俺には、年の離れた弟がいた。



我々天狗の一族は、ある大きな霊山を故郷とし、そこで細々と世代を重ねていた。
別に始祖の血を引く殿狗と呼ばれる天狗の中でも権力者な者の家系に産まれたわけでもない。普通の天狗。長い生を、殿狗一族様にお仕えするために使うただの近衛兵の一族に産まれた。

我々天狗族は、独特の霊力を武器とする者と強靭な身体を武器とする者に分かれていた。俺は、たまたま霊力者の中でも強者の母と、兵士として名を馳せた強者の父の間に生まれ、どちらの才も秘める身としてこの世に生を受けた。
両親がどちらも才能ある方だった故に、方々から期待の目を向けられ、己が才能を開花させる日をまだかまだかと急かされるような日々が続いた。

それだけだった。
俺の幼い頃の記憶は、あらゆる者共から寄せられる期待、その圧力に堪え忍びながら応えようと努力を重ねる。それしか、なかった。

愛情と呼ばれるものを、俺は嘗て向けられた覚えがなかった。

母も父も、実力主義者だった。
修行が及第点に達しなければ飯抜きなど日常茶飯事であったし、うまくいかないときは叱られるばかりだった。


俺は、普通でありたかった。


普通の一族に産まれ、普通に両親に愛され、普通に殿狗様方に御奉仕し、普通に生涯を終える。
当たり前のようで、一般的には面白味がないと呼ばれるような。そんな、普通>氛泄ス凡が、欲しかった。


年齢など関係なかった。
その年の頃にしては早すぎると言われた修行も、「我が子ならば出来得る」と両親は俺にやらせた。

剣の稽古も、手のひらが潰れた豆で血だらけになろうと続けた。
まだ羽根が小さく飛べなくとも、容赦なく断崖から突き落とされた。
火が吹ければ上出来と言われていた頃には、もう一人前に雷を落とせるようになっていた。

厳しい両親も、俺には興味なさげに接するも、他人との会話で俺の話題になれば鼻が高そうに誇らしげに語ってくれた。
誰のためと言われたら、両親のためだった。両親に憧れを抱いて始めるより先に、「親にふさわしい子になれ」と始めさせられていたから。

両親が俺を誇ってくれる。頑張ったら、いつか評価してくれる。

「よくやったな」と、抱き締めてくれる。


つらくて、痛い修行。
泣けば怒鳴られた。泣き言は弱者の証だ、慎み鍛練に励め。強者はお前のように涙など見せぬ。泣く暇があるなら剣を振れ、錫杖を振れ。両親の口癖だった。

俺は、我慢して剣を振った。錫杖を振った。おかげで一族に伝わる流派は全て身に付けた、雷も手足のように操れるようになった。
涙は、短い夜に流した。俺の弱音は、枕だけが知っていた。


俺は、人間で言う12の頃になった。


子供遊びは何一つ知らない。知識は、武力となるために必要なものだけ。ただ強いだけの、中身は空っぽの兵士だった。

それでも、俺は強くなり続けた。
まだ足りない、まだ足りない。もっと強くならねば。そうしたらきっと、母は、父は、俺を見てくれる。俺を誉めてくれる。


俺は、殿狗一族に御奉仕する身として、実家を離れることになった。
最年少での入隊。部隊の中でも、先陣を切るような強者が揃う隊に入れられた。
それはそれは両親も鼻が高かったことだろう。祝いの言葉に必ず添えられていたのは、「さすがあの方たちの息子。親の名に恥じぬ成長ぶりだ」と。

つまりは、俺の今までの努力は全て、両親の名のもとに当たり前のもの≠ニしてなかったことにされていたのだ。

何処へ行くにも、両親の名声がついて回った。いつも評価されるのは俺の実力ではない。両親の名ばかり。正直辟易していた。いつまでも両親ばかりを見るこの環境に。そして、なされるがままにするしかない、空っぽの自分に。

俺は、いつの間にか、両親と同じ…いや、それ以上の実力主義者になっていた。
敵に情けなど無用。冷酷無慈悲、切り捨てよと命じられれば人形を相手にするように殺した。小さな村をひとつ焼き消したこともある。
両親の名声≠ノ引きずられるようにして名をあげた俺は、ひとつの部隊を任されることになった。
部下にも容赦はしなかった。年にして子供だと俺を侮り命令を聞かぬ者は即切り捨てた。身の程を弁えろ、と何十、いや人間にして数えれば何百と離れた大人に言い返してやることも多かった。


漸く俺自身≠ニして馳せた名には、今までの努力などではなく、鬼子≠ニいう血濡れた評価が付けられた。


ある日、任務帰りに街を通ると、道端で蹴鞠を楽しむ子供をぼんやりと眺め、羨んだ。


(どうやって、遊ぶのだろう。女子も混ざって、とても楽しそう──)


ある日、護衛についた殿狗一族のご子息には、綾取りの相手をしろと言われて、出来ないと答えたら「お前はつまらぬ」と言われた。


(やり方が、分かりません。楽しいのですか。俺には、分かりません──)


子供扱いされ、遊び相手に呼ばれても、らしいことは何一つ出来なかった。
実力を認められ、大人の真ん中に立たされても、周囲には蔑みの棘しかなかった。


なんだ。俺には、何もないじゃないか───



そんな、ある日のことだった。


「たまには、帰って顔を見せろ」

もう何年も顔を合わせていない両親から一報が入った。
組織の長は、普段の働きぶりを評価すると見せかけ半ば厄介払いのように俺に帰郷を許した。

今更会って、何を話す?


他人との距離が、遠かった。
家族ですら、見えるか見えないかの距離をとっていて、組織の者共と親密になれるはずもなかった。

忘れかけていた頃、両親に呼び寄せられた。
昔は出来なかった話をするのだろうか。今度こそ、普通の家族として、時を過ごせるだろうか。

不器用でもいいんだ、今までの俺を評価してほしい。頑張ったなと誉めてほしいんだ。





「母上、父上。只今帰りました」

「良く帰りましたね。疲れたでしょう、今日はゆっくり休みなさい」


母は、見たことのない柔らかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。
少し、痩せただろうか。顔色も良くない。何か、患っているのだろうか。そんなこと、何も聞いていない。


「嗚呼、よく帰ったな、我が倅(せがれ)よ」

「父上。久しゅうございます。お目見えするのは何年ぶりでしょうか」

「ああ、そう固く話すな。これでも親子であろう。そのような他人行儀な言葉遣いはやめろ」


父は、昔に比べくだけた話し方をするようになっていた。口を大きく開けて笑う。そんな父は見たことがなかった。


両親は、変わっていた。
俺の知らない両親が、そこにいた。


「お前も、もう酒を飲める年だろう。どうだ、父と盃を交わしてみんか」

「いえ、父上。俺は隊士の手本と成るべき存在。いくら我が家と言えども、気の緩むようなことは出来ません」

「なんだ。固いことを言うな。この父の些細な願いも叶えてはくれぬのか」

「普段の姿勢が表だって目立つ。何時も気を緩めることなかれ=c父上の受け売りです」

「ああ、そんなこと、言ったかもしれんなぁ」

「父上ー」


その時だった。俺の知らぬ声が、父を呼んだ。


「おぉ、起きたか。具合はどうだ?」

「大丈夫。最近は身体の調子もいいんだ…父上、剣のお稽古つけて」

「後でな」

「………父上。この子供は…」

「お前には言っていなかったな。こいつは、お前の弟だよ」



弟。
なんだそれは。



幼くて、髪は綺麗に整えられていて、小さな手であどけなく欠伸をする口元を抑える。
父の胡座の上にぽすりと座る、当たり前のように。俺でさえ、させてもらったことなどないのに。


「お前が家を出て少しした頃に、産まれたんだ」


なんだそれは。なんなんだ。


「才あって丈夫に育ったお前とは正反対でな、少し病弱なんだ。お前とは違ってやや生易しい育て方をしたからか、甘えん坊でな。すぐ、この通りだ」


才あって、丈夫?

違う。あんたたちが、やれって言うから。…違う、そうしなきゃ、振り向いてもくれなかったから。俺は、頑張ったんだ。


「あいつは、こいつを産んだら身体が弱くなった。馬鹿みたいに臥せってばかりさ。だけど、お前が帰ってくるって聞いたらわりかし元気になったようだよ。…ああ、台所になど立つな、また倒れるぞ。俺がやるからお前は座ってろ」


あの母が、病床に臥せる?

なんだよ、それ。俺は、何も知らないぞ。
聞いていたら、殿狗などよりも先に、母を守りに飛んで帰ってきたというのに。


「ほら。お前の兄様だ、きちんと挨拶をしろ」

「…はじめまして、あにさま。僕は、あなたの弟にあたります。
近衛一団の部隊長をなされてると、父上に聞きました…お強いんですね。僕も早く、あにさまのようになりたい」


…何を、言っているんだお前は。

お前などが、俺を語るな。
早く、俺のようになりたい?わかった風な口を利くな。

俺が今までどうしてきたと思う。お前のように、愛され守られ育てられたようなやつに、俺の何がわかる。


俺の居場所を、返せよ。

俺の両親を返せよ。


なんで、今更産まれてきたお前なんかが、両親に無償の愛を注がれているんだ。
病弱だから?弟だから?なんで、なんでだよ。


俺は、こんなにも頑張ったのに。

どうして、どうして。


認められるどころか、あらゆる者共に遠ざけられて。
帰れば、実力主義者だった両親だけは、認めてくれると。

そう、信じていたのに。



まるでこれじゃ、他人みたいだ。



「…っああああああああ!!!!!!」

「おい待て!何処へ…」



何処へ?

何処へいけばいいんだろう。


俺の居場所は、もうどこにもない。






 

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