***




ざざ、ざざ。

ざざ、ざざ。

耳に響く新鮮な音が、心を洗うように心地好かった。
頬を撫でる潮風が若干ベタつくけれども、今はそれよりも、このどこまでも広がる水平線の方に関心があった。


「緋色。到着は明日(みょうにち)の早朝になるそうだ」

「そうですか…一応、ジョット殿から頂いたイタリアの地図と、皆様がお住まいの屋敷の場所が記された紙はあるのですが…」


人間に変化している虚空がす、と隣に並ぶ。船員の方々に色々と話を伺いに行ってくれていた。
他の式は皆部屋で休ませている。最初は初めての乗船にはしゃいでいたものだけど、逆にそれが理由でコウとクチナシが早くも船酔いを起こしてしまった。
不知火と灯晶はその付き添い、七華と闇は景色が変わらないことに飽きてきてしまったらしい。


「日本国でない所とは…、どのようなものなのでしょうねぇ」

「……楽しみか?」

「ふふ、…えぇ。多少は不安もありますが、ジョット殿方もいらっしゃいますし。何より…貴殿方が共に居てくださいますから、大丈夫です」


にこり笑えば、虚空は優しく微笑を浮かべて、私を見やり静かに言った。


「お前の笑顔が見れるなら、地元だろうが異国だろうがついていくさ」



言葉では返さず微笑い返せば、ゆっくりと目を細めてゆるり、口角を上げる虚空。不意に頬に彼の骨ばった手の甲が触れて、驚いて肩を震わせているとそれがつぅ、と肌の上を滑りくすぐったかった。


「大分冷えている。俺たちもそろそろ船室に戻るぞ」

「大丈夫ですよ。もう少し…」

「緋色。……出国早々に体調を崩すつもりか」


黒曜石の瞳に見据えられて、う、と息をつまらせる。
私が体調を崩すことは自業自得であるし一向に構わないのだが、彼らを心配させてしまうし、向こうに着いてからジョット殿方にご迷惑をお掛けするのも申し訳ない。おとなしく船室に戻ることにした。





「あら?…二人は寝てしまったのですか?」

「うん。ちょっと調子が良くなったら、はしゃいだ疲れからかパタリと眠っちまったよ」

「まぁ、ふふ。でも、眠った方が早く好くなるでしょう。他の四人は調子のほどは如何ですか?」

「特に悪い奴はおらぬ。七華と闇なら隣の部屋で茶を飲んでおる」

「ありがとうございます灯晶。でしたら、二人もそちらへいらして共におやつにでもいたしましょう。持ってきた美味しいお萩がございます」

「んー、酒の肴はないのかい?」

「煮干しと干し肉がございますよ」

「じゃあ干し肉!」

「不知火、そなたこのような夕時から飲むのかえ?相変わらずの酒豪ぶりじゃのう」

「お前も人のこと言えないだろう、ザルの癖に」

「ほほほ、たしなむ程度じゃ」

「もう、お酒ばかりでなくお茶もお飲みになってくださいまし!」

「俺はお萩はいい」

「お前甘いの苦手だったっけ?」

「大丈夫ですよ、煎餅やおかきもありますから」


四人で扉を潜ると、うつらうつらと寝ぼけ眼な闇とソファーでくぅくぅと寝息を立てる七華。
二人もどうやら疲れて眠いらしい。私は椅子の背に掛けてあった薄い毛布を七華にかけてやると、大きい荷物の中から茶器と茶葉、それから菓子を取りだしお茶の準備をする。


「玉露と焙じ茶どちらが良いですか?」

「焙じ茶」

「あたしもー」

「わらわは玉露がよいぞ」

「承知致しました。私は…やはり玉露にしましょうかねぇ」


焙じ茶を先に淹れる。湯呑みに注ぐと、玉露の茶葉を急須に用意してお茶が出るのを待つ間に、盆にお萩と磯部煎餅を湯呑みと共に乗せてテーブルまで運ぶ。


「闇。こちらでお茶を飲んでは如何ですか?」

「ん…」


目を擦りながら覚束無い足取りでこちらに歩み寄る姿はなかなかに可愛らしいもので。

先程と同じようにどちらが良いか聞けば、玉露、と小さく呟いた。


「向こうに着いたらまずどうするんだい?」

「そうですねぇ…守護者、の方々にご挨拶でしょうか。それよりもお屋敷に辿り着けるかが不安でございます…」

「伊の国は治安も悪いと聞くしな、緋色は綺麗なんだから気を付けろよ」

「阿呆、そうではないじゃろう。道のりの話じゃ、伊の国と日本国では勝手も違うじゃろうと緋色は言いたいのじゃ」

「あんたの緋色馬鹿は日に日に悪化していくねぇ」

「兄様(あにさま)が緋色を大好きなのは昔からだよ」
「貴様ら揃いも揃って…。我が主を大切に思うのと同時に愛しく思うのは当たり前のことだろう」

「「「いいや」」」


くすくす。抑えるつもりもないけれど、無意識に笑みが洩れる。
こういう、仲間内での他愛の無い話は大好きだ。特に面白い話をしているわけでもないのに、自然と笑顔になれるから。

暫くお茶請けの和菓子を食べながら割かし静かめに談笑していると、ひょん、と七華の尻尾が揺れて、次に耳がひくりと動く。
起きたのだろうか、皆黙ってそちらを見やると、むくりと起き上がって目をぱちくりさせる黄金色がこちらを見てすん、と鼻を鳴らす。


「お早う御座います、七華」

「おはようございます、緋色様…何やら、茶会でもしてらっしゃるのですか?」

「はい。貴女もこちらでお飲みになりますか?」

「頂きます、…わたしは焙じ茶で」

「ふふ。はい」


茶の種類を聞かずとも、匂いを嗅ぎ分けて今皆が飲んでいる茶の中から自分の好みを言う。彼女の可愛らしい特技だ。
ふあ、と小さく欠伸をして伸びをしてからこちらのテーブルに寄って来て空いている私の向かいに座する。


「……はい。入りましたよ、どうぞ」

「ありがとうございます緋色様」

「それと、七華にはこちらを」

「はい…?、……!」


ぴくり、七華が全身を震わせて目を見開く。視線は私が差し出したそれ≠ノ釘付けだ。
こくりと生唾を飲み込み、私を見上げてきらきらと桜の眼を輝かせる。


「緋色様、これ…!」

「はい。乗船する前に立ち寄って、買って参りました。イタリアに着いてしまえば当分頂けませんから、奮発して買い込んで参った次第にございます」

「あ、ありがとうございます!わぁ…こんなにたくさん…っ!!」


私が買い込んで来たものとは、先日ジョット殿方と共に街に出た際に場所を再確認したあの団子屋のみたらし団子。
七華は大層この店の団子を気に入っており、中でもみたらし団子は彼女の一押しだ。


焙じ茶と一緒に机上に置いてやると、嬉しそうに口元を緩めて頂きます、と一言。ぱくりと一口目、七華の大きくて少々攣っている目が、優しく細められた。

彼女の笑顔を見るたびに、あの時とは別人のようだ、と思う反面、その変化を喜ばしく思う自分がいるのだ。
一瞬回想に浸ってから、ゆっくりと瞼を開閉させる。──…彼女と、出会った時を、脳内に描いた。


不知火に声を掛けられ、現実に引き戻されると、自分の席について、さて何処から話しましょうか、と柔らかく声を出した。






さぁ、長い永い、旅の始まりにございます。



 

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