部屋に戻って、ソファーで本を読む迅の顔を見たら、消えていた憤りがじわじわと甦ってきた。
「ん? どないしはったん?」
「……いや」
間をあけて否定すると、迅は疑わしげな目で注視してきた。雄弁な茶色い眸が、佑を心配している。
こう、真直ぐに案じられる事の、存外と嬉しいもので。
「何でもねえよ」
なので、気丈を振る舞った。
しかし迅には、何しろ弟妹の母替わりだったからか、ごまかしがきかなかったようだ。まだ心配げに顔を曇らせて、
「言われへんことやったら、まあ、無理に全部聞く気ぃもないけどな」
「何もねえって」
見据えられ、居心地の悪さに視線を彷徨わせる。備え付けの壁掛け時計が目に入って、その示された時刻に瞠目した。
教室で迅と別れてから、既に二時間近く過ぎている。すぐ帰ると言ったくせこれでは、心配されるのも無理はない。
あらためて迅に視線をやって、考える。
自分が過ったせいで風紀に囮にされるのだと、素直に言ってしまうか。
川崎を仕置きする絶好の機会であるから、風紀に荷担してやるか。
どちらをも望んでいて、だが佑は片方しか選択できない。
「佑」「やめろ」
眉間を押してくる迅の手を軽くはたいた。考え込むうちに、いつも以上に眉間に皺が寄っていたらしい。
(……答えなんかでやしない)
どちらにせよ、少なからず悔やむのだろう。
なら、言わなくていい。川崎に関してだけは、悔いが大きかろうとも、佑はあれを消してしまいたいのだ。
そう思えども――隠し通すには、迅は大切すぎた。
「……佑。気ぃにしゃはってることのうちで、言える欠片はあらはるか」
「……お前、エスパーか何かか」
「ちゃうて。何や、それ。佑のお顔はんがな、ジレンマに板挟みやーて言うてはるさかいな」
「ねーよ。顔喋ったらこえーだろ。どんなホラーだっつの」
顔を見合わせ、数秒の後、ともに軽く噴出した。
つい軽口で返してしまったが、迅はあれを本気で訊いていた。
なので佑もひとつ間を置き、真剣な面持ちで、
「あまり、ひとりで出歩くな」
とだけは伝えた。
迅は聡い。言わずとも、親衛隊がらみのことだとは悟るはずだ。
頷いた迅は、なにか悔やむように顔を歪ませた。
「無理強いした。堪忍な」
「無理強いなもんか。……心配してくれたんだろ。俺も、その……お前が心配だから、言える事言っただけだ」
忠告程度なら、あの鬼も見逃してくれるだろう。それさえ許さないなら、はじめから「嫌なら気をつけろ」などとは言ってこないはずなのだ。
――あと。と、沈んだ空気をそのままに続ける。これこそ、言わねばならない。
「俺は迅を、利用をしてしまう、から……。それは多分、迅がひどいめにあう形で、だから、……なんて言やいいのか、」
「罪悪感から逃れたい、か?」
「っ……」
「ええんやないの。俺は別に佑を嫌ったりせえへんし。利用しゃはる、言うんなら、しゃはったらええ。なんやったらな、協力するし」
「危ない目に遭うのにか」
「ん? んー。ほっとかれへんし。それに、初めて会うた時、事情も知らんと説教したことの詫びもあるしな」
「それは別に……迅にゃ、そうせずにはいられねえ事情があるのだし……気にしてない」
「ん、おおきに。ま……佑の本意が何であれ、前もってあないなこと言わはる、ええ子ぉやし、佑は。せやから、かまわへん。……そや、」
いい子などと言われて面映ゆがっていると、にこにこしていた迅は、閃きを得たようだ。
「利用してしまうと思うのが嫌なんやったら、共同戦線っちゅうんはどうやろ」
「共同戦線……?」
「俺が敵をおびき寄せてな、佑が一網打尽にするんよ。これやったら利用するもされるもあらへんやろ」
喩えだろうが、やはり親衛隊のことを言ったのだと気取ったらしい。
「いや、叩くのは俺じゃねえんだけど……」
「まあ細かいことは気にせんと。……あ、夕飯何にしよな」
話はここまでだ、とばかりに迅は話題を切り替える。
いまいち納得いかないものの、蒸し返すも何であるから、迅の問い掛けにシチューと答えた。
「よっしゃ。あ、こばやとめと村上たちも呼ぼかー」
「ん」
「こばやとめといえば、小早川は陸上部で早少女はバスケ部に入らはったそうやで。今度見に来ぃと」
「ふゥん。小早川も運動部なんだな……」
早少女は運動部が似合う雰囲気をしているから納得いったが、小早川は顔立ちだけならともかく、空気がそうではないから意外だった。図書室にいるほうが似合う雰囲気なのだ、彼は。
「さて、そうと決まれば、小早川らに連絡せんと。……佑、してくれはるか?」
「あ? ……、いや、メアド知らねえし」
「あ」
佑を彼らと親しくさせようと目論んだようだが、迅の策は早々に破綻と相成った。
照れたように苦笑する迅へ、佑はてのひらを突き出してぶっきらぼうに、
「携帯貸せよ。……電話するから」
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