かたん、襖の開く音がして目を覚ます。
ぼんやり映る視界には、白泥固めの天井に吊られた照明。一瞬ここは何処だったか、と思考を巡らせて、囁くようなその声音に、嗚呼ここは、と昨日の記憶を呼び起こした。
「お早うございます、お二方。昨夜は眠れたでしょうか?」
「ん…あぁ…、布団で眠ったのは初めてだったが…なかなか寝心地の良いものだな」
「ふふ、それは何よりで」
体を起こすと、すぅすぅと寒さを感じる感覚。昨日の山登りで泥はねした衣服のままでは眠れないからと、緋色が貸してくれた男物の着流し。隣でがしがし頭を掻きながら欠伸をしているGも、似たような柄のそれに身を包んでいる。
(女の一人暮らしに何故男物の衣服があるのか聞けば、人間に化けて町へ出る際に虚空が着るのだそうだ)
(そういえば、昨日屋敷に帰ってきてから不知火が変化を解くと、両こめかみの辺りから白い骨のような角があった。彼女は鬼の妖怪らしい)
緋色は摺り足で庭側の障子へ寄ると、すぅとそれを開く。
山々の隙間から覗き見るように差す朝日が起きたての目に眩しかった。
「朝餉の支度が出来ました。お顔を洗いましたらば居間までお越しくださいませ」
「あぁ。ありがとう」
「そういえば、昨夜はあの不知火って鬼女はどうしたんだ?」
「あ…、彼女は…、お恥ずかしながら夜這いしに行きかねませんでしたので、彼女の寝室に魂縛の術で出られないようにしておいたのでございます…、ご迷惑をお掛けして誠申し訳のうございました…」
「はは…」
眉を下げて頬を淡く朱に染めて、ため息をつくように小さく言う彼女に、苦笑いと渇いた声が出た。
…あんなに女相手に身の危険を感じたのは昨夜が初めてである。
「あ、それから…衣服はこれから洗いますので、替えのお召し物がまだありませぬ。どうか、慣れぬとは思いますがその着流しで暫しご辛抱を」
「いや、要らぬことで手間をかけさせているのはこっちだ、気にしないでくれ」
「それに着流しもなかなか動きやすくて気に入ってるしな」
「まぁ、それは良うございました!えぇと…着流しの替えはまだあったでしょうか…虚空に聞いて参ります」
「あぁ、すまない。ありがとう」
「いいえ、お役に立てれば幸いでございます故」
にこり。相変わらず綺麗な微笑い方をする。
今日はすみれ色の着物にあさぎ色の帯。髪飾りの花も紫色のそれに変わっていた。
落ち着いた色調のそれらが、今日の緋色を一層美しく大人っぽく見せている。…綺麗だ。
再び摺り足で静静と部屋を出ていく彼女の後ろ姿を見送ると、Gと二人縁側に出て伸びをする。
「山の上だと朝焼けの景色も格別だな」
「あぁ、確かに。…にしても、街が遠いな」
「俺たち…昨日あそこから一日かけてここに来たんだな…」
木々の向こう側に見える街の景色はとても小さくて。
緋色は、毎朝起きて、障子を開ける度にこの景色を見るんだろう。
遠くの遠くに映る街を見て、彼女はいつも何を思うのだろう。
「おい」
「ん?」
「なんだ?…あぁ、お前か、虚空」
「気安く名を呼ぶな。その名は名付けた我が主緋色に呼ばれる為だけに存在する」
「あーわかったわかった。で?」
「緋色が此れをと。ありがたく思えよ、貸してやる」
「あぁ。助かるよ」
「さっさと着替えて居間へ来い。せっかくの緋色の朝餉が冷めるだろう」
「うん、わかった。わざわざすまなかったな」
ふいと聞いていたのかいないのか分からないが虚空は部屋を出ていってしまった。
今日の彼は単姿ではなく、黒の袴に濃紺の薄手の胴着だった。
緋色の一言で嫌々俺たちに服を貸して更に呼びにも来るとは。余程彼にとって彼女は大きい存在らしい。
…いや、彼ら≠ヘ緋色の式妖怪であるから、主に忠誠を誓うのは当たり前か?だが昨日の不知火の様子からだと…うん、良くわからない。
「惚れてんだろうな」
「うん?」
「あいつ。俺たち男が緋色に近寄るとあからさまに威嚇してんだろ?きっと緋色が俺たちを気にかけんのが気に食わねーんだろうよ」
成る程。
俺とGは顔を見合わせて、ほんの少し笑うと、彼が嫌々ながらも持って来てくれた着流しを見て、早く着替えて朝餉に向かおうかとどちらからともなく言った。
***
(………ん?結び目はどうやるんだったか?)
(あー待て待て待て、まず合わせ目逆だろ。それじゃ死装束だ)
(……あぁ、うっかりしていた。こうか?…で、結び目…)
(…ジョット。薄々勘づいてはいたが、お前案外要領悪いだろ)
(なんだ、今更気付いたのか)
(………)
(貴様らいい加減早く…、まだ着替えてんのか)
(ちょうど良かった、虚空結び方教えてくれないか?)
(気安く名を呼ぶな。あと馴れ馴れしくするな)
(ジョット…もういいから貸せ…俺がやるから…)
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