ユダの呟き


 強く投げつけた上質のクッションは壁に当たり、けれど川崎の苛立をそのまま表すほどの音は出さずに落下した。びくりと身を竦めた小心の平隊員が視界の端に入り込んで、それが余計川崎の怒りの業火を煽った。
 拾って戻せ、と下命しながら川崎はもう一つのクッションを取って、乱暴にソファに腰掛けた。膝と一緒にソファと揃いのクッションを抱えて、奥歯を噛み締める。
 ――心山迅。
 現在最も目障りで呪わしく疎ましい男の名を胸中に書いて、クッションに爪を立てた。
 川崎が心酔して愛してやまない佑の孤高を穢してなお、平然と佑にまとわりつく汚物。奴が現れてから、川崎の心が荒れぬ日はない。
 佑と同室、これだけならまだ目を瞑ろう。部屋割りが成績順で、佑が優秀な頭脳を持っているのは川崎も承知済みだ。

「同室ってだけなら、見逃してやったっていうのに……!」

 あろうことか迅は土足で佑の心に踏み入って、一人を好む佑を無理矢理人混みのなかに加えている。小早川や早乙女なんていう小物まで、佑に近寄って高潔を穢す。我慢ならないことだ。
 森林公園から戻ってきた佑と迅を思い出して、川崎は拳にした人差し指の付け根を噛む。
 二人は手をつないで戻ったどころか、やけに触れあいながら姿を現した。迅が一方的に――と見られれば、川崎の心中はまだ少しは落ち着いていたろう。それが殊更に荒波立つのは、どう見ても佑の方が迅に接触をもっていたからだった。
 どうして――。どうして佑はあんな取るに足らない存在を大事にする。あんな平凡よりも、絶対に自分の方が役に立つし、並び立つのに相応しい。なぜそれがわからない。
 佑の隣に並ぶのに一番相応しいのは、自分だ。心山迅でも――まして望月晟などでもない。迅のせいで、佑は晟に絆されつつある。
 前々から川崎は晟が気に食わなかった。気安く佑に手を出して、佑の心を持っていこうとするのだ。出会ったのが川崎の方が先なら、接触を持ったのも川崎が先だ。迅しかり晟しかり、気安く容易く佑の中に入り込んで佑を奪おうとする。
 本当なら晟だって潰してしまいたい、というのが川崎の本音だ。けれど晟は生徒会長だし、家柄も川崎よりずっと良い。だから手出しできない。
 そうして溜っていく鬱憤のはけ口になりうるのが、迅だった。だというのに迅は早々に風紀の保護を――当人の与り知らぬところで――受けて、制裁らしい制裁を下せない。
 いい加減に、我慢の限界だった。

「隊長、落ち着いてくださ――」
「うるさいっ! だいたい、アンタがちゃんと風紀の穴をつかないから、うまくいかないんじゃない!」

 怒鳴りつけると、迅への制裁を実行させている隊員は身を縮み上がらせたあとで、申し訳なさそうにしょげて俯いた。同い年のくせに、これには度胸が足りない。
 風紀の監視が厳しいのは知っている。だからといって、それを恐れて悪意ある手紙を迅の靴箱や机やらに詰め込むだけに留まるなどと、小心に過ぎる。
 手紙だって、殆どが詰め込んだ後に風紀に回収されてしまっている。実際のところ、迅への制裁行為など下されていないに等しかった。

「これ以上――これ以上佑を、あんな屑どもに穢されてたまるもんですか……っ!」

 自分に見向きもしない以上、佑は必ず孤独を、孤高を、高潔を貫き通さなければならない。誰か一人を選んではいけない。選ぶべきではない。選ぶ権利などない。でなければ、振り向かれなかった己が哀れではないか。
 それは分不相応なほどに矜持の高い川崎には、堪え難いことだった。ひどい侮辱にあたることだった。

「許さない……許さないッ!」

 自分を惨めな位置に追い込んだ迅も晟も。佑は川崎しか選んではいけないのに、誑かしたのだ。
 早く、とりあえず迅だけでも取り除いて、佑を正気に戻さなくてはならない。迅さえいなくなれば、また佑は誰も側に置かないようになるだろう。あわよくば、正気を取り戻させた川崎に感謝をして、この身を抱いて傍に置いてくれるかもしれない。
 川崎の暗く淀んだ双眸に、ぎらと怪し気な光が灯る。

「あいつ……今すぐ銀蘭を出て行きたくさせてやる……」

 川崎の呟きの意味するところを感じ取った隊員が、はっと息を飲む。

「で、でも彼は……あの伯楽の幹部だっていいますよ? 下手な人員じゃ……」
「そんなの、どうせ大したことないわよ! いいからあんたは、夕食前に心山を裏手に呼び出す手紙でも書いて届けなさいよ! 来ないとアンタのトモダチが酷い目にあうとでも何とでも書いて、絶対に来させるのよ!」

 川崎は立ち上がり、味気ないが品のある備品のレターセットを机の引き出しから取り出して、隊員に投げつける。隊員は顔に当たるところだったそれを危う気なく受け止めて、川崎がレターセットを取り出した机に向かう。
 それきり川崎は隊員に興味をなくして、ソファに戻って爪を眺め出した。隊員はちらと川崎を窺ってから、時間と場所の指定を簡潔に記して、便箋を封筒に入れる。

「それじゃ……あの、届けてきますね」

 一応声をかけたが、川崎の返答はなかった。端から期待していなかったので、隊員はこだわらず割り当てられた部屋を出た。
 生徒会役員とそのペアに宛てがわれたのは最上階――ではないが、さほどに違いのない上階だ。一般生徒が立ち入ることは禁じられているが、学園のように特定のカードキーがないと立ち入れないという造りではないため、侵入はできる。
 エレベーターホールへ行く前に、隊員はあまり利用者のいなさそうなトイレへ立ち寄って、個室に入った。蓋をされたままの便座の上に腰掛けて、どっぷりと溜息をつく。

「……ビビリのフリも、楽じゃねえって……。マジ、これ終わったらそれ相応の対価を貰ってやるってーの」

 言いながら携帯を取り出して、今し方得てこれから対象に届けにいく情報を、とある人物にメールで送信した。
 送信完了の文字が浮かび上がったのを見届けて、隊員は送信したばかりのメールを削除した。

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