その人は、美しかった。


ぼんやり映る視界で、彼女だけがくっきりと鮮明に見えた。
触れた手のひらは温かく、華奢で握ったら簡単に折れてしまいそうな印象を抱くほど柔らかく、繊細な動きをして。
もう一度額を触られたとき、確かに鼓動が一際大きく跳ねるのがわかった。

彼女が僕の状態確認、とあちらこちらに目をやり触れているのがくすぐったくて、気恥ずかしくて、鼓動はどくどくどく、と速く鳴るのに時間はまるで止まったかのよう、僕はその間ただぼぅっと彼女を見つめているだけだった。
艶やかな黒髪、髪飾りの花はなくなっていて髪をおろした状態ではあったけど、逆にそれが素の彼女の姿だということを僕に知らしめる。
ジャッポネーゼ、と言っていたのにあまりに日に焼けていないほんのり黄色がかった綺麗な肌、紅を塗っていないのに艶っぽい柔らかそうな唇、真っ黒で長い睫毛に同じく真っ黒で長い前髪から覗く、大きくて優しそうな眼差しの赤い瞳。
まるで炎のような、いや…その温かさは揺らめく炎よりも夕焼けに近い、今日の終わりを流れ行く雲と共に静かに見下ろす優しい夕日色。


言わなくとも分かるだろう、

僕はその瞬間、恋に落ちていた。




今すぐその華奢な体を掻き抱いて僕の腕の中に収めてしまいたかった、ゆるりと弧を描く艶かしいその唇に今すぐ吸い付きたかった、黒髪の隙間から覗く真っ白な首筋や襟口からみえる胸元に所有印を咲かせて、誰も、そう誰も僕以外の生き物全てが彼女を見つめられないように何処かに閉じ込めてしまいたかった。
今まで感じたことのない激情に微かに手が震えるのを握りしめて抑え込む、急に手を出したら驚かれるどころか嫌われてしまう、冷静になろうとしたけど難しい話だった、僕は幾人もの女と身体を重ねても愛したことは一度もなかったし、愛されていたとしても「鬱陶しい」の一言で投げ捨てたことしかなかった、そうこの醜い激情、自覚してしまうほど醜く執着するようなドロドロした感情、これが僕の初恋だった。
(外見的に冷静さを保つためにとりあえず質問、なんてしてみてるけど…僕、噛んだり変なこと言ったりしてないかな)



視線が彼女から外せなくなる、僕の視界に色として映るのは彼女だけで、いまその他はたとえ息をして僕に話し掛けていたとしても灰色の景色、彼女の言葉が視線が僕から外れて、漸くはっとした、この部屋にはいま僕と彼女以外にも生き物がいるんだったと。
紹介された個性豊かな少年少女、青年。彼女の式、つまるところ部下のようなものだろう。言われてみれば確かに、見覚えのある黄金色の髪の少女や金髪の女にはなかったものが生え、人間とは明らかに違う姿になっていた。そうか、彼らは妖怪、人外の存在。
僕と同じように見える¢フ質でありながら、それを逆手にとって仲間を従え、さらに術を持って彼ら人外の存在に対抗できるとは。僕には出来ない、知らなかったことを彼女はできるというのか、惚れたと同時に尊敬の意を感じる。


「じゃあ、種明かしといこうじゃないか」


彼女のものとは違う女の声。
見ればあの遊女のような妖怪(不知火だっけ?)が袂からまたキセルを出していた。


「禁煙」

「うっさいな〜、こいつは無臭無害だよ!あたしの武器だ」

「武器?キセルが?」


ジョットの声。
無臭だったんだ。まぁ刻み煙草入ってないしね、分からないこともないけど。


「あたしは鬼、自分で言うのもなんだけどその辺の小鬼と一緒にしないでもらいたいくらい強い方だ。…ま、緋色に出会う前までちょっとやんちゃしてたからねぇ」

「彼女は人間の魂を主食とする妖です。特に怨恨、嫉妬といった人間の暗い部分の感情を好む味覚をしています」

「(ジャッポーネで彼女に物理的に喰われそう≠ニいう感情を抱いたのは何気に当たっていたわけか)」

「(あながち間違ってないあたり、お前の超直感怖いぜ…)」

「ふ、まー今じゃ復讐に燃えるおっさんの魂より緋色の手作り料理のが美味く感じるんだけどさー。
それで、あたしの武器のこのキセルだけど、見ての通り中は空だ。そこにあたしの妖気を送り込んで練り込み吹かすことであらゆる効能を持つ香になんのさ」


香、ね。遊女らしい武器だ。

ジョットとGが目で会話しているのを横目に見て微笑いながら、彼女はキセルの先を口に含む。
大きく息を吸う音がして、彼女が唇を開くと、仄かに桃色を帯びた煙がふかり、と漏れ出す。


「これは何の香だ?」

「霊力を高める香さ。ま、人間のものを霊力、妖怪のものを妖力って呼ぶだけで中身はおんなじもんだけどね」


さっきまで僅かにあった精神的疲労が取れていくのが分かる。
緋色、も目の前で「御加減は如何ですか?」と笑んでいる。
(霊力云々の前に君の笑顔で心労が回復した)


「悪くないね」

「ふふ、そうでしょう?下手な薬を使うよりも彼女の香は効き目があるのですよ」


「はいそこイチャイチャしなーい。んで、この香の中にゃ物質を分解して気化する働きのあるものもあってね。あんたと戦ったときに使ったのはそれだよ」


「いちゃいちゃ…?」と首を傾げている君の意外な鈍さと無知さに驚きつつその可愛さに内心バクバクしていると、遊女に話を振られて思わず「あぁ、あれか」と適当な相槌を打ってしまった。
(本当は結構興味深く思っていたんだけどね)


「それを踏まえた上で説明するからね。聞いてるかい緋色?」

「ふぁ、あ!はいっ」

「ぼーっとしないのあんたって子は…」


どうしよう、質問しといてあれだけど、説明聞くより彼女の反応聞いてる方が僕的には有意義なんだけど。
この一瞬の間に惚れすぎだよね、僕。分かってる、自覚済み。


する、と衣擦れの音を立てて緋色が立ち上がる。
クチナシ、と呼ばれた蛇少年は昨日車内で彼女の首に巻き付いていたあの白蛇で間違いないだろう。
彼も緋色の後に続くようにして不知火の隣へと尾を滑らせる。


ぼふん、と音と白煙を上げてクチナシが蛇の姿に戻る。
そのまま二股に別れた尾を器用に滑らせて緋色の足元から這い上がり、首元に絡み付く。


「まず、緋色が連れ去られる直前に、ぼくがこうやって緋色にくっついて一緒にいく」

「クチナシには、気絶した私を目立たず護衛する役目と、私が直前に昇霊の術で浪費した霊力を回復するのを手伝う役目を担って頂きました」

「ぼくは不知火の香より早く、強力に霊力を回復させるちからがあるから」


神木の守護神の末裔、だったか。ならその由緒正しい蛇が何故妖怪になったのか、不思議なところではあるが、今は聞くべきではないだろう。


「陸地に着いて、くるまに乗せられたところで、ぼくが緋色を起こしたんだ」

「クチナシと共に居たことで僅かながら回復した私は、先ほど説明したようにして七華と不知火を召喚します」

「緋色様はそこで再び深い眠りについてしまわれたが、あとは問題ない。わたしの妖術で、わたしごと緋色様を消す」

「緋色が姿を消してる間に車内に残ったのがあたしだった、それだけのことさ」

「…君が召喚された理由は?」

「んー?緋色の身代わりに決まってるだろ?昨日はあんたがいたから手を抜いたけど、本気を出せばあの程度の人間朝飯前さ」

「「(本気で朝飯にされるんじゃないだろうか)」」

「あんたたち…いい加減その話から離れないかい?」


またも顔を見合わせて冷や汗を流すジョットとGに苦笑する不知火。
「これにて一通りの説明を終いとさせて頂きます」と柔らかく笑む彼女。
ここだけの話、僕は早く彼女と二人で話がしたかった。




 

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