深い場所でまどろみ





 ――私は私の生きたいように生きるさかい、あんたら、絶対邪魔せんといてよ。
 四つ下の弟・雷(らい)と、半年ほど前に生まれた双子の兄妹・春(はる)と光(ひかる)三人の面倒を見ていたところに落とされた――掛けられた、ではなく事実落とされたその言葉の意味を、当時迅は理解できなかった。
 だが不可解だったのは一瞬のことで、声の主――産みの母の顔を見上げた瞬間に、母親の言葉を理解した。
 見上げてくる迅を非常に煩わしげな目で見下ろす彼女は、凡そ"母親"という人間には当てはまらなかった。自分の腹を痛めて産んだ迅たちを、それこそ汚物でも見るような眸で見る女は。
 彼女はその時、人より少しだけ整った顔を未婚のように化かして、上品そうな出で立ちをしていた。リビングの扉を開けたまま立つ足元には、あわい森のような色をしたキャリーケースが置いてあった。
 ああこの女は家を出て行くのだ、と、母親だった若い女性を見ながら思った。玄関にちらと姿の見える、若い男と一緒に。自分たちは捨てられたのだ――とも。
 幼稚園ではやたらませた五歳児ばかり友達だったから、母親は"ウワキ"していたのだ、ということにも思い至った。
 不穏を察したか突然泣き出した双子に、女は五月蠅そうに眉を顰めて背を向けた。
 双子につられて泣き出した雷の頭を撫でながら、半月ぶりの言葉があれか、と迅は溜め息を吐いたのだった。
 出て行った女はもう気にせず、取り敢えず弟妹を泣きやませることに意識をやった。
 母親が出て行ったところで、何か生活が変わるわけでもないのだ。家のことは迅が生まれた当時から、家政婦任せだった。近頃の弟妹の世話は、夕方から迅が買って出ていたが。
 慌てて買い物から帰って来た家政婦――出て行く女を見たらしい――は、何を言ったらいいのかわからないと顔に書いてあったので、迅は何事もなかったかのように、デザートにゼリーが食べたい、と珍しくおねだりをしてみせた。あからさまに安堵した様子の家政婦が何故だかおかしくて笑おうとしたが、顔が強張っていて、それはしくじった。
 ――それから二年後。日向のようなやさしいひとに、よく頑張ったね……と抱き締められて、迅はようやく、あの日自分が傷ついていたことを自覚した。



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