「………はぁー……、」


誰に知られるともなく、僕は深く長いため息をついた。
カリカリ、羽ペンがパルプ紙を滑る音だけが部屋に小さく響いていたが、それすらも止み、しんと静かになる。

最近は本当に書類雑務ばかりで嫌になる。
任務が来ても僕は書類に追われて向かえないし。代わりに部下があちらこちらへ飛び忙しない。
幾らなんでも実務もこなさずに強いままでいるのは無理がある。身体が鈍ってしょうがない。


僕は羽ペンをインク瓶に差すと、休憩に茶でも飲もうかと給湯室に向かった。
棚から上質な茶葉の入った缶を取り出し、湯を沸かす。
沸騰した湯を、愛用しているリチャード・ジノリのティーポットに注ぎ陶器自体をちょうどいい温度に温める。
茶葉を入れて蒸している間に同ブランドのティーカップとソーサーを食器棚から取り出した。今日はオリエンタルエクスプレスがいいかな。


香り高いセイロンティーをカップに注ぐと、ローテーブルに運びソーサーの上に乗せる。
本棚から洋書を取り出し、ソファーに深く腰掛けるとそれを開いて読みながら淹れ立ての紅茶を啜った。


「………ふぅ」


感嘆の息を洩らす。
こんなにも優雅な休息を取ったのはいつぶりだろうか。
それもそのはず、いつも纏わり付いてくる亡霊が誰一人として居ないからだ。
一昨日まであんなにしつこく付いて回っていた奴らが姿を見せなくなって、清々とした。もうこのまま現れないでくれるとこの上なく助かるのだけど。


「…………」


山籠りのナデシコのことですか!?


そういえば、ジョットの言ってたジャッポネーゼの女のところに行ったんだっけ。
可哀想に、あんな奴等にたかられたって疲労しか残らない。
というか、まだ彼女達は船の上のはず。亡霊って海渡れるのかな。



「(いつ頃、こっちに着くんだろ)」


僕は、なんとなくだが心の何処かでその女の来国を期待していた。

彼女はきっと、見える$l間だから。
亡霊たちがこぞって彼女のもとへ集まるということは、僕よりも望みを叶えてもらえる見込みがあるからということ。
それはつまり、彼女もそれらを感知できる才を持っている証拠であって。

僕の代わり≠ェ出来たと喜ぶ反面、来て早々亡霊に囲まれた落ち着かない毎日を送る羽目になるだろう彼女の運命に同情する。
念の塊である奴等は、望みを叶えることでしか成仏出来ないから。だから、自分を見る≠アとのできる生者に言い寄る。

ああいうみっともない成れの果てにだけはなりたくないものだ。僕は後悔無く死にたい。


…話がズレた。


2、3日後に到着予定と言っていたからまだ船の上だろう。ここから彼の国までは距離的に船で1日くらいかかるだろうから。

───……見える$l間。


「(女か…)」

ひけらかすタイプの人間じゃないといいな。
男女問わず、他者と違う才能(と呼べるほど便利で誇れるものとは思わないけど)を有する人間は、少なからず他人にそれをひけらかしたがる。
自分は特別なんだと勘違いしてるやつらばかりで嫌悪感しか抱けないね。
(ナックルは教会勤めだけど、見えない≠オそういう性分の人間でもないからまだ付き合いやすい方だ。話もまあまあ通じるし、ね)


女なんて特にそうだ。見える≠アとを理由に詐欺・悪徳商売なんて十八番。これまで諜報してきた中にもそういう欲まみれの霊媒師は数多く見てきたと同時に捕獲してきた。

ジョットが仲間にするくらいだから悪いやつではないだろうけど…あいつも騙されやすいからね。
(彼のその性格を超直感が補っていると言っても過言ではない)




コンコン、


木製の厚い扉をノックする乾いた音が鳴り響く。

茶を音もなく啜りながら視線を本に向け、実際脳内では全く別のことを考えていて進まなかった手で本を閉じ、ローテーブルにティーカップと共に置く。
ソファーに座り直してから、扉に向かって「入れば」と素っ気なく声をかける。

「失礼します」

と、静かに扉を押し開いて諜報部員の一人が入ってきた。

その手には報告書とおぼしき書類の束と、…封筒?、その蝋印は…


「先日のフランスでの諜報内容の報告書類と、…陛下から、アラウディ様に勅命での任務です」

「!…わかった。全部こっちに頂戴」

「はッ」


足音を立てずに歩くのは職業柄癖になる。部下は木製の床にも関わらず靴を滑らせる音さえも立てないでこちらに歩み寄ると、跪いて書類と封筒を重ね手渡す。
陛下から勅命だなんて。内容が気になるところだけれど、報告書のチェックが先だ。

男の割には綺麗なその字を目で追っていく。…諜報命令の内容と相違点は無い。これだけ調べればかなりの収穫になるだろう。
(まぁ、この程度出来て当たり前なんだけどさ)


「ん。いいんじゃない。」

「は。有難う御座います」


「では、自分はこれで」そう言うと部下は下がる。
特に引き留める用もないし、空いた左手をひらひらさせると「失礼しました」と重たい音を立てて扉を開閉しそいつは出ていった。

僕は執務机まで移動すると、引き出しからペーパーナイフを取り出して丁寧に封を開けた。
中から薄い1枚の便箋を取り出す。


【親愛なる私の可愛い番犬さん、最近はお仕事を頼みすぎていたから忙しかったでしょう。華奢な貴方が身体を壊していないことを祈ります。…それとも、実戦≠ェなくて退屈していたかしら?】


陛下の緩い流れるような英字。相変わらずだがその達筆さに目眩がしそうだ。
それから…可愛い番犬、この呼び方はやめてほしいと何度も言った筈なんだけど。
(僕ら秘密諜報部は、情報収集と共に罪人の捕縛・連行、あわよくば制裁に至るまでこなす故に陛下からは番犬≠ニ呼ばれている。警察よりも信用されているのが強みだ)
悪戯好きで面白いあの人のことだから業とだろう。
(彼女だったからこそ僕は仕えても構わないと思った)


さて、冗談混じりの挨拶の下の任務内容は如何程か。
そのまま視線を下に寄越す。


【数日前から港町で薬売人が横行していると耳にしました。先日の新聞によれば人拐いも近辺で発生しているようです。警察でも取り逃がす、土地勘のある罪人の可能性があります。
久々の運動には軽すぎるかしら。これからの季節は忙しくなるでしょうから、リハビリに最適ね。】


……今回は2つ同時か。
もしくは同一人物による犯行の可能性。

手応えのある奴らだといいけど…って。只でさえ忙しいのにまだ増えると?
冗談か本気か。それとも僕に全部任務を回してからかうつもりなのか。
勅命とあらば僕も無視するわけにいかない。全く、変なところでその賢さを使うんだからたまったもんじゃない。
今回の任務はどうやら直ぐに捕縛に向かえるほど容易なものでもないらしい。
一応警察に顔を出すか…めんどくさい。
いっそ自分で一から収集した方が早いか。今晩にでも現場に赴くとしよう。


その前に、手渡された書類に細かく目を通してサインをし陛下に届けなければ。
また机にかじりつくようにして書類整理に励むのかと思ったら、つい深いため息を吐いてしまった。





 

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