***



懐かしい夢だった。

ぼくは、京の都、貴船神社に程近い霊山の山中にそびえる、大きな大きなご神木を守る蛇神の一族に生まれた。
千年樹とも呼ばれたご神木は、見鬼の才を持たないひとには見えない霊木。蛇一匹につき、一本の枝葉を与えられる。ぼくらは生まれると、そこに絡み付いてご神木から霊力を頂き、成長するんだ。
蛇神一匹一匹の霊力は然程強いものでもない。身体が大きくなればなるほど、みなぎるちからも強大になっていく。だから、ぼくらを治めていた蛇神の長さまはご神木の幹そのものに巻き付くくらい大きな身体をしていた。

白磁の鱗に、黄金色の眼。その刃に宿るは毒とも妙薬とも呼ばれ、その身を纏うだけで強者は更なる力を手に入れる、とさえ言われたぼくら蛇神の一族。闘いにおいての守り神であるぼくらは、遠い遠い戦乱の世、人々の願いによってご神木から生まれた神様の写し見だった。
けれど、どうしてだろう。しっかりとご神木さまの恩恵をその身に受けて、蛇神の血を引いて生まれたはずのぼくは、皆にはない二股の尾と赤毛を持っていた。


「貴様は穢れだ。長く人々の願いをその御身に宿してきた神木さまが溜め込んでいた、妄執による穢らわしき人間の慾のかたまりだ」


国を、家族を、恋人を、大切でかけがえのない何かを守るため、人々は我が身に力をとご神木に乞うてきた。
その中には、憎悪や嫉妬、邪悪な心持ちで、誰かを傷つけるために力を欲したひともいたはずだ。
ぼくは、そんなひとたちの真っ黒な願いで練り上げられた霊力を宿し生まれた、穢らわしき蛇。その証拠に、皆とは一風変わった姿だ。


「貴様がいては、神木さまの御身は再び穢れてしまうだろう。穢れは失せよ、さもなくばいま此処でその身を焼いてしまおう」


ぼくは、生まれたばかりの幼い身体をくねらせて、一生懸命にご神木から離れた。両尾での進みかたも覚束無いぼくに霊山を降りることは遥かに困難で、道中草葉の陰に身を潜めては休み、身を潜めては休みを繰り返した。
烏につつかれたりもした、休み休み辿り着いた山の麓で、人間に石を投げつけられたりもした。ぼくはひどく臆病になって、どこに留まることも出来ぬまま、暫く──人間にとっては数年という月日だ──いろんな場所を練り歩いては、野宿した。


ある日、僕はとあるお寺を訪れた。嵐のように雨風の強い日だった。
縁の下に踞って冷たくなっていたぼくを、お寺の娘さんが見付けてくれた。まだ年端もいかない幼い女の子だった。
ぼくは蛇だから、気温によって体温も上がったり下がったりする。ひどく冷えたその日、ぼくは冬眠するみたいにじっとしていたんだ。そうしたらそのこは、ぼくが死にかけてると勘違いして、可哀想だからと拾ってくれたんだ。


「だいじょうぶ?ごはんたべる?」


お寺の精進料理なんかより、境内の端々に覗く邪気を吸い込んだ方がぼくはお腹いっぱいになれたのだけど、あんまり女の子が心配してくるものだから、ちょっとずつ慣れない人間の固形の食事を口にした。
和尚さまはぼくの二股になった尾を見て最初こそ驚いていたけど、白磁の鱗を見て気付いたみたいに「ゆっくりしていってください」と微笑ってくれた。
ぼくはそれから、そのお寺で数年を過ごした。







女の子がすこし大きくなって、町娘くらいの背丈になると、お寺には異変が起こり始めた。


「祟りじゃ!祟りじゃ!!」


病が流行り始め、ぱたぱたと麓の村の人間たちが死んでいった。
和尚さまはそれこそお祓いのために方々へ足を伸ばして、お寺に帰らなくなっていった。そんななか、ぼくを拾ってくれた女の子もまた、病にかかってしまった。


「クゥちゃん、心配しないでね……、きっと、すぐに治るから」


病のもとである邪気を吸い込めば、早く好くなるだろう。そう思って、ぼくは床に伏す彼女のそばに寄り添い続けた。
クゥちゃん、とは、彼女がぼくにつけてくれたクチナシ≠ニいう名前に由来するあだ名だった。麓の人間みたいに気味悪がらないし、ぼくの両尾を見てもなおすごいねぇと笑ってくれる、優しい子だった。
ぼくも彼女がだいすきだった。優しくて、心が清らかで、彼女と一緒に林道を散歩するのが好きだった。穢れと言われたぼくも、彼女と一緒にいたら、きれいになれる気がしたんだ。


「おとうさま、遅いねぇ」


「クゥちゃん、お腹すかない?わたし、おなかすいたなぁ」


「暑いねぇ、クゥちゃんは冷たくてきもちいいや」


「くるしいのも、つらいのも、すぐよくなる……よくなるんだ……」


「死にたくない……死にたくないよう……」


女の子は日に日に弱っていった。呟く言葉も、どんどん弱気なものになっていった。毎食の精進料理で元々細かった体は、更に病的に痩せていった。
自力で起き上がることも出来なくなった彼女は、食事が出来なくなった。最後まで和尚さまはそばにいられなかった。


「きょうは……そらが、きれいだねぇ……」


最期の日、女の子はそう微笑った。
ぼくがはじめてこのお寺を訪れたときのような、大嵐の日だった。女の子は目と耳をやられていたから、今日の天気も空の色も、わかるはずがなかった。
ぼくも、なんとなくそろそろだなぁと感じ取っていて、けれど女の子に死んでほしくなくて。彼女の目が見えないのをいいことに、人妖の姿に戻って、いっしょうけんめい見よう見まねで女の子にご飯をつくってあげた。
米を煮ただけの、味気無い粥だったけど、まだ鼻はきいていた彼女は、とうとう泣き出して言った。


「あぁ、おとうさま、かえっていらしたのね。わたし、わたしはやまいにかかってしまいました。おとうさま、わたしはもうだめです。さきに、ほとけさまにおあいしてまいります」


和尚さまが帰ってきてくれた、と喜んで、それから自分がもう生きていられないことを改めて実感した女の子は、つとめて笑顔でいようとした。
家がお寺なんかじゃなきゃ、彼女はすなおに生にすがれただろう。仏教は死んだ魂を極楽浄土へ導くから、死ぬのは名誉なことなんだという教えだ。だから、彼女は生を選べなかった。


───……いや、これはただのぼくの言い訳だ。
彼女を死に至らしめた、バケモノの。


クゥちゃん、クゥちゃん、とぼくを呼ぶ虚ろな眼差しが胸に痛くて、痛くて。羽織っている法衣の袂で、そっと女の子の頭を撫でた。


瞬いて、雫を一筋、頬に描いて。

彼女は、息を引き取った。


生まれてはじめて、ぼくに優しくしてくれた子が死んだ。
ぼくは胸中に抱えきれない哀しみをもて余して、しばらくぼんやりと彼女の亡骸を見下ろしていた。


「消えろ、この疫病神!!バケモノ!!」


神の眷族であるぼくに塩を撒くなんて変なはなしだけど、ぼくはもう神でも蛇でもなかった。


「貴様の周囲に漂う瘴気が村を脅かし、民を死に陥れ、そして我が娘の命をも奪った!彼らには、娘にはまだ天命は訪れぬはずだったのに!無力な民から生気を吸い取り肥大化したか、この恩知らずが!わしがこの場で調伏してくれる!!」


女の子の亡骸の傍らで呆然としているぼくを見つけて、ついに正体を現したな、と塩を撒く和尚さま。
和尚さまの言葉を聞いてから、初めてよくよく辺りを見渡してみると、ぼくから放たれているという瘴気でそこらじゅうぐすぐすと黒く滲み燻っていた。


ぼくは目を大きく見開いて、自分の袂、そして二股に分かれた尾を見下ろした。


「ぼく……?ぼくが……」

「そうだ!お前のせいで……っお前のせいで!!」


優しかった和尚さまが、ぼくにむかってお経を唱え始めた。
少しずつ体が窮屈になってきて、息苦しくなって。お経の効く神さまなんて聞いたことないよ。じゃあ、いまのぼくは、何?


「あ゙あ゙ぁぁあ゙ああ゙あ───……」


バケモノ。バケモノなんだ。
神さまでも蛇でもない、ぼくは、バケモノ。


そう分かったら、急に哀しくなった。寂しくなった。
ぼくに優しくしてくれた子を、傷つけた。殺してしまった。優しかった和尚さまを、怨念のかたまりに変えてしまった。
人々のためにと生まれたはずの蛇神に生まれたのに。ぼくは、誰かの助けになれるどころか……傷付けて、壊してばかりだ。


あぎとを大きく開いて、ぼくは慟哭した。

和尚さまの怨みと自分への憎悪を吸い込んで、ぼくは更に力を強くした。
ふと咆哮すれば、辺りは燃え、山は火に呑まれた。ぼくはどんどんどんどん体を大きくして、かつての蛇神の長のような大蛇に姿を変えた。


気が付くと、ぼくはまたひとりぼっちになっていた。





 

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