どうして、どうして。

この胸の奥の不思議な部分が、きゅうって苦しくなるのは、なんでなの。


優しそうなあのひとに、我は少し苦手なあのひと。
二人とも、風の仕事仲間。

この痛いような苦しいような、この感じがなんで起こるのか。

二人なら、知っている?



参:愛的意義




カラリ。




乾いた音を立てて障子が開く。と同時に、差し込む朝日。


「早晨(おはよう)朝陽。朝ですよ」

「う……………、まぶし……………」

「体調はどうです?」

「ん、大丈夫…、だから…………、閉めて」

「閉めたら二度寝するでしょう…、眩しいのが苦手なのは分かりましたけど」

「眩しいのやだ」

「眠いのでしょう」

「………それも、あるけど」

「今日は以前お話した女性の方がいらっしゃる日だと昨日話したでしょう?」

「……………閉めてくれたら起きる」

「閉めて起きなかったら朝御飯は無しですからね?」



再び乾いた音を立てて障子が閉まる。
部屋の中は、和紙から透けて入った柔らかい光だけになるので、やや薄暗い。

自分の体温によって心地良い温度になっていた布団の中から名残惜しくも身体を起こす。
まだ寝ていたいけれど、風の言ったとおり今日は客人の見える日だし、何より
旅をしていた頃の癖で一度開いた瞼はしばらく閉じてくれなさそうだ。

くすり、微笑を浮かべる風。朝御飯はもう出来ているらしい。
風は何時頃に起きているんだろう。我は旅中でも太陽がやや高く昇ったときに起きてたから…、
今でもそんなに早起きは出来ない。というより、寝るのが好きだ。



以前風邪に倒れてから数日後。それが今日。
特に変わったことといえば、風に身の回りのことを教えてもらって、我が進んで手伝いをするようになったこと、
それから、風が我の部屋に入るときや我が入浴している時に風呂場に立ち入るとき、必ず声をかけるようになったことだ。

そういえば、アレは、風に見られていないだろうか。
着替えをさせてくれたときに、見られていなければいいのだけれど。
怖くて、その話題は敢えて口にしていない。








朝御飯は卵料理に中華スープ、それから米飯。さほど量はないものの、
寝起きであると同時に我は口が小さいので食べるのに時間がかかる。
もくもくと我が食べ進めている間、風は洗濯物を干しに行っていた。
ガラス張りの障子から、庭で手拭いやら服やらを物干し竿にかける風が見える。
そよそよと流れているであろう風に、風の三つ編みと庭の芝が揺れていた。

食べ終えると我は食器を洗って片づけをする。
今日は客人が見えるまで部屋にいていいと風が言っていた。
掃除は風がしてしまったらしいし、おとなしく部屋で読書をすることにする。



基本的な知識が足りない我に風が与えてくれた書物はとても膨大で、
もとは風が読んだ後のいわゆるおさがりなのだが、これだけの量を読み終えている
風は相当知識が秀でているのではないかと思う。
知識だけでなく体術すら完璧にこなしてしまうのだから、風は本当にすごい。

ガラス戸の本棚から先日読み始めたばかりのものを選んで、抜き出す。
片手に持つとずっしり重みが伝わってくるようなもの…――そう、辞典。

風は「これは読むものというより調べるものなんですけどね」と言ったけれど、
別に使わないからいい、と我にくれた中国語辞典だ。
口数も少ない上に旅の中で得られる言語の数も少なかったので、今までは知らなかった
言語知識も得られるこれは、すごい。
とにかくこれを読み終えなければ他の書物に手を出せないので、熟読中だ。

辞典を持ってベッドに腰掛ける。膝の上で辞典を開いて、昨日読むのを中断した場所を探す。
そういえばこの部屋には机も椅子もない。風がこの間、勉強するのには必要ですから今度
服と一緒に卓袱台を買いましょうね、と言っていたのを覚えている。何から何まで、申し訳ない。




「……[愛]」


ぺらりと頁をめくると最初に出てくる言葉。
昨日もここで止まってしまった。


[愛](日本語訳:愛する)
かわいがる。いつくしむ。たいせつにする。
異性を恋しく思う。強く好む。


異性、を、こいしく…、

大切に思うことは、あるけど…、それとは違う気がする。
言葉の意味が理解できないから、次に進めないでいる。

愛するとはどういう意味だろうか。
どんな気持ちだろうか。
我は感じたことがあるだろうか。
誰かを愛した≠アとがあるのだろうか。


後で客人が見えるまでに風がやることを終えたら教えてもらおう。
風は誰かを愛したことがあるのか。それはどんな気持ちだったのか。



そう思ったとき、記憶の奥深くで何かが痛く叫んでいるような、そんな気がした。







「朝陽、食器片付けておいてくださってありがとうございます」

「あ、うん……別に、いつものこと」

「はい、まとめてやるつもりだったので助かってしまいました。おかげであとは彼女を待つだけです」

「!………風、教えてもらっても、いい?」

「はい、何をでしょう。……あ、早速勉強してるんですね」

「そう。…それで、ここの意味、理解できない」


入りますね、と一声かけられてから開かれた襖。風がふわりとした笑顔で姿を見せる。
目を細めてやんわりと微笑、礼を言う風に我なりの「どういたしまして」。

やることを終えたという風に、例の言葉の意味を教えてもらおうと辞典を開いて、
その言葉が書かれたところを指差しで示せば、部屋に入ってきてどれどれと覘いた風の瞳が一瞬大きく見開かれて、
手を後ろの腰辺りで組んで屈んだ姿勢のまま、風が硬直してしまった。


「……………………………………………………風?」

「……あ、はい。すみません」

「これは、どういう意味?理解できない」

「そ、うです、ね…」

「…………もしかして、知っていて当たり前?」

「いいえ、えぇとですね…そうではなくて、うーん…なんというか…」

「………聞かないほうが良かった?」

「違いますよ。知りたいと追求するのは良いことです。ですが、少し説明するのが難しい言葉なのです」

「説明、難しい?複雑な言語?」


はい、と頷くと、風はベッドの我の隣に腰掛ける。
言わずもがな、風に対しての警戒はいつの間にかしなくなっていた。

このたった一文字にそれほどまでに意味が込められているのか。
我は視線を風から辞典に戻して再び字列を目で追ってみる。
やはり、この短い説明からでは我は理解出来ないようだ。


「愛するというものは、とても深くて広い意味を持つ言葉なのです」


風が静かに口を開く。
理解不能な文字列ではなく、風へともう一度視線を移した。


「恋愛、親愛、友愛、師弟愛、誰かを大切に想うだけでなく、物事やその行動を愛するという意味もあります」

「大切に、想う……」

「私はこの屋敷も、道場に来てくれる弟子たちも、この国も、大好きで大切です。
全てとはいかないにしても、いくつかはどれかの愛する≠ノあてはまるのではないでしょうか」

「…………、やっぱり、むずかしい…」

「すみません、分かりづらかったですね」

「いや…………謝謝風、さっきまでよりかは、ほんの少し分かった。…気がする」

「ふふ、それは良かった」


風の説明が終わって、つまりは結局のところ大切に想うということで良いのかと頭の中を
整理していたら、インターホンの無機質な音が鳴り響いた。客人が来たようだ。


「ん、来たようですね。私は彼女を門のところまで迎えに行ってきます。呼ぶまでまだ暫く部屋にいてくださいね」

「分かった」


ぎし、と音を立てて風が立ち上がって、ベッドから風の座っていた分の体重が消えて少し弾む。
右手を襖にかけると、風はふと思い出したようにこちらに顔だけを向けて、

「朝陽も、私の大切なもののひとつです」

にこり、笑って、ではと残して風は客人の出迎えへと向かった。


我はというと、




「たいせつ…………」



呟いて、最後にもう一度辞典の愛する≠見つめていた。









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