記憶に残る、誰かも知れぬ人の声。

一緒に星を見た、あの記憶だけが残っている。


苦しいときも、寂しいときも。
星空を見上げれば、元気になれたんだ。

一人じゃない、我は、一人じゃない。


その人と、また共に星空を一目見んと、
それだけを希望に、いままで時を過ごしてきた。


どうか、

どうか最後は、

あの星空を見上げたまま、空に還りたいと今日も願いつつ。


壱:旅程結束


我には、ここ二年ほど、一人で旅してきたときの記憶と、
幼きころ「誰か」と星を見ていた記憶しかない。


覚えているのかもしれない、と必死に思い出そうとしても、
「無い」のだ。
あるはずのものを手繰り寄せるのならば、手ごたえがあるはずだが、
我の記憶にはそれが無い。
                    
だから、我にはそれ以外の記憶が、本当に「失い」のだ。

寂しいと、思ったときは、幾度となく訪れた。
他の人にあるはずのそれがないのは、とても辛かった。
自分が誰なのかも、明確には分からなかった。

人として許されないことをしたから、記憶を失った、とでもいうのだろうか。
ならば、我はひたすらこう乞うだろう。

“罪ならば、どんなに長い歳月をかけようと償おう”
“だから、我の記憶を返して欲しい”






自分を探す旅、なんて格好のつく旅はしてこなかった。
ただ、このだだっ広い我が祖国、中国を、ふらりふらりと、
ただ気ままに縦横無尽に巡っていただけな気がする。

食事なんてまともに取れるわけがなかった。
収入もままならぬ生活が、そういつまでも続くなんて思ってなどいなかった。
むしろ、2年間もこの旅が続いたほうが奇跡だったのだ。

ある時は森や山で獣を狩り、食料にして命を繋ぎとめていた。
ある時は親切な人のお世話になって、何ヶ月に一回というきちんとした寝床についた。
ある時は夜も眠らずただひたすら町や森の中を歩いた。

本当に、特に意味を成すような旅など、我はしていなかったのかもしれない。

ただ、「誰か」を探して、必死に在るはずの自分を追い求めて。

それだけだった、気がする。





今日も、星が綺麗に輝いている。
我は、この2年間、どれほどこの輝きに救われただろうか。

だけど、今日ばかりは我の様子がどうやらおかしい。


森の中、空が良く見える位置に今日も野宿しようと、
荷物を降ろし、芝の上に腰を下ろそうとしたときだ。

そのまま視界はぐらりと揺れて、背中や後頭部に鈍い痛みを感じ、
やがてぼんやりから安定した視界には、星空だけが映っていた。

身体が脳の指令を無視して、背中からおもむろに倒れこんでしまったらしい。


全身が麻痺したように感覚がない。
身体を起き上がらせようと懸命になるものの、まったく動く気配がない。



………嗚呼。

我のこの命も、ここまでなのかも、しれない。


原因など明白。まともな食事をここのところほとんど取っていなかったから。
空腹、という感覚も、随分前から感じなくなっていた。


だんだん霞んでいく視界に、満天の星空だけが映る。

どこからか、梟の鳴く声も、聞こえる。


さよなら、「誰か」。
結局見つけることは出来なかったけれど、
それなりにこの世界は楽しかった。
2年間の旅も、苦労はあったけど悪いものではなかった。

涙など出ない。もともと、悔やむような人生は過ごしていないのだから。
まだ生きていたい、とは、なぜか思わなかった。

きっと、心の奥が、



この希望も絶望もない旅を今こそ終わらせるのだ、と、


知らず知らずのうちに叫んでいたから。



さよなら、世界よ。

愛しき星空。

心から会いたいと思った、

見知らぬ「誰か」よ……―――――。











夜、私は何となく満月を眺めていた。
空にはたくさんの星が散りばめられていて、とても美しい。

ふと、風が音を乗せてふわりと吹いてきた。


……変な、音を交えて。


これは、呼吸音だろうか。かなり近い。

私はすくっと立ち上がって縁から降り、屋敷の庭から程近くにある森へと近づいた。
こっちから音がする。動物が怪我でもしたのだろうか。

そのまま木々の狭間をかいくぐって森の中へ。
ざわっと音を立てて木々が揺らめくその向こうに、綺麗な空が映った。


しばらくして芝生の広がる少し木の無い開けた場所へ出ると、私は目を見開いた。



………人間が、倒れている。


土汚れのついた服を着て、身体中にかすり傷や切り傷を帯びた、15くらいの少女。
星空を見上げるようにして、そのまま倒れていた。

近づくと、かなり浅い呼吸を繰り返している。よく見れば、痩せ細っていた。
直感で少女の命が危険だと感じた私は、その少女を背におぶって走り出した。
なるべく揺れないように、でも早く、速く。

少女はピクリともしなければ、私に身体を預けたまま浅い呼吸を続けるばかりだった。

















その少女は、二日、三日と目覚めることをしなかった。

私はあの後、屋敷の一部屋に彼女を運び、布団へ寝かせた。
明るい部屋の中で見た少女は、痩せ細っていながらもどこか美しさを纏っていた。
黒い短めの髪、閉じられた瞳。僅かに開かれた、血色の悪い桃色の唇。
ひたすら命を繋ぎとめるように、そこからは浅い呼吸だけが繰り返されていた。


弟子の一人であるイーピンは、私が少女を拾った話を聞いて一番に
「様子を見てあげたい」と言ってくれた。
まだ幼いながらも、私が手を離せない間は屋敷に来て、少女の顔色を確認していた。
まだ目覚めぬのか、どうか命だけは助かるように。
私とイーピンは、かわるがわる様子を見てはそう願っていた。


ある日、様子を見に行っていたイーピンが、台所にいた私のもとへ走ってきた。
もしかし、て。

長く続く廊下を走って、少しだけ乱暴に襖を開けると、目を薄く開いた少女の姿。
すぐさま駆け寄って、顔色を確認すると、だんだん開けてくるその瞳に、安堵した。

「大丈夫ですか?」

「…………、…だ、れ……」

ぱっちりと開いた瞳は漆黒。澄んでいて綺麗だ、と見とれる間もなく、
その瞳に自分が映っているのを確認して、声をかけると、掠れた返答が返ってきた。


「私は、風。あなたが森で倒れていたので、運んできました」

「………?……、わたし、は…いきて、いる?」

「はい、………良かった…」



ゆっくりと目を瞬かせる少女。自分が生きていることに、余程驚いているようだ。


「………我は、朝陽……、その、…ありが、とう……」

「いえ。この子はイーピン、あなたの看病をしてくれました」


私の後ろから、おずおずと黒髪の少女、もとい朝陽の顔を覗くイーピン。
彼女の瞳が大きく開かれているのを見て、安心したようだ。
私の服の裾を摘まんで、恥ずかしそうにイーピンと名を名乗った。
「……、いー、ぴん……と、ふぉん……」

「はい、」

「……ありが、と……」


そのあと朝陽は、まだ回復できていないのか、ぱたりと瞼を閉じて、
今度は落ち着いた呼吸音を響かせて、ゆっくりと眠りについた。







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