扉の向こうの懐かしい話が終わってから、どのくらいが経っただろうか。朝日が昇っても、我が主は瞼を閉じたままだ。

髪飾りの花がない、眠っていらっしゃるお姿はわたしにとって懐かしい。
それに、緋色様は始めから規則正しい生活をする方ではなかった。昼前頃に寝坊してくることなど、ざらだった。式妖怪がまだわたしだけだった頃の話。だから、なおのこと懐かしさで胸中がくすぐったい。

他の式達も、今朝は一番寝坊助の不知火が起きてきても緋色が姿を見せないのを心配して、一度部屋に集合したが、別に病気をしているわけでもないので、皆おのおの気ままに過ごしている。
こん、こん。戸を叩く音。なんだ、と返事をすると、ボンゴレのボスであるジョットが立っていた。


「朝食に顔を出さなかったので、ちょっと気になってな。具合でも悪いのか?」

「いや。昨晩はずいぶん遅くに屋敷に帰ったから、そのせいだ」

「そうか、ソレイとは気が合ったみたいだな。……先程エレナから電話があってな、午後に訪ねてくるそうだ」

「あぁ、伊語の勉強か」


エレナとは、此方に来て少ししてから緋色様が親しくなられた伊太利亜人の女だ。彼女が屋敷に来る度、二人、もしくは通りがかった守護者を巻き添えにして茶会をしたり、伊語を習ったりしている。

彼女は貴族の出故か、言語学に長けており、ランポウとかいった大地主の息子にも時折外国語を教えているそうだ。緋色様は日本語の崩し字が読めても、そもそも横文字にお慣れでないから、相当苦労されていたようだが。最近はわたしにも、覚えたての伊語を教えてくださったりする。


「短針がもう一周したらお声がけしておく。緋色様もエレナが来るのを毎度楽しみにしておられるからな」


もうすぐ昼時であることも考慮して、わたしはジョットと目を合わせぬまま言った。未だに緋色様以外の人間は直視するのも苦手だ。
ジョットは後ろ手に戸を閉め、窓側の壁に寄り掛かりながら微笑う。


「まだ人間は嫌いか」

「………」

「そう睨むな、悪かったよ」

「べつに睨んでなどいない。……細目でないと人間は直視出来ないだけだ」

「はは、そうか」


ジョットはわたしから視線を外すと、とても穏やかな表情で緋色様の寝姿を眺めた。


「……貴様、職務はいいのか」

「休憩中なんでね」

「……。」

「ん?邪魔か?」

「……前々から疑問だったんだが」


ボンゴレ本部別邸にあたるこの屋敷は、城の敷地内にあるものの、わたし達とアラウディぐらいしかいないため、日中にも関わらず非常に静かだ。ひとの気配もない。外観的には丸きり西洋式なので異なるが、日本の山奥の屋敷での暮らしと、雰囲気もそう変わらないように今では思う。
緋色様は、毎回の食事を本邸の食堂で摂ったり、エレナとの茶会や勉強会にも本邸のサロンや図書室を使ったりするので、しょっちゅうこの屋敷とあちらを行き来している。そしていちマフィアが古城を買い上げて本部にするだけあって、どうやら我々が思う以上に規模が大きい組織らしい。本邸には大勢の人間がいる。故にわたし達妖怪は、一部を除いて極力近寄らないようにしているくらいだ。
幹部の奴らも、いたりいなかったり、かなりの頻度で出払っては戻ってくる。あの朝利雨月も音楽ばかりにかまけているかと思いきや、下の者に稽古をつけていることすらある。(正直武器を扱えるような奴だとは思わなかった)
アラウディはボンゴレ以外にも仕事があるようで、他の幹部以上に忙しそうであるし、緋色様も遠慮なさってあまり彼を訪ねない。

しかし緋色様は、名目上この組織に所属する身であるにも関わらず、この数ヶ月ただ穏やかな毎日を過ごしている。


「貴様は、何のために緋色様をこの地に招いたんだ」

「ん?」

「本当に緋色様と人間を引き合わせるためだけか?緋色様は、貴様らの助けになりたいと伊語を学んでいらっしゃるが、この組織は口だけで片付く仕事をしているわけではあるまい」

「……まぁ、裏社会に属する以上は、実力行使せざるを得ない場面も多い。いくらうちの前身が自警団でもな」

「緋色様を危険に巻き込む可能性がある以上、わたしは貴様らを信用出来ない。人間は利益を前にすればどんな非道なことも成すのだから」


自分でも気付かぬうちに、わたしは奴を真っ直ぐ見据えて、そう告げた。
主が、人間と関わるようになって楽しそうに過ごされているのを見て、何も感じず嫌悪していられるほど、わたしは愚かではない。
かといって、不知火ほど積極的に人間と親交をはかる気になど到底なれない。そう、好きとか嫌いじゃない。信用出来ない。


「……それは、おまえにも人間との間に諍いがあったからか」

「!」

「ゆうべ、此方の書庫に調べものがあってな。通りがけに、不知火が話しているのを聞いた」


嗚呼、なんて強い瞳だろう。

もともと人間自体視界に入れたくないし奴らの視界にも入りたくもないから、最低限の外出時にも妖術で姿を消す。だから人間の瞳なんて、緋色様のもの以外ろくに見たことはない。
だけど、何故だろう。此処の人間は、わたし達を真っ直ぐその目に写す。あの日の緋色様を彷彿とさせる。


「わたしは、一族を人間に狩り殺された」

「……」

「我々九尾の一族は、そのあまりある妖力で大地に恵みを与え五穀豊穣をもたらし、一部の人間から神聖視されていた。仲間の中には実際神に仕えた奴もいる。しかし、土の質がよくても天候によっては、どうしても不作の年が続く。
数百年毎の飢饉の度に、我々に神頼みする者がいる一方で、我々の肉を食めば不老不死になれると信じた人間が狐狩りを行うのだ。わたしも目の前で家族を殺された。わたしの足りぬ二尾のうちひとつは、その時人間に襲われて失った」

「……もう片方は?」

「知能は低いが力のあるたちの悪い妖怪がいてな、其奴に食われた。命からがら逃げたものの重傷だったわたしを拾い面倒をみてくださったのが、当時12だった緋色様だ」


あの頃の緋色様は、おてんばで、今の折り目正しさなど微塵もない、いたずらの好きなやんちゃな少女だった。
人間の匂いをしているくせに、自分も妖怪と何ら変わりないかのように平然と話し掛けてくる。既に両親が他界していたため、屋敷には彼女ひとりだった。一瞬座敷わらしの類いかと思ったこともある。


「尾は九尾の誇り。それが2つも失われて、自暴自棄になったわたしに、この方はなんと言ったと思う?」


わたしは生まれつき尻尾がないぞ


「そういう問題ではないと怒れば、山ほどすすきを摘んできて作った尻尾を2つ、わたしにくれたんだ」


すすきの葉で指を切りながら、穂束を3つ。残りの1つを藁紐で自分の腰に括りつけて、お揃いだと笑って。

わたしの匂いを嗅ぎ付けて追ってきた低脳の上級妖怪を、彼女は容易く追い払ってしまった。
わたしが仕えるべき主はこのひとだ、と思った。


「わたしがこの七尾を好きになれるようにと、花に例えて七華という名前までくださった。
花びらが7つだと、いつも占いで好き≠ノなると嬉しそうに仰ったんだ。花占いなぞ、花びらの数が5でも9でも好きになるのにな」


幼い緋色様は、自分で何でもこなしてしまえた。そうならざるを得ない環境があったからだ。
もっと出来ることを増やそう。もっと頼られる妖怪よろず屋になるんだ。そう言って、問題児ばかり引き入れて、羽音一門を作った。


「緋色様は、自らを必要とする者がいるなら、即刻助太刀なさるだろう。必要とされる以外の生き方を知らぬお方だ、相手が人間だろうが妖怪だろうがな」

「……」

「だから、貴様が裏稼業に手を貸せと申せば、我が主はその期待に応えんとする。絶対だ。緋色様を人殺しの道具にはさせない」

「そんなつもりは毛頭ない」


わたしに被せるように断言したジョットが、組んでいた腕をといて告げる。


「俺は、彼女を守るために呼んだんだ」


真っ直ぐな瞳。

緋色様とは異なる、あたたかい炎の色。


嗚呼、嫌いになれぬ。



「コウの水占いで、俺の水面には血塗れで横たわり眠る緋色の姿が映った」

「……!」

「昔から、妙な予感ばかり当たるんだ、俺は。このまま見て見ぬふりをして、緋色を放っておくわけにはいかない。そう思ったんだ」


血の海に沈む、緋色様。


近頃、式妖怪達の間で何やら探りを入れている者どもがいるのも、奴らなりの勘を頼りに主を守るためか。


「いざというときにすぐ助けられるような仲間とも引き合わせてやりたかった。武力ならボンゴレはそこそこ強みがあるが、人間相手でないトラブルの場合は協力出来ないかもしれない」

「だから、祓魔師のソレイを呼び寄せた」

「あぁ。なまじ組織が大きくなってしまったぶん、おまえの言い分通り危険性も否定できない。……だが、もしものことがあれば、ボンゴレは総力をあげて紅眼の巫女を守護する」


妖怪は、ひとを驚かせたり怖がらせたりすることはあっても、嘘はつかない。
人間だけが、嘘をつき裏切り欺く。だから、信用はできない。

しかし、コウの翁の占いは何より信頼出来る。水占いの結果は占われた本人にしか分からない故、こやつがうそぶいているとも分からないが。


「……傲るなよ、人間風情が」

「!」

「緋色様をお守りするのは、もとより我らの果たすべき役目だ」

「……あぁ。承知している」



きつね、今日からわたしの式に降れ

うちにいる理由を作ってやる。わたしを化かせた日には、おまえのすきなお揚げで夕餉を用意してやろう!
何より、おまえのこと狙ってくるやつから守ってやれるぞ

だから、わたしといっしょにいよう、七華




「……似ているな、貴様は」


そう呟いたわたしに、ジョットは驚いたように数度瞬いた。

この眼は、嘘をつかない者のまなざしだ。


「人間は皆一様に信用できぬ。それは、この組織にあっても変わらない」

「………」

「しかし」

「!」

「おまえ一個人においては、多少別だと認識してやってもいい」

「……七華、」


ジョットは、緩く口角を上げると、芯の通った厳かな声色で言う。


「では、俺も組織ではなく一個人として、その信頼に応えると誓おう」

「言質はとったぞ」

「煮るなり焼くなり好きにしろ。俺の覚悟に嘘偽りはない」

「……ならば、それがまことの誓いであったと証明された日には、わたしもおまえにいくらか力を貸すとしよう」



緋色様、貴女様という主がいながら、他の人間に心を傾けることを御許しください。
ですがきっとこやつは、近い将来必ずや貴女様のお役に立つはずです。


わたしとジョットの間に、他の式はおろか主さえ知らない約束がひとつ。
ひそかに胸中では、それが果たされる日が来なければいいと──人間の力を借りるような危機が緋色様の御身に迫ることなど、一生涯無ければよいと、そう思っていた。



***


箸休めは此処までと致そう。

ひとと妖の間に交わる僅かな時は、刻々と終わりに近付いていく。
それは、ひとと人の間ならばよりあっという間の出来事。


長らくお待たせ御免。
「紅眼の巫女」羽音緋色、後のあざなは「隻眼の巫女」。


此れより語るは、彼女がひとつ、大事なものを喪う物語。



 

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