小遣いを貰い、コウに別れを告げて街中を歩くこと数分。
俺の頭の中は、先程の水面(みなも)占いで映し出された、あの光景で埋め尽くされていた。
もやもやする、というより…落ち着かない、そんな感じ。何故こんなにも…俺は焦っているんだろう。胸騒ぎというやつか。
生まれついて持っている超直感が、何かを告げようとしている。けれど、所詮直感。何をどうするべきなのか、明確には分からなかった。
「あ!ありました!この和服屋でございますっ」
そんな少しはしゃいだ緋色の声で現実に引き戻された。
緋色はといえば、「街がすっかり変わってしまっているのでなくなってしまったかと思いました…」と安堵の笑み。
暖簾を潜って中に入れば、色彩鮮やかな反物が多く並べられた内装に息を飲む。
柄も色もとても豊富で、感嘆の声を洩らしてしまいそうだ。
「いらっしゃい。…あぁ、懐かしいお客だねぇ。2年ぶりだったかい?巫女さんや」
「っ!?…知っているのか?」
「えぇ。何せご主人は…」
笠を取り、炎の瞳をすっと細めるようにして微笑うと、奥の部屋から出てきた初老の男性に視点を合わせたままそっと呟いた。
「私の親代わりをしてくださった妖怪でございますから。お久しぶりにございます、おじじさま」
「いやぁ、また綺麗になったかい?そうでもないかい?妖怪と人間じゃ寿命も大きな差があるからねぇ、いまいち時間の間隔が掴めんよ。今日も着物の新調かい?緋色ちゃん」
「えぇ。それと、巫女服も新しいものを」
「そっちの殿方はどうしたんだい?緋色ちゃんの恋人か?」
「!…違いますわ、おじじさま。私が男性を連れる度にそう間違えるのはお止めくださいまし。以前はコウや闇に、クチナシまでそう仰ったのをお忘れで?」
「年でボケがきとるんだよ」
からからと笑うと、気に入った反物が決まったら呼んでくれとまた奥の部屋へ戻っていった。
「失礼をお許しください…おじじさまはいつもあの調子なのでございます。もう、懲りないんですから」
「ははっ、構わん。悪い気はしないしな」
「えっ?」
「ジョット、」
「ん?」
「緋色が壊れたぞ」
何かおかしなことを言っただろうか。緋色がまるで錆び付いたロボットのようなぎこちない動きでよたよたと反物の並ぶ棚へ歩いていく。その姿にいつもの美しさはなく、普通に照れている少女のように思えた。
(今思えば、緋色の年齢ってどのくらいだろうか。まだ聞いてないな、そういえば)
「お、おじじさま!!この、このっ夕日色のものが良いです!!」
「1着でいいのかい?」
「え、えーと…もう少し見てみますっ、はい!!」
しかしなかなかに狼狽える様を隠そうとして全く隠せていない彼女を見ているのは楽しかった。
ふと目についた茜色の反物。紅に近いそれを見て、思い出すはやはり、先程の水面に映る光景で。
俺は何をするべきだろう。
どうしたら、あれを回避できる?
緋色を、守れる?
守るには、近くにいなければならない。
俺はイタリアに帰らなければならない。
ならやはり、緋色をボンゴレに。
そう考えたところで、はっとした。
俺とGにはある程度慣れてはくれているが、他の幹部に慣れないかもしれない。彼女の人間に対するトラウマを引きずり出してしまうかもしれない。そもそも、彼女は共に来ることを拒絶するかもしれない。
どうすれば、どうすれば。
「…ジョット?」
「っ!!……あ、あぁ…Gか」
「顔色が良くないぜ。どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだ、心配をかけたな」
「そうか、何処か悪いとかあったらちゃんと言えよ」
「あぁ」
肩に手を置かれ、名を呼ばれたことで再び意識が現実に引き戻された。
気付けば緋色は既に反物を選び終え店主である妖怪と話に花を咲かせていた。
話し終えたのかぱたぱたと緋色が戻ってくる。
「仕上がりは夕刻時ですから、それまでまた店を回りましょう。お付き合い有り難うございました」
「あぁ。気に入ったのはあったのか?」
「はい。特に桜吹雪の柄の淡い桃色が綺麗なものがありまして」
「あぁあれな」
「私、花が好きなのでございます。言葉抜きに何やら思いが伝わってくると言いますか…」
「花言葉のことか?」
「それもありますが、花自身が私に語りかけてくるような…色みや花弁の柔らかさから、何か伝わってくるのでございます。…あはは、おそらく妖怪などといった不可思議な存在が日常に必要不可欠になったからでしょうけれど」
「それでも良いと思うぞ、俺は。花から思いを汲み取るなんて綺麗で良いじゃないか」
珍しく口を開けて狂言でも言ったかのようにからりと笑う緋色。確かにさっきの店主に笑いかたが似ていた。流石親代わり。
「なぁ、緋色」
「はい」
「お前、イタリアに興味とか、ないか?」
それとなく聞いたGの言葉。
緋色は被り直した笠の縁を指先で撫でると、にっこりと笑って小さく言った。
「雨月殿からの文では、素敵で面白い場所だと伺いました」
「じゃあ、」「緋色。あそこ、いつもの茶屋だろ?」
「まぁ、こんなところに?街並みが変わっていて気づきませんでした。ここのみたらし団子、とっても美味なのでございますよ」
Gの声を遮るように言った虚空。話し掛けているのは緋色なのに、睨む視線は俺たちに向いている。
笠の下から覗く緋色の唇は、ただ微笑っていた。
唇だけは、微笑っていた。
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