案内人の闇と、西洋服に興味があるという不知火、緋色の衣装を見立てると譲らない虚空が、女郎蜘蛛の仕立て屋へ付き添うことになった。
赤が好きらしいその妖怪は、大勢いる兄弟にイタリアじゅうの赤い屋根に自分の店へ向かう矢印を書き込ませたという。虚空に抱えられて飛び上がった異国の空からは、確かにちらほらと妖怪文字と矢印の描かれた赤い屋根が見付かる。


「何々……朱知ノ仕立屋伊太利亜参号店入口ハ此方=c…しゅちさん、と仰るんですね」

「本店は英吉利に構えてるらしいよ。貴族階級のある国のが華やかな洋裁に出会えるとかで。あとは仏蘭西とかいろいろ」

「随分手広くやってんだねぇ。そんなに店舗数があるんじゃあ、そのお弟子には直接会えなさそうだ」

「どうだったかな。女郎蜘蛛の巣は広いからね」


鬼火を纏わせた輿に乗って、煙管を吸いながら悠々とイタリアの町並みを眺める不知火の呟きに、闇がぽそりと返した。
暫くすると、矢印ではなく蜘蛛の巣の絵が描かれた屋根が見えてきた。人の目につかぬよう、建物の密集する裏通りに着地し、式達は人間に見られてもよい姿に変化してから徒歩で向かう。

和装の彼らはどうしても目立つため、表通りでなく貧困層の多い裏通りを歩くときは、特に道行く人々がちらちらと彼らを見やる。緋色のお付きで式の彼らも度々町に繰り出すが、この視線には未だに慣れない。


「ここだね。裏口の扉に妖術がかけられてる」


寂れた花屋の裏手に来ると、闇がそう言った。積み上げられた煉瓦の壁に、白い字で取手弍回扉参回≠ニ書いてある。ドアノブを2回空回しして、ノックを3回、それから裏戸を開いた。覗いた中に見えるのは、煉瓦造りではなく漆喰固めの乳白色の壁。


「御免下さい。こちらに朱知さんはいらっしゃいますか」


緋色が声を上げると、見本品の西洋ドレスが並ぶがらんと人気のない部屋の奥から、「おや。おやおやおや」と若い女の声がする。
真っ赤なドレスに身を包み、裾から覗くブーティのヒールをかつかつと響かせながら、赤い紅をさしたくちびるをにっこり弧に描いた女性がやって来た。彼女を彩る赤、赤、赤。目に痛いほどのそれに注し色となるのは、艶やかな彼女の黒い髪くらいのものだ。


「久しく日本語を聞いたと思えば、随分懐かしい顔だねェ。鴉の坊やじゃないか。よく来たね」

「うん。お変わりないようで」

「……ふむ、話には聞いていたが。あんたが坊やの主人の緋色嬢だね?」

「お初にお目にかかります。おじじ様のお弟子さまであるあなた様が、こちらにいらっしゃるとお聞きしまして」

「あぁそうさ。あのじじい、いよいよくたばったかい?」

「お元気ですよ、今も江戸で呉服屋を営んでおられます」


舌打ちをして羽織っていたブランケットを剥ぐ朱知。華奢な背中からもう一対の腕が覗く。
彼女が日本を離れる際、彼女の師匠と和装洋装においての確執が生まれたらしいと闇から聞いていた緋色は、あまりに失礼なその態度も師弟間ならば納得ものだと、くすりと肩を揺らす。

現在緋色達がイタリアの屋敷に部屋を借りて住んでいること、急遽出席の決まったパーティーに着ていくドレスの仕立てを頼みたい旨を話すと、朱知は目を丸くして驚いた。


「山の麓にすら降りてこなかった巫女さんが、よく国境越えてまで人里で暮らす気になったね」

「色々諸事情ございまして。素敵なご縁に恵まれたが故です」

「ふぅん……まぁいいけどサ。
うちは洋装ドレスしか仕立てないからね。それと、妖怪の仕立て屋っつってもやっぱり忙しい時期なんだ。昔のよしみで請け負ってやってもいいけど、それ相応の報酬は頂くよ」

「具体的には?」


背中の腕が、脱いだブランケットを手近なテーブルに置く。かかつかつ、かかつかつ。響く足音は4つだ。裾から覗くブーティの他に、タイル張りの床を引っ掻く爪の音がする。
近付いた手のひらが、冷たく緋色の頬に触れた。指先が彼女の輪郭を緩くなぞる。


「あんた、イイ赤≠持ってるじゃないか。コレひとつで、200歳は若返りそうだ」

「貴様!」


虚空が、今にも主の瞳を抉りそうな爪先に怒号する。
しかし次の瞬間、蜘蛛女はひっと喉をひきつらせ、手を離し後退る。

肌が粟立つような畏怖の念。本能が逆らってはならないと悟る。相手はその気になれば簡単に首をもぎ取れるような手弱女なのに、朱知は背に冷や汗すらかいているようだった。

ぞっとするほどの霊気。幾多もの妖を従え、そしてそれを守ってきた実力。彼女の後方に居て紅眼を直視していないにも関わらず、式の彼らもまたぞくりと背筋を駆ける畏れに、つかの間息を止める。


「……こんなご馳走を前にとんだ腑抜けばかりかと思ったが、そういうことかい」

「ふふ。この国の通貨でお気に召さぬなら、……そうですねぇ、鬼女の香はいかがでしょう。ご自分で嗅がれるもよし、お洋服に添えて売るもよし」

「……いいだろう。ありったけの甘ったるい香りをおくれ、道行く男が皆振り向くようなやつをね」


にっこり目を細めて微笑んだ緋色が、背の高い鬼女に目配せをする。不知火は袂にしまっていた煙管を取り出しくちびるにつけて、ふうと深く息を吸い込んだ。

ふかりと舞う濃ゆい桃色の煙が、女郎蜘蛛の用意した小瓶に吸い込まれていく。


「そら、採寸をやっちまうから、お嬢さんはこっちだよ」

「はい」

「野郎は立ち入り厳禁!退屈なら床のタイルの数でも数えてな」


カーテンルームの内側に招かれた緋色の帯を容赦なくほどいていく朱知。肌襦袢までかと思いきや、最後の一枚となるそれすら剥かれてしまい、緋色は先程までの堂々とした姿とはうらはらに、気恥ずかしげに肩をすくませる。


「……」

「……ドレスは体型にぴったりしたシルエットじゃないと様にならないんだよ」

「…………承知しております」

「さっきのアレがいまコレじゃあねぇ。取って食う気にもならないけど、あんた、気を付けなよほんと」

「?……はい」

「(野郎にとったら格好の獲物だって話なんだけど生娘にゃ分からないかね)」


手際よく四手で緋色の採寸を進めていく朱知。測りは彼女お手製の蜘蛛糸で出来た巻き尺だ。
ある程度の丈を測り終えると、彼女はするりと指先を緋色の素肌に滑らせる。慣れない感覚に体を強張らせていると、朱知はからかうようにくつくつと喉の奥を震わせて笑った。


「私は目が悪くてね、直に触ってお客の体の形を覚えるんだ。くすぐったいだろうけど、力を抜いておくれ」

「だから、先程の巻き尺にも目盛りがなかったんですね」

「そうさ。巻き上げた感触や、測る際に開いた腕の距離で分かるからね」


もう服を着ていいと言われ、緋色が着付け直していると、朱知が突然慌ただしく動き始めた。
採寸記録を書き込んだ紙を畳んで胸元に隠し入れる。黒電話の受話部分に何本も糸が張られたようなものに指を添え、もう片方の右手で手近な手帳を開くなり妖怪文字を走り書きし始めた。静かに振動を感じ取っていた手のひらが、琴を弾くように糸を爪で弾き応答する。


「朱知さん?」

「……やんなるね。また1件畳まなきゃだよ」

「畳む?お店を?」

「そうさ。この頃ドンパチが多くてね、扉が通じなくなっちまった店がいくつもあんのさ」

「それは女郎蜘蛛の通信機だな。糸は何処に繋がっている」

「企業秘密だよ。そら、用が済んだならとっとと帰んな」


しっしと手を払う朱知。たっぷりと桃煙が収められた小瓶の栓を確認して、手の中で転がしながら不敵に微笑んだ。


「ジャッポーネの職人嘗めんじゃないよ、安心しな。ちゃんとナターレまでには仕上げてやるから。25日の夕方にまたおいで、着替えも手伝ってやるよ」

「お手数おかけします」

「なに、手数は人間の倍あるんだ、任しときな」


イタリアに続く扉で店を出ていった一行を見送り、またぱたぱたと忙しなく手を動かす人蜘蛛の女店主は、ドレスの裾を捲りあげてドロワーズのポケットに先程メモした手帳をしまいこんだ。
ブランケットを纏い外出しようと扉に手をかけたその時、戸を叩く者があった。緋色たちがノックしたのとはまた違うリズムが響く。


「……おや。今日は珍しいお客が多いねェ」


朱知はうっそりと妖艶な笑みを浮かべて、一対の腕をブランケットの内に隠した。

一人の男が入ってくる。


「いらっしゃい。お兄さんは何をお探しで?」

「………」

「ナターレに贈り物?いいね、寡黙な男からもらうプレゼントほど嬉しいもんはないだろうよ。うちは仕立て屋だから、光り物は置いてないけどね」

「………」


男は、朱知の言葉を無視するように店内をゆっくり見回して、それから彼女を見据えて口を開いた。


「この扉は、複数の箇所に繋がってるね。表のマークを、国内だけでもいくつか見たことがある」

「!……おやおや、あんたもバケモノ慣れしてるクチかい」

「大抵の不思議には驚かないタチでね。探していた情報屋の宛としては、どうやら外れではなさそうかな」


人間じゃないとは思わなかったけど、とぶっきらぼうに呟く男が差し出したのは、赤い液体の入った手のひらほどの大きさの中瓶──通常彼女が取り引きに要求する、人間の血液だ。


「随分良質な対価だねェ。何をお望みだい?」

「とりあえず、某国で独立を目論む反対勢力の動き」

「とりあえず?ハハ、いいね。お得意様になってくれると有り難いや」


朱知は情報を記した紙の切れ端と引き換えに男から血液を受け取り、ついでに彼の手のひらに奇妙な紋様を爪でなぞるように描いた。


「お兄さん色男だからサービスだ。うちの店の出入口を自由に使える通行手形をあげよう」

「………」

「そう訝しげな顔をしないでおくれよ、こう見えてウチは人間が好きだからね、仲良くやりたいのさ」


特に、彼女の店を見付けられるのは見鬼の才を持つ人間だけだ。そういう人間の血は美味である。
ぱちりとウインクをした朱知は、再び扉から出ていった男の背中を見届けて、ふうと一息ついた。

様々な諸事情が絡んで起こる抗争により、彼女の店はこれまでにも扉そのものが破壊され、異空間とも呼べる店内に通じなくなり、畳まざるを得なくなった例がある。
今回はまだ扉が残っているため、完全に扉が破壊される前に、店内にある必要なものを取りに行かなければならない。各店は、彼女もしくは彼女の発行した通行手形を持つものだけが異空間内を行き来出来るよう特殊な妖術が施されているので、然程苦ではないのだが、彼女はまたひとつため息をついた。


「はーやだやだ、また火薬の匂いがしてるんだろうね」


人々の戦い方が刀や槍であった頃から生きている彼女は、昨今の戦争独特の匂いを好かないようである。さっさと戻ってきて、注文されたばかりのドレスのデザインを決めてしまいたい、と肩を竦めながら、朱知は扉に手をかけた。




 

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