***




お昼下がり。お腹をすかせた門下生たちが帰ったのを見届けて道場を閉めると、家には戻らずそのまま街へと降りた。
相変わらず人でごった返している道を見ると、彼女とルーチェ、荷物持ち兼護衛だなんて言ってリボーンまで連れて、4人で街に繰り出した日が懐かしい。

今日はのどかな陽気に比べほんの少し風が冷たいが、それも心地いいと思える程度だ。


「おや、」

「ムム」

「あなたもいましたか、バイパー」

「気にすることはないよ、ただの取立てだから」


何も言わずに微笑みだけを返して、私は彼と少し距離を置いた場所に立ち止まる。
そういえば貸しだのなんだの、と言っていましたね。あの日は私も珍しく満身創痍だったので、途中から記憶が途絶えてしまっているんですが。この場合私が代理で支払うべきなんでしょうか?


「バイパー、あなたは本当にがめついというか浅ましいというか……」

「どうもありがとう、ボクにそれは褒め言葉さ。色々面倒みてやったんだ、それ相応の報酬がなくちゃ。どっちにしろあのミッションは君がパァにしてくれちゃったんだしね」

「その節はご尽力どうもありがとうございました」


よく説教くさい、と彼に毛嫌いされる私だが、ここは彼の言う通り私にも非があるようなものだ。命の重みとお金の話なんて、こんな仕事をしている私が彼にしたところで説得力も何もないものだろう。素直に礼を述べれば、それはそれで感じが悪い、とそっぽを向かれてしまった。彼はどうにも気難しい。


「あぁ、来たみたいだ」

「ふふ、本当に。子猫みたいに襟を掴まれて……」


待ち合わせていた駅に、時間通りやってきたのは彼女と、彼女を連れたリボーン、そしてラル・ミルチだった。
あたりをキョロキョロしすぎてリボーンに怒られている彼女が、私を見つけてはにかむ。

あぁ、なんと幸せなことだろう。


「風!」


大きく手を振る彼女、朝陽が帰ってきた。






彼女が目を覚ましたのは、零夢との戦闘を終えた日から2週間後。私のうちから出て行って、およそ3週間後のことだった。
重傷による昏睡状態が長く続き、一時は二度と目を覚まさないとも言われていた彼女だが、さすがは不老不死の娘といったところか、徐々に快方に向かっていき気が付けば腕の傷も完治していた。

バイパーが採取した零夢の血液を輸血し、一時狂乱状態に陥った彼女を麻酔で再び無理に眠らせたのち、ヴェルデの手で培養、強化を施したスカルの細胞の一部を一番傷のひどかった患部に埋め込むと、輸血による回復力も合わさってか、みるみるうちに傷が治ってしまったのだ。
細胞採取の際に痛い目を見たらしいスカルは、あれからトラウマになってしまったのだかで、今日も出迎えに顔を見せてくれはしなかったのだけれど、彼のおかげで朝陽は命を繋いだといっても過言ではない。

一方、復讐者からの依頼であった舞血姫捕獲任務だったが、彼女を無力化したこと、諸悪の根源である鬼獣の零夢を抹殺した功績を認めて頂き、朝陽の投獄は見送られることになった。代わりに、彼女が暴走した際に仕留められる威力を持ったもの……つまり、選ばれし7人の誰かが監督にあたることになった。
目が覚めるまでとそれからは、彼女はルーチェが治めるジッリョネロファミリーの管轄にある山荘で、療養に当たった。定期的にヴェルデが面会し、研究の名のもとに身体調査を行ってくれたという。
バイパーは時間の空いたときに彼女の調整に対応してくれた。記憶が戻るような催眠をかけてみたり、何故か男性嫌いを再発させている彼女の克服に協力したりしていた。初対面だったときも、朝陽はバイパーには警戒せず懐いていたので、効果的だったことだろう。
ラル・ミルチは時折彼女と手合せをしてくれていたようで、体のリハビリにもなっていたというが、彼女の指導方針はスパルタだ。無理を押していなかっただろうか、と少しだけ心配になった。

リボーンは仕事で忙しい様子だったが、合間を縫っては彼女に面会していたらしい。以前は警戒されっぱなしだったにもかかわらず、今は打ち解けているようで、時々食事に連れ出してやったりしていたとルーチェからの手紙で知った。なんだか妬けてしまう。


私はというと、彼女に会いたくないと言われたきり一度も顔を見に行けていなかった。

目を覚ましたと聞いて一度だけ様子を見に伺ったのだが、いつだったかのように部屋の隅に縮こまったまま顔を見せてくれず、会話もろくにしてもらえずじまいだった。
ルーチェを通して理由を聞いても、不可解なまま。リボーンには笑われた挙句からかわれるネタになる始末。ごくたまに彼女から手紙が届くこと、それだけが言葉を交わす手段だった。なので、正直今日の出迎えも、逃げられるのではないかと心底不安だった。



朝陽が目を覚ましてから、今日で一年が経った。


身体も至って健康になり、催眠のおかげかうっすらと記憶が戻り始めたという彼女。
母国に戻り、家≠ノ帰りたいという要望を叶えるため、私たちは集まれる者たちだけで此処中国に集結していた。


「ったく、ウロチョロするんじゃねぇガキじゃあるまいし」

「そう言わずとも……久方ぶりの母国にはしゃぐのも仕方ありませんよ」

「まぁ実際朝陽は60過ぎのおばあちゃんだけどね」

「あっ」

「あの小屋に引きこもりだった上、無学なおかげで知識としては小学生並だからガキであることも間違いではないがな」

「む……みんな我より年下なのに」

「だが一番ちびっこはおまえだ」


リボーンが首根っこを引っ掴んでいた手を離すと、朝陽はラルの傍へと退散する。やはり、まだ少し警戒されているらしい。懐かしいですねぇこの距離感……。


「じゃあそういうわけだ、ガキの面倒は頼んだぞ」

「おや、あなたは」

「これから情報屋んとこだ」

「忙しないですねぇ」

「仕事だからな。またな朝陽、イイコにしてろよ」

「わかった、リボーン」


頭をぐしぐしと撫でられて嬉しそうに肩を竦めた朝陽に、手を振って路地裏の陰へと消えていった彼の背中を目で追いかけた。……あぁいや、別に羨ましいなどとは思っていませんよ、えぇ一寸たりとも。


「すまないが、オレも所要で顔を出さなきゃならねぇ場所があるんだ。お前たち、頼んだぞ」

「監視に3人も4人もいらないからね、別にいいよ」


そう言ってラル・ミルチもいなくなってしまい、勿論朝陽はバイパーに付きっきりである。
耐えがたい沈黙が束の間を支配して、私は不自然に笑うしかできなくなり、ぎこちない声で「先に昼食にしましょうか」と先導した。



─────────…………



徒歩で山越えと聞くと、とても苦労を強いられる行いのように聞こえるが、私と朝陽はそれこそ中国横断くらい自前の脚でこなせてしまえるし、バイパーに至っては空中移動だ。昼食を済ませ其処から出発して、3時間後には目的地に到着した。

一年も経てば、私が終いに焼け野原にしてしまった其処もすっかり煤を払って、薄緑色の絨毯が辺り一面に広がっていた。鬱屈と木々が重なり合って覆い隠していた場所には切り取ったような快晴の空が覗いている。
朝陽は着くなり駆けて行って、小屋のあった場所に立ち尽くす。彼女の足元を萌黄色の草がくすぐった。
建物は吹き飛んでしまったが、大部分は地下に部屋を持っていたため、跡地は広大な窪地になっている。長い間放置された戦闘の破壊痕と、吹きさらしにされて風化しかけている観客席の階段をゆっくり下りていく。
砂埃が積もる舞台を遠目に眺めやる背中が、何を思い考えているのかまでは悟れぬというもの。かといって横顔を覗き込むような無粋なことはできない。私とバイパーは何も言うことなく、彼女が足を進めていくのに合わせて後ろをついて行った。

舞台脇に地下室へ繋がる階段があり、そこを下っていくと住居と思しき部屋が2つ。入るのかと思いきや、彼女は一瞥するだけで素通りし、さらに下へ下へと歩みを止めない。
何やら入り混じった複雑な匂いが鼻につくと思えば、最下層に広がっていたのは実験室だった。まさに地中をくり抜いただけの、地層がむき出しになった壁が四方を取り囲んでおり、天井は木板で補強がなされている。照明はいくつか吊るされている裸電球のみで、非常に視界も悪かった。
中央には寝台が一つ置かれていて、その四隅には拘束するための手錠や縄が縛り付けられている。部屋の東側には棚があり、漢方やら生薬が詰め込まれた壺や小瓶が所狭しと並べられていて、北側には薬を調合するための台だろうか、薬研や乳鉢、その他にも多くの製薬器財が使いかけの状態で放置されていた。天井や壁から吊るされている乾燥した草の根や木の皮、動物の足などが目立つ。何より、薬の匂いに勝るほど血の臭いが強く、空気が澱んでいるように感じられた。


「此処で父上は不死を手に入れた。我が産まれたのも、……体を強くしたのも、ぜんぶこの部屋だった」


きっと、ここにあるものは、いやこの部屋こそ歴史的遺産に匹敵する価値があるのだろう。
しかし彼女にとって大切なのはそんなものではないことは見るより確かだ。


「今日は、全部を思い出≠ノしに来たんだ」


そう微笑んで、彼女は肩から提げているポシェットを開いて何やら小さく丸いものを取り出すと、寝台の上に置いて部屋を出た。


寝泊りしていた部屋の壁は、まだ塗り固められていただけあって研究室よりもましだったが、それでも土の湿気たかび臭さが鼻をつく。
よれた紙束が落ちているのを見つけて、拾い上げてみれば、そこにはひたすら字の練習がされていた。


「父上が廃棄されているものから選んで持ち帰った紙に、母上が手本を書いてくれて……我も父上も字の読み書きは母上に習ったんだ」


懐かしそうに目を細める彼女は、部屋の隅にある雑多な種類の書物を適当に手に取って私に手渡す。
驚くことに、内容は墨で書かれた古書だった。紙の劣化具合から見ても、おそらくつい最近発行されたものではなく、印刷技術も発展していない頃のものだろう。


「拾い集めたものを寄せ集めて、吸収しきれないものはみんな散らかしっぱなし。本も、我も、舞血姫もそう」

「…………そうやって、60年近く過ごしてきたんですね」

「父上は、我の何十倍もそれを独りきりだったよ」


掠れた声が、空間に溶けて消える。
朝陽は、また小さく丸いものを部屋に据え置くと、地上に出た。


「この場所は、取って置いちゃだめなんだ」


そう呟くと、彼女は再びポシェットから箱形のスイッチを取り出して、ボタンを押した。
刹那、轟音が地を揺るがし、ぐらぐらと激しく震えた。


「! 朝陽、これは」

「ヴェルデに頼んで用意してもらった。小型爆弾だけど、威力は箔付き」


最下層の実験室から順に崩壊し、埋積していく。もうもうと立ち上がる煙と砂埃の臭いが混じって、うっすらと涙がにじむ。
本当にひどく深い底まであったらしい建物は跡形もなく崩れ、彼女が舞を披露したという舞台も奈落の底へ消えていった。
空を縁取る木々も、彼女が過ごしてきた場所も、ぽっかり空洞になってしまった。それはまるで、永きを共にしてきた父を喪った彼女の、心を表すようで。


「……我は結局、父上を救ってはやれなかった」

「………」

「父上は、撃たれた直後の母上に輸血をして、結果死なせてしまった。それからおかしくなったんだ。誰も何も救えない自分なら、生きる価値はない。愛する人を殺した自分に、これから先を生きる資格もない……そう言って」


暗闇が支配する奈落だけが其処に残り、彼女はぼんやりとその奥を覗き込んで、とつとつと語った。


「父上を殺すなんて、我じゃ結局いつまでも出来ないことだったんだよ」


何処にも発散できない、有り余る憎悪をぶつけられても。
人体実験を施され、苦痛に悶えながら人殺しの道具にされたって。
たとえ、もう本当の親子には戻れなくなったとしても。

それでも一緒にいた。力になりたかった。笑っていてほしかった。
自分では役不足なことも、いつからか気づいていた。
だからきっと、行き場のない抑え込んだ自分≠ェ、助けてと泣いて記憶を飛ばした。
自分の存在理由を喪うことが、何よりも怖かった。


「大好きだったんだ………」


父を喪えば、今度は自分が孤独の生涯を過ごすこと。
父が唯一自分らしく在れたと語る幸せを、偽物の形でも取り戻したかったこと。
全部ぜんぶ、父に必要とされる自分がほしくて、ずっと頑張って、抱えてきた。

もう何も戻ってこないことも知っている。
自分の愚かさにだって気づいていた。
ただ、我≠ェ此処にいることを、確かめる何かがほしかった。


「父上、……父上ぇ……っ」


堪えてきたすべてを吐き出して、くず折れる彼女の背を撫でて、そっと抱き寄せた。
泣きじゃくっては嗚咽を漏らし、肺の中の酸素が枯渇するたび大きく息を吸って、またむせび泣く。

やがて落ち着いた彼女と、バイパーの用意した花束を手向けた。
真っ赤に泣き腫らした瞼が痛々しくて、もう一度だけ頭を撫でた。


「帰りましょう」


そう踵を返す私に、困惑した表情を見せた彼女は、鼻をすすって息を止めた。
私はすこしそれに微笑んで、また今にも涙をこぼしそうな彼女へ手を差し伸べる。


「朝陽=B……帰りましょう、私たちの家へ」


彼女が彼女として在れた時間が、私と、仲間たちと過ごした数か月だというなら。
もう彼女が寂しくないように、私はその手を引いて隣に居よう。

彼が、まだ父だった頃、幼い彼女にそうしたように。


「……父上の手のひらと、全然違う。けど、……とてもあったかいな」


朝陽はきっと、もう二度と此処へは来ないだろう。そう思った。
バイパーが最後、指を鳴らして奈落の縁周りを花畑にすると、彼女は見えもしない景色を眺めてすてきだと薄く微笑い、そして「我愛、父上」と呟いた。





***



「ねぇ、ねぇちょっと!」

「え、あ、……おれの、こと?」

「あんた以外誰が居るのよ!」


少し拗ねた顔つきでぷりぷりと怒っている可愛らしいその人は、俺が振り向くのを待ちかねて前方へと回り込んできた。


「あんたって、本当ぼーっとしてるわよね。それでいてすばしっこい野生の動物、素手で捕まえちゃうんだから大したものだわ」

「それって褒めてるの?それともけなしてる?」

「褒めてるのよ。それよりも、あんた名前はないの?いい加減不便だわ」


いつも眉をつり上げている元気いっぱいな彼女は、思案顔を浮かべて唇をとがらせた。
名前なんて、あってもいずれ忘れてしまう。あと何千年独りで生きるかも分からないのに、誰が呼んでくれるかわからない名前なんてあっても意味がない。


「もう!あんたはすぐそうやって屁理屈を言う!だったらこうしましょ、わたしが生きている限りずっとあんたのことを呼び続けるわ」

「君が死んじゃったら?」

「わたしの子供に呼ばせるわ!」

「君、子どもほしいの?」

「そりゃあいつかはね」


すこし嬉しそうに言った彼女は、またすぐに思案顔に戻って、それから暫くしてこう言った。


「零夢!」

「れむ?なにそれ」

「あんたの名前に決まってるでしょう」

「ふぅん」

「もっと興味持ちなさいったら!」


俺の首に腕を回して抱きついた彼女に思わず身を引いた。けれど彼女はぴったりくっついたまま俺から離れようとはしない。
いつ力加減を間違えて殺してしまうかわからない。せっかく出来た話し相手なのに、それは嫌だ。


「零(ゼロ)から始まる夢。何もかもに絶望しきってるあんたに、零夢、あなたのことよ。わたしがたくさんの夢を見せてあげるの」

「……夢まぼろしでは、いつか消えてしまう」

「長生きで物忘れの激しいあんたでも、一生忘れられないような夢よ!そしてね、零夢、あなたが夢を持てるような希望に、わたしがなるんだ」


片足の希望は、ぎこちなく後退して俺から離れると、ほんのり頬を朱に染めて柔らかく笑った。慎ましさを覚えるようなそれは、名が体を表すように堂々として眩く、そして清廉な音を転がす鈴のよう。


「………りん、鈴」

「なぁに、零夢」

「夢って、どんな夢を見せてくれるの」

「優しい気持ちになれる夢」

「例えば?」

「………わたしとあなたの、子ども。ほしくない?」

「……化け物の子なんて」

「ばかね、子は宝よ、愛の結晶よ!」

「愛の……うん、すてきだ。とても素敵な夢だ」

「ふふ、うん。きっと、叶えてあげるね」


欠陥品同士の間に産まれた子は、ちょっと物覚えが悪いだけの、手も足もきちんと揃った女の子だった。俺も鈴も、3日3晩泣き通して喜んだ。それから、夢が覚めることを恐れる俺の背を撫でると、彼女は俺を連れて星見に連れ出してくれた。
色素の抜け落ちた俺の異形の印である髪を見て、きらきら光の粉を散らした星屑みたいだと笑った君を、ずっとずっと愛していこうと決めたんだ。


朝陽は、希望と夢の間に産まれた、ただひとつの命だ。
暗闇でしか生きていけない俺たちが授かった、あたたかい煌めき。

それはきっと、まどろみから起き出す俺を優しく照らし出す。


夢から覚めたその時、俺は絶望に打ちひしがれるだろう。
それでも最期には、やっぱり夢を見ていたときと同じように笑うだろう。
たとえ儚く消えてしまっても、俺にとってそれは、大切な記憶のひとつなんだから。






【舞血姫編・完結】



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