださなかった。
 しかし晟は、佑に口付けなかった。その直前、吐息の触れあう距離に留まっている。
 何だ、と問いかけようとしたが、先に晟が口を開いた。

「――好きだ、佑」

 少しだけ眉根を寄せた晟の声は低く掠れていて、その熱情が氾濫しそうなことをありありと佑に伝える。声は甘さを含みながらも、ぎゅうと心臓を締めつけてくる切なさを伴っていた。
 真直ぐに見つめてくる晟の赤い双眸に、自分に向けられる愛情すべてが込められているようで、佑は晟から目を離せずにいる。
 晟が佑を呼ばわる声が、好きだと囁く声が、交互に何度も佑の中で繰り返し再生される。いま目の前にいる望月晟という存在そのものが、まるで身体を縛り付ける茨だった。
 絡み付いた茨の棘が、肌に食い込んでとても痛い。けれど佑は、その痛みから逃れたいとは思わなかった。
 ――棘に与えられる痛みを受け入れること、それがどうやら、佑にとっての恋愛感情らしかった。
 認めるとよりいっそう居心地が悪い。誰かに恋愛感情を抱く自分というのが、ひどく不似合いに思えた。


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