「…………これは、」




それはそれは、見るに耐えぬ光景でございました。

死臭は、麓の火葬のものではなく、この霊山の内から臭ってきていたのです。
山を登り、道中に乾いた血の痕をいくつも見付けながら少し開けたところへ出て参りますと、そこには天狗族の屍が山となりて私たちの前に広がっていたのでございました。

死臭、というよりも、それは肉が腐敗するひどい悪臭で、崩れ果てた家や守りの壁、木屑に埋もれた骸は、半ば白骨化さえしておりました。
惨い戦の跡だとすぐに分かったのは、皆が鎧を身に纏い、武具を握りしめながら息絶えていたからにございます。中には、子を抱きしめた母親とおぼしき女天狗の背を子ごと刀が貫いていたり、集団で子供や老人が首を掻き切られているものがあったりと、凄まじい被害の痕が其処此処に目立つのでした。


「こりゃひどいね…いったい何年放りっぱなしにしてたんだい」

「死体の腐敗の進み具合から見るに…もう3年は悠に越えているだろう」

「緋色、これだよ…さっきからしてた、嫌な感じ…」

「えぇ…私にも分かります」


死臭だけでなく、漂う瘴気も随分とおどろおどろしいものに成り果てている。負の魂が立ち込め彷徨っているのが目に見えるようで、私はまず合掌をすると、袖口から数枚の札を取り出しました。



「先に、この方々を昇らせて差し上げましょう」



私の指先を離れていった札は、その地帯を囲むように広がっていき、空中でぴたりと動きを止める。
それに合わせて、手で印を結びながら、呪を唱えると、宿った霊力が札と札を蒼白の光で繋いでいき、そこには五芒星が描かれました。


「彼の者共の魂よ、我が光の螺旋のもとに天へ還りたまえ」


薄紫色の霧が立ち込めていた其処は、見る見るうちに白光に包まれていき、次の瞬間粒子となった魂たちは渦を描くようにして天へと昇っていきました。
その様はまるで、空へ向かって光の柱を伸ばすような、螺旋階段を滑るような動きでありました。


「緋色様、この者共の亡骸は如何いたしましょうか」

「被害が続くということは、必ず生きた天狗殿が何処かにいらっしゃるはずです。
お話をし申してから葬って差し上げた方がよろしいでしょう」

「御意」

「葬るにしたって、この量じゃ土葬は無茶じゃないかい?
火葬するにしたって、七華の鬼火じゃたちまち山火事になっちまうし…」

「ぼくがやるよ。ぼくなら、わざわざ埋めなくても、このひとたちを土に還してあげられる」

「そうかい?あんたってやつは本当に妖怪のはぐれもんだねぇ、いい意味でさ」

「こやつは本来妖怪などより神に近い者だからな」

「そんなことない。ぼくは…出来損ないだから」



寂しそうに頭を垂れた白蛇を指の腹で撫でてやりながら、私はすうと前を見据えました。
すると、ほんの僅かに妖気が高まり、ゆらりと目の前の空間が歪んだのでございます。

漆黒の羽根をいくつも舞わせながら降り立ったのは、翼と同じ色の髪に瞳を持った、独りの少年でございました。


「出来損ない。……僕と、同じ、か」


袴の裾をブーツの内に仕舞い込んだ、すっきりとした足元にまたひとつ、羽根が音もなく落ち、少年は顔を上げて真っ直ぐに私を見据えたのでございます。


「江戸の巫女とは、あなたのことで間違いないですね」

「相違ございません」

「僕は、この霊山の天狗族の生き残りです。名は…捨てました」

「では、あの文は…」

「はい。僕が、出しました」

「貴方は、人間の文字が書けるんですか?」

「此処にいては、命もそう長くは持ちません。食べ物を得るために、何度も仮の姿で人里へ降りる内に覚えました」


能面をつけたように表情の変わらないその天狗は、手にしていた面を顔につけると、踵を返しました。
面は鼻より上しかなく、その表情は悲しげに目尻を下げているのでした。


「着いてきてください、案内します」

「件の天狗殿と貴方は、別人と考えてよろしいということでございますか?」

「………僕の、兄です」


寂しそうな背中が、小さく呟いたのでございました。



***



「兄が、村を襲うようになったのは、少し前のことです」


歩きながら、訥々と語り始めた天狗の少年の声に耳を済ませますと、その声からあまりに感情が読み取れないことが、少年の心が死んでしまったことを窺わせるのでした。


「始めは、完全に向こうの勘違いだった。

村で、子供がいなくなるという騒動が起こったことは、文に書いた通りです。周囲の村々と関わりを経った閉鎖的な村では、視える者がいなくとも人外の存在の信仰が厚くなる。それが裏目に出たんです。
元々人里では伝説程度の存在で、直接の接触や関わりは無かった我が天狗一族は、村の子供を拐った犯人だと勘違いされてしまったのです。所謂神隠しだと、村人たちは怒鳴り上げました。

ですが、先程も見て頂いたように、この霊山は数年前の仲間内での戦によって殆ど一族は絶え果て滅ぶ寸前。生き残りは僕と、その兄だけです。
僕は勿論そんなことしていないし、兄は人間などに興味など示さない。拐う必要もなければ、責められる筋合いもない。

人間たちにとって、僕らのような視えなくて強大に思える人外の存在が、恐怖と疑念の対象になることも当然だったのかもしれません。ですが、僕が兄に命じられて村を観察するにあたり突き止めた真犯人は、一昔前の人拐いでした。
なんてことない、人間の仲間内での問題だったんです。だけど、義理堅い兄は、一度人間に…人間の子供に世話になったことがあるからと言って、売られる寸前の子供たちを救い出してやったのです。

ところが身の程知らずな村人たちは、天狗一族のせいだと言って、天狗にとって聖域であるこの霊山に踏み込んで来たのです。
今や多くの仲間が息絶え、永遠の眠りにつくこの地を、人間ごときの汚い足で汚された。兄は、子供を救った恩人だとも知らずに攻めこんできた人間を、一人残らず灰にしました。
次いで村に雷をいくつも落とし、火事を起こしました。納屋が燃えて作物を失った村人は次々と飢え死んでいきました。そして、人拐いに代わるようにして妖術で子供たちを山に引き込むようになったんです。

村の子供たちは、この先の御堂で保護しています。村の少ない食べ物を僕が運んできて、食わせてやっています。けれど、それももう限界です。兄がこのまま制裁を続ければ、村も子供たちも、……そして僕たちも、全部終わりです」


少年は話し終えると、小さく息をついてから、ついと指先である方向を示しました。


「兄は、そこを真っ直ぐ行ったところにある祠の上の木に、いつも居ます」


「下らない種族間の差異が生んだ問題だねぇ」

「緋色様、さっさと参って終いにしてしまいましょう」

「ぼく、子供たちの様子みにいくよ」

「皆は、天狗殿と共に御堂へ向かってくださいまし」

「!緋色様、何故、」

「不知火は、弱って病に侵されている子がいらっしゃったなら香で治療を。
七華、貴女は念のため子供たちの護衛を」

「わたしは緋色様の護衛を、」

「いいえ、なりません。私は、兄天狗殿と二人でお話しとうことがございます」

「ならば、せめて傍に控えるだけでも…」

「頼みましたよ、七華」

「…………御意」


不満げな七華に微笑みかけると、襟口からしゅるりと降りたクチナシが、地面を滑るようにして御堂へと向かっていきました。
それに不知火、七華と続いていき、最後に残った少年が私をそうっと見据えて口を開きます。


「止めて、くれますか。兄を」

「貴方は、何故兄者の元まで案内なさらなかったのですか?」

「僕は、兄に謁見することを禁じられています」

「ご兄弟ですのに?」

「兄弟だからです。
僕は、兄の日常を奪った。遠い昔に、兄の心を引き裂いた張本人なんです」

「……そうでしたか」

「でも、僕は、昔も今も変わらずに兄をお慕い申し上げている。だから、……兄を、止めたかった」

「………」

「僕には、出来ないから。
妖怪よろず屋の巫女殿に、お頼み申し上げます。兄を、どうか鬼から救ってください」


「承知いたしました。
この羽音緋色に、お任せ下さいませ」





 

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