兄者は、優れた手練れの兵士だった。
けれども、自分は、出来損ないの鴉だった。



「闇、いらっしゃいますか?」

「うん、此処に」

「おいで。共に散歩しましょう」

「……喜んで」



伊ノ国の夜は、日本国に比べやや禍々しい気を纏っている。
正直僕は、こちらの国に来て安堵していた。自分の穢れた濡れ羽色を隠しても、なんら違和感のない宵闇がそこにあることに。日本国の月夜は、神々しすぎていただけない。


兄様とすこし何かあってから数日、緋色は異国の地にはしゃぐでもなく、僕らと共に過ごして、再度距離感を測っていたようだった。
食事に呼ばれれば赴いたし、勝手知らぬ屋敷を探索するからと数人式を従えて出歩くこともした。けれど、こちらの人間と言葉を交わすことを少し避けるような素振りを見せていた。


「いいの?緋色」

「何がですか?」


柔らかい声音で、そっと問い返す緋色。主と二人で過ごす時は短い。僕は、あの頃から変わらぬままのあたたかさを持った緋色が大好きだ。
大勢いる式妖怪のうちのひとり、出来損ないの鴉の僕。唯一無二の兄様に存在を否定され続けて、自分を見失っていた僕に、名前ともう一度家族≠くれた。兄様と和解する機会に、もう一度やり直すための家族になってくれた。

大好きな家族だから、僕は緋色が幸せでいてくれることを願う。兄様の想いの形とは違う、ただの親愛だろうけど、兄様に負けないくらい真っ直ぐに僕だって思ってる。


「アラウディ、とか。話しにいかなくて、いいの?」

「!」

「せっかく、こちらに来たのだから。緋色は、いろんな人間と話すべきだと思うよ」

「……ふふ。そうですねぇ、山暮らしが長く、人と話すことには不馴れなままで生きてきてしまいましたから……」

「緋色が変わろうって、頑張るって決めたこと、僕は応援するよ。少し、寂しいけど。ひとはひとのなかで生きていくのが道理にかなってる」


僕らの大事な主。人間に蔑まれることをおそれ、山に籠り、人でなきものと戯れ、僕らを見付けてくれた。
僕らは緋色にたくさんのものをもらったから、緋色に出来る限りのことをすべてしてあげたいと思う。


「闇は、強くなりましたね」


不意に、そうこぼす我が主。
僕は、思いもよらないその言葉に、眉をしかめる。


「僕が?強いって?」

「ええ。出会ったばかりの頃の、不穏な闇色ではない……、凛とした強さを秘めた、清らかな闇をもってして、傍に控えてくださる」

「……違うよ、緋色。僕は、何も変わらない。ただの出来損ないのままさ」


いびつに下を向いた耳。小振りの翼。装束を脱げば、そこにあるのは鱗のように光る濡れ羽色。足袋の中には鉤爪を持った鳥足。兄様のような、ほぼ人に近い体を、僕は持っていない。
妖力も少ない。僕に出来るのは、荷運び程度だ。こんな弱小者、緋色が奇特でなければ、捨て置いていたに違いない。


「出来損ないの穢れを傍において、緋色は嫌じゃないの?」

「そんな、」

「だってそうだろ。僕は、たくさんの血を吸って生きてきた。弱小のくせに、他の命を食い漁ってきた穢れのかたまりだ」


産まれながらに病弱だった僕を、父上と母上は、それこそ兄様のような強者にするべく、ありとあらゆる呪術を僕にかけた。
そのために、多くの生き血を何処からか持ってきた。おびただしいその量は、持ち主の死をも意味していて。

始めこそ兄様のような人型だったにも関わらず、まじないが重複しすぎたせいで、僕は異形の身を手にするはめになったのだ。
おまけに元より持ちうる妖力が少なかったことに変化は訪れず、無駄骨の犬死にを招いただけだった。


歪んだ家族だったんだ。



「闇は、出来損ないなどではありません」



いっそ、捨ててくれればよかったんだ。
なのに、異形の身の僕を、愛玩動物のように愛で扱い、飼い慣らして。何が弟だ、あの頃の僕は、ただの生ける屍だったろうに。



「闇は、空を飛べます。夜闇で目が利きます。動物と言葉を交わせます。
私に出来ないことを、これだけやってのけるあなたが、出来損ないのはずがありません」



そう言って、微笑うあなたが、僕に命を吹き込んでくれたんだ。
あなたに出会うまでの僕は、屍のままだった。

新しい場所に行ったら、きっと何かが変わるかもしれないよって、僕を、僕らを連れ出してくれた。
あの霊山は、いま恐山と呼ばれ立ち入り禁止区域にされたと聞いた。僕らが始まって、終わったふるさと。


「──……ありがとう、緋色」


いまは、彼女の隣が、僕らのふるさとだから。どこまでだって着いていくんだ。




***




「それからは、お変わりありませんか?」

「まぁね。ただ、憑依されたせいか知らないけど、前よりもそういうのの声が聞こえるよう、な気がする」

「それはお気の毒に……、敏感になってしまっているのですね」


ご主人さまの首に絡み付いて首飾りのようにぶら下がりながら訪れたのは、白金の髪をふわふわと揺らしている、あのアラウディとかいう男の部屋。
一度に大量の亡霊に憑依された彼の身が心配だからと、緋色は時折こうしてぼくを連れて彼のもとを訪れる。緋色の快癒のまじないも効くけれど、ぼくのちからのほうがより確実だから。

正直なところ、ぼくはアラウディのことをどうとも思っていない。虚空兄ちゃんや七華姉ちゃんは、彼をよく思っていないみたいだけど、緋色がすきなら僕も彼をすきになるし、緋色がきらいなら僕は彼を排除するだけ。そこにぼくの感情は存在しない。
でも、彼がいれば、緋色はぼくを必要としてくれる。ちからを貸して、と言ってくれる。だから、そうだなぁ、きらいじゃないと思う。


「クチナシ、お願い致します」

「うん、いいよ」


しゅるり、と緋色の袖元を辿ってアラウディの肩口に絡み付くと、首に緩く巻き付いて瞼を閉じる。
彼の身体から滲み出る瘴気を全身に纏うように吸い寄せ、呼吸をする度それを体内に取り込んでいく。
空いている片方の尾に指を絡ませながら、アラウディが言った。


「どういう仕組みなんだい?」

「はい?」

「この蛇がデモーニコの一種だっていうのは聞いたけど……、疲労を回復させるなんて、まるでフェニックスの涙だ」

「フェニックス?」


疑問の声を上げたのはぼくだった。
緋色も興味深そうな面持ちでアラウディの言葉の続きを待っている。


「エジットに伝わるただの伝承さ。火の肉体を持つ、不死の鳥。その涙は傷を癒し、血を飲めば不老不死になると言われている」

「まぁ……!素敵な伝承ですね」

「素敵?僕はそう思わないね、ただの人間の慾が生み出した妄想の産物さ、下らない」

「西洋には不死に関わる妖物が多いと聞きます」

「あぁ……スィレーナとかリオコルノとかね」

「すぃ……?り、りおこ……」

「スィレーナはジャッポーネで言う人魚伝説。リオコルノは……一角獣のことだよ。額に角を持った白馬」

「素敵……幻想的なお姿なんですね……」

「そうでもないよ」

「見たことあるの?」

「まぁね、祖国は幻獣の信仰が強かったから。信じる者の集まるところには寄ってくるのさ」


ぼくの尾からするりと指を抜くアラウディ。ちょうど治療も終わったので、ぼくはしゅるしゅると身体を滑らせ緋色の腕に巻き付いた。


「ちょうど身体も白いし、神木がどうのとか言ってたし……似たような生き物なんじゃないの?」


彼の視線が、ぼくの金色の瞳からするすると下りていき、ある一点で止まる。
尾が二股に裂けている場所だ。


「違う!!!」


ぼくはあぎとを大きくして咆哮した。しゃあ、と濁音混じりの呼気が吐き出される。


「ぼくは成り損ないなんだ、そんな……そんな、神さまみたいなちからはない!」

「クチナシ、」

「誰も救えないし、傷付けることしかできない。ぼくは穢らわしいアヤカシだ!神さまなんかじゃ……神さまなんかじゃないんだ……っ!」

「クチナシ」


いまにも咬みつかんばかりの勢いで吼えるぼくを、そっと諌める緋色。
静かな眼差しで瞬いたアラウディ。視線が痛くて、ぼくは頭を垂れながら緋色の袂の内に身を潜めた。


「申し訳ございません、アラウディ様……」

「何が?」

「ご無礼を……」

「別に……僕が気に障ることを言ったんだろ、君が気にすることじゃない。それに……
友なら、多少の無礼講はあって然るべきだ」


ふ、と微笑うような吐息が聞こえた。
触れている緋色の腕が、熱を持つ。彼女の体温にあてられて、ぼくまでくらくらしてきた気がする。


「差し障りないなら、理由を教えてほしい」


すこし、疲れたのかな。瞼がおもたくなってきた。
緋色が着物の上からぼくをそっと撫でる。何かを言われたような気がするけど、もう眠りの淵にいたぼくにはよく分からなかった。




 

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