振り返ると暗闇


 昼にも飲んだゼリー飲料を嚥下していると、食堂から帰ってきた迅に怒濤の勢いで叱られた。そしてから、無理矢理食卓につかされる。
 まったくもう、と言いながら、迅はキッチンへ入った。後頭部に目でもついているのか、部屋に戻ろうと動いた途端座っていろとまた怒られる。何となく逆らえずにいると、料理をしているような音が聞こえてきた。
 半刻ほどで、オムライスを手に迅が戻ってきた。

「食いよし。味は俺の弟妹が保証してくれはったさかい、安心しぃ。まったく、ちゃんと飯を食わんから、そないに細っこいんや!」

 だから怒られたのか、と納得する。

「……変な奴……」

 普通は避けるのではないか。意味もなく人を病院送りにしたような人間など。

「避けて欲しいんか?」

 逆に問われ、押黙る。きれいな形のオムライスを、スプーンで切り崩した。中身がケチャップで味をつけたライスだけなのは、冷蔵庫の中がほぼ空だったからだろう。口に運んで、咀嚼する。

「……美味い」
「せやろ? おかあちゃんがいなくなってから、初めて弟らに作ったんがオムライスやったんやー」
「いなく、なった?」
「ん? うん。俺と四番目までのおかあちゃんはな、男作って出ていかはった。五番目と六番目はおかあちゃんが違うにゃけど、六番目産んですぐに亡くなった。俺、弟らの母親代わりしててなぁ。そんなもんやから、お節介でなあ」

 だから昼間怒ったのか。迅があんまりにもあっさり言うものだから、返す言葉が見つからなくて、また一口咀嚼する。

「……俺を護っただけなんだ」
「ん?」
「殴ったの……」
「さよか。相手が殴ってきたんか?」
「違う、けど……言いたくない」

 眉を寄せて俯くと、ぽん、と頭にぬくもりが置かれた。――撫でられている。それを理解するまでに随分と時間が要った。
 振り払おうとも思ったが、出来なかった。どころか、離れていくのが惜しいとまで思った。
 己が、壊されていく。晟相手の、不快ではないが我慢ならぬものではなくて。
 壊される、というのがそもそも語弊があるのやもしれない。迅の場合は――そう、閉ざされてあった扉を開くような。

「文化祭って、外来ある?」

 急な話題転換についていけず、それでも反射的に肯定した。

「せやったら、それに佑のおかあちゃん招こ」
「は?」
「おかあちゃん大っ嫌いか?」

 迅の手前是とも言えず、首を振った。全体、そう嫌いでもないのだ。蓄積された意地と気恥ずかしさが邪魔をして、素直になれずにいるのだけれども。

「ちょっとずつでええんよ。な、佑」

 迅の笑貌とその言葉が、光明にも思えた。



 肌を撫で上げる気色の悪い感覚を思い出した。ねっとりと、いやらしく触れられることに吐き気がするほど嫌悪して。気付けば拳や夜着に、己の髪よりか濁った赤が付着していた。
 鏡に映った面を見る。――ひどい顔だ。ふた月ほど前も、このような表情だったのだろうか。この泣きそうな面を、晟に見せてしまったのか。こんな情けない顔を。
 濡れた髪から滴が肌を伝う。鮮血のような赤い髪。黄味をわずかにおびた鮮やかな朱。猩猩緋(しょうじょうひ)、という。神獣・猩猩の血で紅を染めたとされるから、そう言うらしい。この色に染めたおり、真朱のコンタクトも誂えた。
 髪を乾かしてからバスルームを出る。いつもなら適当に拭いただけで後から乾かすが、そうするとまた迅に叱られる気がした。
 水を飲もうとリビングの扉に手を掛けると、迅の声がした。電話をしているらしい。弾んだ声。内容から察するに、相手は家族か。彼の事情を鑑みれば、家族というのを大切にするのは当然なのだろう。
 ドアノブから、手を放す。父、と。その単語が聞こえたから。話しているのが父親だと知れて、入れなくなった。入りたくなくなった。
 静かに踵を返し、私室でベッドに沈んだ。
 迅の父親はどんな人物だろうか。楽しげであったから、悪い男ではないのだろう。
(――俺のとは大違いだ)
 自嘲めいた笑みを浮かべる。
 停学処分で済んだのは、父親が多額の寄付金を学校によこしたからだと聞いた。
 帰って来るなと、言われた気がした。見放されているのだと、今更に思った。忘れていたことを再認識させられた。
 わかっていた。父親に、望まれてなどいないことは。初等部から全寮制の銀蘭に入れられて、連休や長期の休みに帰省しても言葉一つかけてもらえず。夜遊びに興じ、売られた喧嘩を買っているうちに県南一帯を占めるチームのリーダーになっていても、それについての諌言もない。
 中二の夏あたりからは帰省しても実家に寄付くことをせず、悖戻の仲間の家を渡った。もしかしたら顔を見せろ、くらいは言ってくれるかもと期待していたが、するだけ無駄だった。そのうち帰省するのも面倒になって、帰省の理由である悖戻を解散させた。元々が夜遊びでつるんでいただけだったのだ。好きにやっていたころに戻るだけ。
 ――羨ましい、のだろうか。素直で、真直ぐで、父に案じてもらえる迅が。

「ばかみてえ……」

 ぞろりと這った手をまた思い出して、己を掻き抱いた。






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